22 ハッピーエンドの始まり
「初めて、勝てた」
三月十日、卒業式の日。壇上で球磨川先輩が卒業生代表のスピーチをしている。それを遮るように体育館の扉が開き、彼女はそこに立っていた。
壇上で嬉しそうに涙する先輩のことを、私は後ろの方から見ていた。
黒神めだかは傷だらけのほうほうの体ながら生きて帰ってきたのだ。
「初めて勝てた」
そう先輩は泣きながらもう一度言った。先輩にあんなにうれしそうな顔をさせられる彼女が私は少し、いやかなり、羨ましいと思った。
式典が終わり皆がめだかを囲む中、先輩の姿が見えなくて、私は探しに出た。
私はなんとなく生徒会室に向かっている。生徒会執行部は皆めだかちゃんと共に中庭だ。今、あそこは無人のはずだった。
生徒会室の前で台車の上に転がる太刀洗さんに出会った。彼女はニマニマ笑いながら私に「ありゃ手強いね〜。でもがんばってね〜〜」とだけ言い、手で器用に台車を漕いで去って行った。
そっと生徒会室に入る。
球磨川禊が窓の外を眺めている。
「第二ボタンを貰いに来ました」
そう、率直に言った。
「『不思議だね。何でこういう時って第二ボタンなんだろね』」
こちらを見ずに彼は言う。
「心臓に一番近いから、では?」
その背中はいつもと同じであったが、何処か私を拒絶するような頑なさを感じる。
「『なら心臓を取ればいいのさ』」
鼻にかけるような笑い。その声色は、ここへ乗り込んできた頃の物に近い。
「取ったら、死んじゃうじゃないですか。そんなことできません」
真っ直ぐ私は顔をあげて言う。
「『一度は考えたことがあるだろ。殺してしまえば永遠に自分のものになる、なんてさ。例えば、僕が安心院さんの顔を剥がしたあの日とかにね』」
ぐっと喉に詰まるものがある。だけれど、なんとか声を出す。
「そうですね。あの時、あの瞬間、確かにそのつもりだった。その事を否定はしません。でも、今は違う」
ようやく、先輩がこちらを見る。笑みのようでいて、そうではない。険しい表情。
「『君は、過負荷を持っている。それと同時に異常もね。君の心の中には確かに真っ黒な何かが居るけれど、同時に希望の欠片もちゃんといる。過負荷の癖に君は目的の為に一所懸命努力のできる人だ。
そんな君が僕みたいなのと友達で居てくれるのが、あのころ僕は嬉しかったんだ。突き放しても突き放してもずっとそばに居てくれるのが、嬉しかった。僕はね、それだけだったよ。ただそれだけさ。
君の僕への想いはさ、それは刷り込みだよ。生まれたばかりの雛は最初に見たものを親だと想って慕うだろ。それと同じさ。
君にとって初めて、君の出生と君が自分の本当の姿と思い込んでたアレを受け止めたのが僕だった。それだけだよ。違うって君は言い切れるかい?』」
挑発するように両手を広げて、演説のように雄弁に騙る。それを私は黙って聞いていた。
それから、その目を真っ直ぐ見て言葉をかける。
「先輩、私に言うことはそれで全部ですか?」
予想とは違う言葉が帰ってきたのだろう。彼は少しだけもどかしいような仕草を見せたが、すぐにそれを隠してしまう。
「先輩が考えてること全部教えてくれませんか? 最後だから。いえ、最後くらいは、本当のことを言ってくれてもいいじゃないですか」
そう問い直す。
彼は若干つまらなそうに手近な椅子に腰掛けて腕を組む。
私は真っ直ぐ、見つめている。先輩も真っ直ぐこちらを見ている。やがて先輩の方が目を逸らす。
「『その目、知っているよ咲夜ちゃん。めだかちゃんや善吉ちゃんと同じ諦めない奴の目だ。
本当のことって君は言うけど、僕は君には嘘じゃないこともちゃんと言ってるんだぜ。さっきのだって嘘じゃあない』」
