03 糸を引く手
それは私が何度目かの失敗で球磨川先輩の口に鍵をかけてしまった時の事だった。
この頃には球磨川先輩が誰かに怪我を負わされる事はなくなったし、学校の内部もひどく穏やかだった。阿久根高貴という武力を球磨川先輩が得たからだろう。
共通の恐れの対象がいるからこそここの学生達は、多感な時期でも穏やかで平和に過ごすことができる。この学校の中で私たち三人だけが切り離されている。そんな感覚がする。

「あー先輩ごめんなさい。もう良いですよ。喋れますよ」
がしゃん。鍵が外れる。
「『ひどいよ咲夜ちゃん。パンツの色ぐらい良いじゃないか』」
「よくないですね」
先輩のセクハラに端を発するこのやり取りは、もはや恒例。
「『それでもやっぱり、僕はファンシーな花柄を推すけどね』」
「だから履きませんって」
それもそろそろマンネリになってきた頃の事だった。
「『咲夜ちゃんはさぁ。一体どこまで出来るのかな』」
どこまでと言うのは私の『異常』の話だろう。
「さぁ、ろくろく使ったことないですからね。ここ十年は特に」
「『例えば』」
球磨川先輩は何か面白い悪戯を思いついた、そんな笑みで己を指差した。
「『僕になってみてくれない? 騙してみたい人がいるんだ』」
「まぁ構いませんけど、何か間違えても笑わないで下さいよ。本当に久々なんですから」
出来上がりを見て、先輩は笑えない、そういう表情で口の端をひくひくさせている。そりゃ目の前に自分と同じ顔がいればそうもなるだろう。しかも、女装。まごうことなきセーラー服を身にまとった球磨川禊が、球磨川禊当人の目の前に立っているのだ。
わかっていた話だ。体の一部でない服までは変化させられない。
「『案外似合ってしまうのも考えものだね』」
言いながら先輩は学ランを脱ぎ、ベルトに手をかける。
突然の男によるストリップの開始に、思わず眉をひそめる。
「なんのつもりですか」
「『咲夜ちゃんも脱いで。今は僕の体なんだから大丈夫でしょ』」
言いながら私に、学ランを差し出してくる。着ろと言うのだろう。
「『早く脱いで!!さぁ、早く』」
言われるまま上着に手をかけてふとあることに気がつく。
「脱げません」
「『え?』」
「ですから脱げません。先輩は自分が女物の下着でストリップ、とか見たいですか?」
「『下着は見たいよ?パンツにもブラジャーにもキャミソールにも罪はない』」
この方はそういう方だった。はぁ、とため息を一つ。
「とりあえず脱いだもの下さいよ。別室で着替えてきますから」
「『え、僕は半裸で放置されるの?』」

