閑話 安心院十年祭
「そういえば、咲夜さんを見てないな」
人吉が辺りを見回した。今日は安心院なじみがいなくなってからちょうど十年、その節目の集まりだ。なんだかんだ忙しいながら、その日だけはやってくる咲夜の姿が見えない。
「まぁ、そうだろうな」
人吉にそう返したのは名瀬である。
人吉も名瀬もこの十年でだいぶ変わった。人吉は黒神グループでサラリーマンとして働いており、名瀬は学園に残って研究者としてフラスコ計画を続けている。
「昨日こんなもん届いたからな」
名瀬が取り出したのは一枚の絵葉書。大きな大きな滝の写真の絵葉書だ。
「これはエンゼルフォールか」
横から覗き込んできたのは阿久根。彼は今は子供のおもちゃを作る会社を経営している。
「冒険家殿はそこを気に入ってたからな。今年は戻ってこないだろ」
名瀬は咲夜の顔を思い浮かべて微笑む。卒業後咲夜は冒険家になり、数々の秘境や山を制覇していった。史上最年少、最短期間で七大陸最高峰を制覇した記録は、今のところ破られていない。
その彼女が、一番魅せられたのがギアナ高地のエンゼルフォール。彼女が滝に夢中になって安心院十年祭を忘れているということは十分に考えられた。
「咲夜さんが冒険家になったのってやっぱり……」
子供を抱えた喜界島もがな、もとい旧・喜界島が言葉を濁す。
「球磨川さんの事があったからだろうな。本当、あの人は……。あの事件の後咲夜さん見たことないくらい怒ってたもんなぁ」
人吉が溜息をつく。
その横で、ハガキを眺めていた黒神めだかが声をあげる。
「ふむ。これはもしかしたら、あの人ももう戻ってこないかもしれないな」
写真に映る岩山のあたり、写真の角度を変えると薄い凹凸が見えた。
「癖のある筆記体だが、こう書いてある。『箱の外で全てを見つけた。箱を開ければ、全てはそこから始まる』」
めだかがその薄い文字を解読する。
「箱、箱ねぇ」
誰からともなくその言葉が発せられる。
「球磨川がいなくなって、箱庭から卒業して、日本という島国から出て、咲夜ちゃんは自分という箱から本当の意味で出ることができたのかもしれないな」
黒神めだかが穏やかに言った言葉に、その場の誰もが微笑んでいた。
「確かにそうかもな。一度は自分を封印したあの人が、今じゃ誰より自分らしく生きてる気がするもんなぁ」
人吉の見上げた空は青い。地球の裏側で、彼女も同じ空を見ているのかもしれない。

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