花子と高杉は、馴染みである。幼い時分からずっと一緒にいた。あの愛しい学舎で、肩を並べ同じ師に教えを乞いた。彼らの村には、もともと同世代の子供が少ない。家も近い二人が仲良くなるのは、至極当然の事と言えるだろう。
 高杉は花子を可愛いと思っていた。周りの子供より幾分か背の低かった高杉は、自分より小さな花子が傍にいるのに悪い気はしなかったし、いつもいつも「晋ちゃん」と高い声で名を呼ばれ、どこに行くにも後を付いてこられては、愛着も沸くというもの。いつだか自分が花子を守ってやるのだと幼い使命感を燃やした高杉は、花子が銀時に苛められぬよう気をつけてやったし、道を歩くときは花子に歩きやすい真ん中を、自分は小石の多い端を歩き、小さな柔い足に肉刺ができれば背負ってやった。
 そんな高杉であったから、花子をひとりで歩かせることはまずなかった。花子も高杉と共にいることを好んでいた。いつも一緒にいる二人に、師が「花子は本当に晋介のことが好きなのですね」と度々言った。師の言葉に花子が頷く度、高杉の胸は誇らしさとある種の甘い痺れで満たされるのだ。

 ある日、高杉は花子を捜していた。一刻ほど前から、急に姿が見えなくなったのだ。無論、それにいち早く気がついたのは高杉である。彼は村中を片端から捜し回った。日も高く、時刻はまだ昼過ぎである。心配することはないと、村中の人間が言ったが高杉は耳を貸さなかった。彼らにはわからぬのだ、花子が自分と共にいないというこの異常が。
 どこを探しても花子は見つからぬ。高杉は焦った。早く見つけなければと思う反面、他の人間の手を借りるのは嫌であった。自分の手で花子を見つけ出したい。そうでなければいけないような気さえした。
 村塾にはいない。家にもいない。二人でよくいく原っぱや、銀時や桂と遊ぶ河原にもいない。一体どこに行ったのだ。高杉は途方に暮れた。村中を歩き回った足は疲れてずきずきと痛むし、もうどこを探していいのやら、検討もつかぬ。甘味屋のチヨ婆のところも覗いたし、花子をよく可愛がっている百姓の家すべてに顔を出した。いままで花子がいない、それもこんなに捜しても見当たらぬことなど一度もなかった。花子が泣いたら、泣き止ませる方法など幾通りも知っているのに、自分が泣きそうなときはどうしていいのかわからない。
 このとき高杉が自覚していたかどうかは定かではない。それは彼以外には、知りようもないことだ。あるいは、どうでもいいことだったかもしれぬ。このとき既に、花子が高杉を求めるよりももっと強く強欲に、高杉が花子を求めるようになっていたことなど。

 執念の力とでも言おうか、けっきょく高杉は独力で花子を見つけだした。
花子は村から少しばかり離れた雑木林にいた。散歩の途中で蝶を見つけ、追いかけているうちに迷い込んだという。
 枝やら草やらの上にぺたんと座り込んでいる花子を見つけたとき、ようやく高杉は長く息を吐いた。安堵の表情など見せぬよう、わざと眉根を思いっきり寄せ、花子を睨み付ける。
「なにしてんだ、てめえ」
 俯いていた花子が顔をあげた。花子は答えない。しかし、その顔は涙に濡れている。ひとりで心細かったのだろうと高杉は推測したが、すぐに己の考えが間違っていたことを知る。
 花子の数m後ろには、人間の死骸が転がっていた。
「見るな」
 もう遅いだろうに、高杉は花子にそう言うと、すぐさま花子の手を引いて立ち上がらせ、後ろを見ずに歩きだした。来た道を戻ろうとするが、周りは全て同じような木ばかりで、どこから来たのか検討もつかぬ。けれどあのおぞましいものから遠ざかりたい一心で、高杉は花子の手を引いて半ば自棄に林を歩いた。
「晋ちゃん」
 足を踏み出すごとに折れる枝や枯れ葉の音に紛れて、花子が高杉を呼んだ。その音は本当に小さなものであったが、高杉が花子の声を聞き逃すはずもない。そこで高杉は立ち止まり、じっと花子を見下ろした。花子はまだ、泣き顔だった。
「あれはなに?」
 今度は高杉でさえ聞き逃しかけるほど小さな声だった。おまけに震えている。見てはいけぬものを見てしまったと、幼心にわかるのだろうか。怯える花子を見て、高杉は内心舌打ちをしたい気持ちだった。そこに自分でさえ顔を歪めたくなるような優越感も混ざる。花子があんなものを見てしまったことに対する忌々しさと、やはり自分にすがってくるのだという悦とがない混ぜになって、高杉は吐き出したい気分だった。
「知らなくていい」
「人なの?」
 何も知らぬ花子とは違い、高杉はいまこの国が戦をしているのをよく理解している。それ故人が死ぬということも、理解しているつもりであった。そうだ、と言葉少なに告げると、花子はまるで自分が死んでしまったような顔をした。
「どうして人が死ぬの?」
「戦だからだ」
 先程の死骸は、侍であろう。この辺りにはまだ戦火が届いていないから、逃走兵かもしれない。戦が怖くて逃げ出したか、それで結局はのたれ死んでいるというのだから憐れなものだ。
 高杉は、ふと師の言葉を思い出した。穏やかな笑みを絶やさない彼は、いつだったか言った。守るもののために死になさいと。できる限り生きなさい、そして もうこれ以上はというときには守るもののために死になさいと。
 あの侍も、何かを守るために刀をとったのだろうか。
「晋ちゃん?」
 不安そうに、花子が見上げてくるのを感じながら、高杉は花子を見ていなかった。けれども心はひどく穏やかだった。死体を見た後だというのに、可笑しな話だとは思う。だけれど、高杉は自身の心が凪いでいるのを気持ちよく感じていた。また、その理由も理解できているつもりであった。
「俺は死なねえよ」
 だいじょうぶだ。

