02 本当の私は
私があまり自分から他人に話しかけなくなったのは必然だった。私の言葉はあらゆるものに鍵をする。口を開くときは『過負荷』を押さえ込まないとならない。面倒だ。
かけてしまった鍵を開けるにはまた労力を使う。面倒だ。
だったら黙ってるのが一番楽。
私が『過負荷』の垂れ流しを嫌うのは、まだまだこの頃『普通』であることを諦めきれていなかったから。
教室の隅で黙って外を見ている私。話しかけられても、ろくろく答えない私。クラスメイト達は次第に私を遠巻きにしていく。もともと仲良しも居ないし、丁度いい環境が出来上がっていく。

お昼ご飯は非常階段の踊り場。誰も来ないお気に入りの場所だ。ただし、この下の校舎裏は違う。たまに彼改め球磨川先輩が捨てられていたりする。私は球磨川先輩が殴られる音をおかずにご飯を食べて、物音しなくなった頃に手当てに行く。
それが日常になりつつある。
その日もそれを聞きながらお弁当をつついていた。今日の卵焼きは美味しくできた。喜びを噛みしめる。
下では新たな声が割って入ってきたようだった。ちらと下を覗けば、いつかすれ違った金髪の綺麗な男の子が暴れている。球磨川先輩ではなく、球磨川先輩を殴っていた奴等を相手に。
不思議なことが起こっている。興味がわいたので、音をたてないように階段をゆっくり下り始めた。
降りてみれば、球磨川先輩よりも襲撃者の方が余程重症である。積み上がった残骸どもの真ん中で綺麗な男の子は汗ひとつかかずに立っている。
「『咲夜ちゃん遅いよ。いつもいつも上から見てるくせに』」
球磨川先輩の言葉に綺麗な男の子の顔が険しくなる。分かって言ってるんだから先輩はかなり意地が悪い。
「私、暴力に立ち向かうとか無理ですし。弱いし。」
だからこうして終わってから手当てしにくるでしょう、と消毒液を指差し訴える。正直あまり喋りたくない。口を開くのはやはり怖い。
綺麗な男の子は私をまだまだ睨んでいる。
「球磨川さん。こちらは?」
私を睨みながら綺麗な男の子は球磨川さんに問う。
「『如月咲夜ちゃん。うーん。助けてくれないけど、友達、なのかい? 僕達は』」
球磨川先輩が私に向ける目にはからかいの色がある。
友達という言葉に思わず笑いが込み上げた。友達という言葉を使うには私たちの関係性はあまりにも薄い。強いて腐れ縁。いや、それ以下の何かだ。
「『だから高貴ちゃん。この子は壊しちゃだめだよ』」
高貴ちゃんと呼ばれた男の子は気に入らないといった様子であるが、頷いた。私の安全は確保されたらしい。
あの残骸の山を見て立ち向かおうとか全く思わないけれど。
「『咲夜ちゃんは化物みたいなもんだからね。高貴ちゃんの方が壊されちゃったりしてね』」
どっ。心臓を握りつぶすかのような音が体の中で響く。全身がバラバラになりそうな音が。球磨川先輩はへらへら笑っている。
「球磨川先輩、何を、どこまで」
思わず言葉が滑り落ちる。幸いどこにも鍵はかからなかった。言葉を発することで私は多少の落ち着きを取り戻す。
自分の『過負荷』を意識しながら、ゆっくり問いかける。
「もしかして球磨川先輩、私のカルテ見ました?」
何がちょっと調べた、だ。思いながら私は多分へらへらと笑っていたのだ。高貴くんとやらの視線がそう語っている。
「『ちょっと昔調べたデータの中に君のが混ざってただけだよ』」
先輩の言葉が頭を揺らす。
「『言ったじゃないか。君がどんなに気持ち悪くても不幸を振りまいても受け入れるって』」
「もしかして、私の生まれた姿も知ってます?」
「『知ってるよ』」
いつの間にか私の全てが知られている。私は球磨川禊という人間のことをまるで知らないのに。
「それでも私を受け入れるんですか?」
「『もちろん。僕は君のことけっこう好きだぜ』」
私が絡めとられた瞬間だった。そして、同時に理解した。同じようにして高貴くんとやらも絡めとられてここにいるのだと。
球磨川禊という人は人の心のドアを強引に蹴破って入ってくる。土足で踏み荒らされているのに嫌じゃないのは、彼がその部屋の隅で震えている私にとって一番甘い言葉をかけるからだ。だからこうして、弱い私は絡めとられる。
どっと疲れが体を襲う。あの日からこんなに一気に人と喋っていない。
「帰る」
送ろうかと笑う球磨川先輩に首を横に振って答える。もう今日は一言も喋りたくない。
高貴くんとやらの舌打ちが聞こえる。嫌われたようだが、私に攻撃してこないならそれでいい。
帰って寝よう。弁当箱と荷物を回収して速やかに校門を出る。誰にも咎められなかった。
後に阿久根高貴が代わりに早退届を出したのだと球磨川先輩から聞いた。
中学時代、阿久根高貴と会話はすれども馴れ合った記憶はない。それは嫌われていたこともあるが、私も彼に歩み寄る気がなかったからだろう。同じ人間に堕落させられた同じ立場でも、相容れるはずがない。彼は秀才で、私は人ですらなかったのだから。

そう私は人ですらなかった。人間とは到底言えないおぞましい姿で生まれた。医者や付き添った父親の声、様子、顔色から、生まれた瞬間の私は姿を間違えたことを知る。そしてその一瞬後。私は通常の赤子だった。
それが私の生まれ持った『異常』。
私は自らの、本来生まれるべきだった姿を知らない。異形、まさに化物。それが私の本当の姿。私の原罪。箱の隅で震えている本当の私。

翌日の昼休み。私は自ら球磨川先輩を訪ねて二年生の教室へ向かった。
先輩は私に、待ってたよと笑いかけた。私は何だか妙に安心して、先輩をお昼に誘った。
「『わぁ、うれしいなぁ』」
私も嬉しかった。誰かと食事を共にするのは久々だったから。口に出さなかったのは、怖かったからじゃない。少しだけ、そんな気持ちにさせられたのが悔しかったのだ。
「先輩、見ます? 本当の私」
先輩は首を振る。
「『やめとくよ。文字どおり喰われそうだもん』」
あははと笑い声が出て、ああ純粋に笑ったのも久々だと気がついた。
「そういえば私のことばかり知られてて、私先輩のこと何も知りませんね」
「『もしかして、僕に惚れちゃった?』」
「まさか、ありえない」
そんな何気ない会話が楽しくて仕方がなかった。
それから私と球磨川先輩はどちらが誘うとなく非常階段で昼休みを過ごすようになった。
ちなみに、阿久根高貴は球磨川先輩の様子が窺える範囲に必ずいた。私のいる間は近づいてこなかったが。彼は番犬だったわけだ。まぁ番犬より狂犬という言葉の方がしっくりくる働きぶりだったけれど。
私は次第に喋ることそのものに慣れていった。夏になる頃にはうっかり鍵をかけてしまうことも少なくなった。
このまま、ずっと続けばいいと思っていた。『過負荷』のくせに、人ですらないくせに、私は幸せを望んだ。なれるわけがないのに。

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