「概ね本当でしょう。でも、まだ隠してるというか、言っていないことがあるって私思うんです」
「『あるとして素直に言うと思ってるのなら、それはおめでたい頭だよ』」
なぜ先輩はそこまで頑ななのだろう。
私も馬鹿じゃない。なんとなく、先輩の本音は感じとっている。私を拒絶する振りをしているのだってちゃんとわかる。
「何がそんなに怖いの」
ピタリと先輩の動きが停止する。ほんの一瞬、だけど確かに彼は動揺した。
『球磨川先輩。今だけは、あなたの嘘を聞きたくない』
ガシャン。
錠の音。
動揺している今だったから、多分効いたのだと思う。これくらいのこと、先輩ならきっと予測していただろうから。あるいは、予測していて鍵をかけさせたのかもしれない。それこそ本当のことはわからないのだけれど。
「なるほど。鍵をかけられちゃ、しょうがない。本当のこと言うからさ。おとなしく諦めてよ咲夜ちゃん。
そうだね、三年前の話からしよう。
あの頃、僕が好きだったのは安心院さんだった。それは本当のことだよ。
でも、三年前のあの日。僕が君を振り払った時、君はまた全てに鍵をかけた。君は出生の秘密と同じように、いやそれ以上に僕への憧憬を扱っていた。それを知って僕は、やっぱり嬉しかった。そして再び鍵を開けた時、君は思った通りに深く傷ついた。それこそ、壊れてしまう程に。それも僕は嬉しかったんだ。 君の中にいる僕がどれほど大きいかしれば知る程、先にも後にも、もう僕をこんな風に想ってくれる人が現れないことを感じた。
僕はね。嫌なんだ。君だけは僕と同じところへ引きずりおろしたくない。僕が好きなのは、光も闇も持ちながら、それでもまっすぐに前を見て、しゃんと歩く素敵な女の子なんだから。
だからさ、諦めてよ。昔だったら君を引きずり下ろしていくことを楽しめただろうけど、生憎今は楽しめそうにないんだ」
観念した。そう目を閉じて先輩はゆっくり小さな声で語る。
「わかっただろ。僕は君の気持ちには応えないし、第二ボタンもあげない。もちろん心臓もね。だから諦めて帰って泣いて寝て、新しい誰かを見つけて幸せに穏やかに長く生きて眠るように死んでよ。それをするのに、僕は必要ないだろう」
話はこれでおわり、そう言うように立ち上がり、彼は私の横を通りすぎる。
その腕をぎゅっと捕まえてやる。
「ねぇ、先輩。プラスとかマイナスとか、過負荷とか異常とか普通とか特別とか、そんなのは関係ないんじゃないかなって私、最近思うんです。そんな物があろうが無かろうが、私は私だし、先輩は先輩なんです。
私、今の私のこと好きです。それで、その好きな私になれたのは先輩が居たからなんです。私、引きずり下ろされたりなんか一度だってしてない。逆にいつも先輩が私に道を見せてくれてきたんですから。
それとね、私。先輩と過ごしてきた時間の中で、楽しいことだけじゃなくて悲しいこと、辛いこといっぱいありました。だけれど、そのどの瞬間も決して不幸ではなかった。
あなたといて、私は不幸になんか絶対にならないんです」
球磨川先輩は振り返らない。
私は彼の手首を掴んで、その手を自分の胸に当てる。
ぎょっとして、彼が私を見る。ようやく振り返ったのだ。その目はまん丸に見開かれている。
心臓が早鐘を打っている。めだかちゃんじゃないけれど、全身が心臓になってしまったのではなかろうかと言うくらいどきどきしている。口の中がカラカラで、息もあがる。それを整えて、私は告げる。
「私、球磨川先輩のことが好きです。
はじめは先輩の言うように刷り込みのような憧憬だったり、依存だったりしたのかもしれない。だけど、今のこの気持ちは本物なんだって、私ちゃんと証明できます。