 高杉が花子を手放したのには訳があった。戦である。

 恩師が殺されてからというもの、高杉は剣の修行に没頭した。桂も銀時も同じであった。三人は時折、その澄んでいた眼を血走らせながら竹刀を振るった。振るわずにはいられないのだ、彼らの眼には何時なんどきも、一秒たりとも薄れることのない恩師の後ろ姿と、まだ見ぬ彼の敵が焼き付いて取れぬのだ。
 さすがの高杉も、剣の修行をしている時ばかりは花子を忘れた。けれど修行が終わるな否や、一目散に駆け出し、花子を腕に抱かないと気が済まぬようになった。いつでも手元に置いておかないと落ち着かなかった。花子はいつだって そんな高杉を受け止めた。時には自身が泣きながら、その短い両腕で高杉を抱き締めた。頑として泣かない高杉の替わりに泣くのだと花子は言った。高杉にはそれが、これ以上ない幸福のように思われた。
 そんな高杉であったから、当然花子を戦場に連れていこうとした。自分たちが離れることなど、微塵も考えていなかった。それを止めたのは桂である。戦場は女の行くところではないと、彼は何度も高杉を説き伏せようとした。けれども高杉には、そんな彼が理解できなかった。守るべき者を傍に置かず、いったい どうして守れるというのか。
 終わりの見えぬ論争に、終止符を打ったのは銀時だ。彼はぼんやりと二人の諍いを聞いていたが、ふと心底不思議そうな顔で首を傾げた。まるでわからぬと、母親に問いかける幼子のように。
「地獄、見せてえの?」
 高杉は、花子を連れていかなかった。




                      



 長いように思えた戦も、終わってみればほんの数年であった。その数年の間に一体いくつの命が死んでいったのかと思うと、馬鹿馬鹿しくてしようがない。
戦が終わったら迎えにいくと、高杉は花子と約束を交わしていた。江戸に奉公に出ることが決まっていた花子は、高杉が戦に向かったその数ヵ月後、故郷の里を離れたという。
 戦が終わって既に数年が経過している。しかし高杉はいっこうに江戸に向かわず、花子を迎えにいく素振りも見せなかった。会いたくなかった。虚勢ではなく、心の底から会いたくなかったのだ。恐らくそれは、肌身離さず持ち歩いている手習い本を開けない感情に近い。あんなに執着していたというに薄情な男だと桂は言った。その通りだと思う。
「晋助」
 襖が音もなく開いて、高杉は壁にもたれ掛かったままそちらを向いた。爪弾いていた三味線は変わらず、べんべんと音を奏でている。
「なんだ」
「頼まれていたものを買ってきたでござる」
 そう言う河上の手には、小ぶりの花束が握られている。白く小さな花を纏めただけのそれは、高杉の好む様ではなかったが、彼は満足そうにそれを見やると、また視線を河上から外した。
「送っておけ」
「どこにでござるか」
「真選組屯所」
 一瞬息を詰めた河上だが、ひとつ深く嘆息すると、出来の悪い子を見るかのように高杉を見下ろした。彼の目は、サングラスに隠れて感情を映さぬものの、その視線に呆れが多分に含まれていることは、容易に想像がつく。
「またややこしい真似を」
「放っとけ」
「旦那を奪うだけでは、足らぬでござるか」
 河上の言葉に、高杉は動きを止めた。三味線も鳴り止む。驚いたというように しげしげと河上を見つめた高杉は、やがて唇の片端を綻ばせた。
「ああ、足らねえな」
「主に好かれた女には、同情するでござるよ」
「違えねえ」
 可笑しそうに喉を鳴らすと、高杉は今度こそ河上から視線を外し、もう上げることはなかった。三味線が再び音を奏でだす。しばらく佇んでそれを見ていた河上は、やがてもうひとつ深い嘆息を落とすと、高杉に背を向けて部屋を出ていった。
 会いに行きたいわけではないのに、傍に置いて置きたい。たとえ自身がもう必要とされていなくとも、こちらから糸を切るような気は毛頭なかった。歪なその愛を一身に注がれるまだ見ぬ女を、河上は憐れまずにはいられない。


45.あわれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
(私のことを たいそうかわいそうだ といってくれそうな人は思い浮かばず、きっと私はむなしく死んでいくにちがいないのだなあ)

2012/02/28 引用:小倉百人一首


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