セーラー服を着た先輩が私を連れてきたのは、社会の教科準備室。平凡で童顔な先輩のセーラー服姿はなかなか悪くない。似合うとは絶対言わないけど、見せ物としては面白いのでアリではある。
「『さ、開けてよ』」
言われるまま扉の前に立つ。変身を解いたのは、同時に制御できる気がしなかったから。
「うーん。何がいいかな。開けゴマ!!とか」
がしゃん。ほんとに開いた。
「『案外なんでもいいんだね』」
「こういうのは開くって思わせやすいのでやりやすい方ですけどね」
私の『過負荷』は、思い込みを利用しているのだと昔私の担当医は言っていた。だから実は私を知っている人間の方が、鍵がかかりやすかったり、開けやすかったりする。
ただし、自分にかけてしまった鍵だけは、どうしてだか私自身には開けられない。私の治療はそれを利用したものだった。
そんなことを思い出しながら、姿をもう一度球磨川先輩に変えて扉を開く。中には誰もいない。綺麗に整理された棚と大きな窓だけ。
「誰もいないですね」
「『今から呼ぶのさ。まぁ人がいなければどこだってよかったんだけど。それとさぁ、僕のかっこしてる間は僕のふりしてよね。悪戯にならないだろ。何のために僕が女装したかわからないじゃないか』」
先輩が頬を膨らませる。セーラー服と相まって、本当に女の子みたいだ。
「という君達のやりとりをさ、僕はこうして一部始終見てた訳だけど。まだやるかい? 球磨川君」
突然声が割って入ってきて肩が大きく跳ねた。ばくばくいう心臓を押さえつけ振り返れば、窓枠に腰掛ける可愛らしい顔の女の子。思わず見とれてしまう。
「そんなに見つめられたら穴があいちゃうよ」
鈴の音のような上品な笑い声。
「球磨川君も人が悪いね。どっちが本物でしょう? だなんてやるつもりだったんだろうけれどね。そもそも僕はなんでもお見通しなんだから、こんな悪戯通用しないのわかってるくせに」
何か言おうにも出てこなく、口をぱくぱくさせながら球磨川先輩に目を戻す。
「咲夜ちゃん。球磨川君は君を騙して遊びたかったのさ。もしくはセーラー服が着てみたかったのかな」
「『酷いよ。安心院さん。ネタばらしにはまだ早いじゃないか』」
怒るところなのだろうが、それどころではない。あんしんいんさんというこの可憐な女性は、いったいどこから沸いたのか。
「僕を害虫みたいに言わないでくれよ。僕はいつでも居たい場所に前後関係も因果も物理法則も無視して存在することができるのだよ。ささやかな特技の一つだね」
彼女は私ににっこりと微笑みかける。
「そうだな。君たちはまずそのちぐはぐな服装からどうにかした方がいい」
そう彼女が言葉を発しただけで、私と先輩の服装が元に戻っている。変身も解かれている。状況が読めずおろおろするしかない。
一方先輩は下を向いて笑いをこらえているらしい。
「『咲夜ちゃんがそんなに狼狽するなら、もっと早く会わせればよかったな』」
球磨川先輩が目尻の涙を拭っている。泣くほど笑うのはちょっと酷すぎませんか。
「そうだよ球磨川君。もう少し彼女を連れてくるのが遅かったら、僕から挨拶に行くところだった」
窓枠から降りて、あんしんいんさんは私の前までやってくる。
やっと私は口をきける程度に回復したがまだ混乱は解けない。次から次に疑問が口から飛び出してくる。
「待って、待ってください。全くもって何がなんだか。この綺麗な方はどなたです? 何故しゃべってもいないことがわかるんです? そもそも何故私の名前を? 私に会いに来るって? それからなんで服も姿も…。あと球磨川先輩は笑いすぎです」
こんなに息を切らすほど喋ったことが、未だかつてあっただろうか。とにかく不思議なことが同時に起こりすぎて消化不良を起こしている。
「いいだろう。質問に答えてあげよう。だから少し落ち着きたまえよ」
彼女は指を折りながら答えを並べていく。
「まず僕は安心院なじみ。僕のことは親しみを込めてあんしんいんさんと呼びなさい。では二つ目、あの状況で君が考えそうな事くらいはスキルを使わなくても分かるさ。年の功だね。三つ目、僕らは一度会っているもの。ただし、君には忘れてもらったのだけど。四つ目、僕が君達にした仕掛けの成果が知りたかったのさ。最後、因果律を遡る僕のスキルさ。合計二京にも及ぶスキルの一つにすぎない、ね」
これだけ喋っても安心院さんは息ひとつ乱れない。
「あと、そうだね。球磨川君、確かに君は笑いすぎだ」
涼しげな声で付け足して、球磨川先輩の額を指でつつく。安心院さんの動作は一つ一つが上品だ。
微かに顔を赤らめて先輩が問いかける。
「『安心院さん。僕も一つ聞きたいな。僕と咲夜ちゃんに何をしたの?』」
安心院さんは自らの唇の前で小指を立てて答える。
「君達の小指にちょっと赤い糸を結んだだけさ。君達は引かれ合うかのように何度も出会ったろ? 中々ロマンティックで気に入ってるスキルなんだ」
思えば、最初から偶然すぎる偶然を重ねて何度も先輩と遭遇してきた。糸を引いている人間がいたと言われた方が納得できるくらいに。
「『何故って聞いた方がいいかい?』」
「聞かれたところでそれは秘密だね。でも、じきに分かるさ」
球磨川先輩が肩をすくめる。
「『なんでもいいけど、僕の邪魔はしないでよね。もう少しで僕好みの平穏が手に入りそうなんだよ』」
「あまり感心はしないが、君がそう言うのなら。まぁその辺には僕も言いたいことが無いわけじゃないんだが、今日はやめとこうか」
じゃあ咲夜ちゃん、また会おう。安心院さんはそう言い残して扉から出ていった。
「帰りはちゃんとドアから帰るんだ……」
呟きながら先輩に目を向けて、私は確認する。先輩が私に向ける表情と安心院さんに向ける表情。そこに僅かな差があることを。その何でもない事実がちくりと胸を差した。

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