だってこんなにどきどきしてるんです。胸が苦しくて、体の内側から暖かい物が止めどなく溢れてくる。これが、恋じゃなければ、愛じゃないなら、いったいなんなんですか」
驚いた表情のまま、彼はまだ私を見つめている。その頬だけが先ほどと違って色を帯びている。
「あはは。参ったなぁ。ほんとうに参ったなぁ。こんなの卑怯じゃないか。ずるいよ。こんな風にまっすぐに言われちゃあ。僕にはもう本当に嘘がつけないじゃないかよ」
彼は唖然としたままそう言った。それから、私の手を優しく振りほどいて、こつんと私の肩に頭を乗せた。
「ほんと、惚れたぜ。咲夜ちゃん、君のそのまっすぐなところに僕は惚れた。今のこの君の言葉に惚れた。
本当に本当に、君は素敵な女の子になったね」
そう途切れ途切れに言う先輩の肩は震えていて、私の肩には暖かい物が染みていく。
「先輩はほんと涙もろくなりましたね」
「誰のせいだよ」
「私のせいですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「いいえ、誰も」
そう言葉を交わしながら、彼は私の背に腕を回して強く強く力を込めた。その力の強さに、見た目より広い肩幅に、ようやく今抱きしめられていることに気がつき、鼓動がさらに加速する。
「ねぇ先輩、私、ずっと先輩のそばに居てもいいですか?」
「当たり前だろ。どっか行こうもんなら殺してでも連れ戻す」
「それは、こわいなぁ」
二人の間には、熱と言葉だけがある。
「君が僕をここまで惚れさせたんだぜ! 責任とってよね」
「もちろん。これから先の一生かけて、責任を取らさせていただきますので、覚悟しといてください」
「なんか、逆だよなぁこれ。これじゃあ咲夜ちゃんの方が彼氏みたいじゃないか」
「え、ダメですか? 結婚式では私がタキシード着て、先輩がウェディングドレスを着るんです。きっと似合いますよ」
ふざけた掛け合いの後、体が離れる。
「なるほど、そして僕は君の手を取って言うんだ。『一生君を不幸にしてあげる』って。ふぅん、悪くないね。僕がウェディングドレスを着ること以外は。
ねぇ、咲夜ちゃん」
改まって先輩は右手で私の手を取る。左手で私の頬を撫ぜて、とびっきりの悪い笑顔を私に見せた。
「『一生かけて君をとびきりの不幸にしてあげる』」
「なら私は、一生かけて球磨川先輩をとびきり幸せにしてあげます」
それを言ってから、急にすごく恥ずかしいことを言った気分になって、火照る頬をパタパタと扇いだ。
先輩から顔をそらして、視線をさまよわせ、私は固まる。
「よ! あ、あはは。お邪魔だった、よな」
人吉が、開きかけた扉から顔を覗かせていて、その後ろからめだかちゃんやもがなちゃん、阿久根や江迎ちゃん、名瀬さんなどたくさんの人の気配がする。
「『そうだよ。お邪魔だよ。僕たちはこれからイチャイチャするんだから、みんな早く帰ってよね』」
頬を膨らませて先輩が言う。その腕は私の腰にしっかりとまわっている。
「えっ、ちょっとまって」
真っ赤になってわたわたとする私に構わず、先輩がまとわりついてくる。顔が、近い。
「あっちょっと、ん、んーーーーー!!!!」
ざわめきが、扉の向こうを駆け巡った。でもすぐに扉の向こうの音は遠ざかってしまった。それは、彼らが気をきかせたのかもしれないし、単純に私がそれどころではなくなってしまったからかもしれなかった。
唇が熱い。火の灯ったかのように。
頭がくらくらとして、しばらくは先輩のことしか考えられそうになかった。

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