4日目

 監査部から連絡がきた時、私はCDショップでミュージックを楽しんでいるところだった。抜き打ちというわけではないだろうが、彼らは時々、いきなり電話をかけてくる。
「どうだ、調査は進んでいるか」
「ええ、まあ」
 正直に言うと、私はミハエル・ケールから硬貨を貰った日以降、彼に会ってはいなかった。通常であれば、顔を合わせずともそれとなく様子を伺うのだが、どうやら彼は少々厄介な事情の持ち主らしい。平凡な顔をした小柄な日本人女性が付きまとうには無理があると早々に悟った私は、あれから3日間、CDショップに入り浸っていた。
「結果は決まりそうか」
「もう少し、よく調べてみないことには、なんとも」
 実際のところ、調査などせずともいまこの瞬間に『可』と言ってしまえばそれで仕事は終わりなのだが、私はそれとなく答えをはぐらかした。仕事にはある程度の責任を持って取り組むべきであるし、『可』と言ってしまえば、対象の人物の死を見送った後、すぐさま帰らなければならなくなる。だから私たちは、だいたいたっぷり7日をかけて調査する。少しでもミュージックを楽しむためだ。
 監査部からの電話を終えて、私は視聴機のヘッドフォンを外した。電話をもらったからというわけではないが、流石にそろそろ調査をしなくてはならない。ふたりでコーヒーショップに入ったのは3日前だ。調査期間は、今日を入れてあと4日ということになる。
 さて、どうしようかと思い、とりあえずはCDショップから出ることにした。赤い傘をポンと開き、当てもなく通りに繰り出す。今日も相変わらずの雨模様だ。じっとりと肌に纏わりつく湿気が気持ち悪い。
 ミハエル・ケールの居場所を私は知らない。かといって、当てもなく歩いて本人に会えるのかというと、世の中そう甘くはないだろう。相手がやんごとない事情を抱えている男ならば、尚更である。そう思っていたのだが、どうやら神は私の味方だったらしい。もっとも、私も死神であるので、私自身も神であると言えるのだけれど。
「また会ったな」
「また会いましたね」
 ちょうど大きな交差点を渡るため、信号で足を止めている時だった。後ろから私の肩を叩いたミハエル・ケールは、少しばかり口端を持ち上げて見せた。「貸せよ」言って、私から傘を取り上げる。彼は今日も傘をさしていなかった。
 信号が青になり、一気に人が流れ出す。どこに行くだとか、何をするだとか、何の取り決めもないままに、ミハエル・ケールは歩き出した。私は黙って彼に並ぶ。私の仕事は彼の調査であるので、どこで何をしようと不都合はないのだ。
「あんた、名前は」
「山田です」
「下の名前は」
「花子」
 嘘だった。私たちは調査に出る前、情報部から毎回任務に適した容姿を与えられる。それは毎回異なるのだが、名前だけはいつでも同じだった。恐らく管理番号のようなものなのだろう。しかしながら、与えられるのは苗字だけであり、名前は咄嗟に考えついたものだった。たしか、2、3回前の仕事で担当した女の名前だ。通り魔に刺されたのか、鉄骨の下敷きなったのか、いまいち思い出せない。
「あなたは?」
「メロ」
 彼は本名とは全く違う名前を名乗った。彼が人前ではそう名乗っていると、情報部から聞いていた私は、驚くこともなく、普通に頷いた。
 私とミハエル・ケールは、暫く通りを道沿いに進んだ。会話らしい会話もなく、ただ歩くだけである。通りの向こうに別のCDショップを見つけて目をやると、ミハエル・ケールはちらりと私を見下ろした。
「好きなのか、音楽」
「人間が作ったものの中で、1番美しいのがミュージックだと思いませんか?」
「まるで自分が人間じゃないみたいな言い方だな」
 実際その通りなので、私は一瞬ギクリとした。人間の中でも敏感な人は、稀に私たちの正体に気づくことがある。彼もまた、そうなのだろうか。
 返答のない私に気を遣ったのか、ミハエル・ケールは少しばかり肩を竦めた。
「ほんの冗談さ」
 しかしそれは当たっているのだと、私は申し訳なく思う。
 また暫く歩いてから、私たちは再び喫茶店に入った。彼はふたり分のショコラを頼み、ひとりで支払いを済ませた。私はお礼を言ってショコラを受け取った。机の淵にかけた傘から滴が落ち、床に小さな水溜りを作っている。
「あんた、仕事は何をしているんだ」
「適当に、会社員を」
「嘘だな。平日の昼間から街を彷徨いているなんて、真っ当な会社員のすることじゃない」
「今日がたまたま、休みなんです」
「3日前の月曜が休みで、今日も休みか。あんたの会社、大丈夫なのか?」
 彼はショコラを啜りながら、鋭く私を睨めつけた。確かに、会社員というのは適当だが、正直に死神で、あなたが死んでもいいかどうかを判断しているんですよ、と言うわけにもいかず、私は口籠った。
「実は、街中のCDショップを廻って、ミュージックを聞くのが仕事なんです」
 正確には、仕事の合間にCDショップに行っているのだが、これはあながち間違っていない。私たちは人間界にいる時間の殆どをCDショップで過ごしているため、たまに仕事の合間にミュージックを楽しんでいるのか、ミュージックを楽しむ合間に仕事をしているのか、わからなくなるくらいだった。
「本当ですよ。なんなら、CDショップで視聴している人に聞いてみてください。きっとどこかには、私の同僚がいますから」
「いや、いいよ」
 ミハエル・ケールは可笑しそうに、目を細めた。
「あんたの話を、信じるさ」
「あなたは、何の仕事をしているんですか?」
「テロリスト」
「そうなんですか」
 なんてことのないように彼が言ったから、私も普通に頷いて返した。テロリスト、がどんなものかは詳しく知らないが、彼の顔に走る大きな疵痕から考えて、大方危険な仕事なのだろう。もしかしたら、私が『可』の報告をした際には、彼は仕事中に死ぬのかもしれない。調査期間の7日間で死因が発生することはなく、6日目に負った怪我が悪化して8日目に死ぬ、といったケースもないため、対象がどうやって死ぬのかは、見届けるまではわからない。
「信じてないのか」
「嘘なんですか?」
「まさか」
「それなら、信じます」
 私の答えに、ミハエル・ケールは満足したようだった。短く笑って、彼は私を見つめた。テーブルに付いた手に顎を乗せ、口端を吊り上げるその顔は、ファッションモデルのように端正である。
「あんたと話していると、色々なことがどうでもよくなる」
「たとえば、渋滞とか?」
 人間の作ったものの中で最も美しいのがミュージックであるが、最も嫌なものが渋滞である。従って私はそう答えたのだが、どうやらミハエル・ケールにとって、それは愉快なことだったらしい。彼の笑いは、なかなか収まらなかった。私はそれを、少しばかり不愉快な思いで見ていた。このように、何も面白いことを言ったつもりがなくても、笑われることが時折ある。こういう時は、不愉快だった。第一、何が面白いのか、私にはまるでわからないのである。馬鹿にされているのかそうでないのか、それすら判断出来ない。
「そうだな、渋滞も、どうでもいいさ」
「それはよかったですね」
「悪かった。そう怒るなよ」
 なあ、あんた、時間あるか。ミハエル・ケールが私に訊いた。私は黙って頷いた。

 連れてこられたのは、大きなビルの前だった。黒い服を着た人間たちが、入り口に物々しい様子で立っている。彼らの間を、多くの人間が出たり入ったりと、忙しなく動いている。その様子を、大きな通りを挟んだ向かい側から眺めていた。テレビ局だ、ミハエル・ケールが言った。
傘をさしているにも関わらず、彼はフードを深く被り、すっかり顔を覆っていた。私と彼は、随分と身長差があり、私が彼を見上げると、彼の顔はフードと髪に隠されて、鼻の先しか見えなかった。
「死ぬことについて、考えたことはあるか?」
 私たちが担当する相手は、促したわけでもないのに死の話をすることが多い。それは死への恐怖であったり、不安であったり、はたまた憧れであったりと様々なのだが、私が担当する人間も、死の話をする傾向にあった。これは、私たちの存在を、人間が無意識に察するかららしい。研修で教わった。「死神は人間に、死への予感を与える」
「あなたは、考えたことがあるんですか」
「世界では、いまこの瞬間にでも、多くの人間が死んでいる。だが、俺たちはそんなことはお構いなしに、呑気にこの場所に立っている。人間個人の死は、世界にとって些事に過ぎない。どう思う」
「なにを」
「意味のある死は、あるのか」
 ミハエル・ケールは、テレビ局に目を向けたままだった。そこに、誰かいるのだろうかと、私も目を凝らしてみたのだが、多くの人間が出入りしているのが見えるだけで、何も見えなかった。
 私たち死神は、死について何ら思うことはない。私たちは人間に死を与える存在であるが、それだけだ。そこに私個人の感情は存在しないし、何故そんなことをするのかと問われれば「仕事だからだ」と答えるしかない。死神にとっての死など、ただの仕事道具程度のものだ。故に、私にとって、意味のある死などない。
「意味のある死を、迎えたいんですか」
 ミハエル・ケールは答えなかった。ただ黙って、前を向いていた。
 調査期間が終われば、私は『可』の報告をする。彼にとって意味のある死とは、何だろうか。

2015/07/02



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -