01 錠の開く音
最初の再会は入学式の二週間前。出来上がった制服を受け取りに出掛けた日。
着てみて裾や袖の長さを確認し、上着の内側に刺繍された如月咲夜の文字に少し胸踊らせたその帰り道だ。
遭うべくして遭ってしまった。そう記憶している。

住宅街の路地を縫うように歩くような子供らしさが、小学校を出たばかりの私にはまだ残っていた。いくつもの家やアパートの脇を抜けて、また新しい路地に入ってを繰り返す。十三本目の路地、数メートル先に真っ黒な人間が落ちていた。黒い学ラン、黒い髪、黒い目、幼い顔立ち、淀んだ空気。目が合う。足が止まる。
制服がこれから通う箱舟中学のものだと、すぐにわかった。ただ、足が止まったのは制服のせいではない。その淀んだ空気を知っていたからだ。
間違いなく彼であることを認識してから近づく。彼は倒れたまま無表情でこちらを見つめている。
「『やぁ。知らない人』」
びくりと肩が跳ね上がる。
「『君は隠そうとしてるみたいだけど。薄くしたって隠せてないぜ、その空気は』」
彼のにまりという笑みの暗さ。自然に身体がぶるりと震えた。
彼は思い出しこそせずとも、私が『何』だか感づいている。同族だからだろうか。どくどくと心臓が暴れる。もうこの先一生『普通』の振りなどしてはいられまい。そう思わされる嫌な迫力が彼の言葉には宿っていた。
彼はゆっくり立ち上がって近づいてくる。額から一筋血が流れている。ゆっくりと彼の頬を伝い流れる血を眺めているうちに、彼は目の前まで来た。血は顎まで達し、今にも制服に垂れそうになっている。
「あっ……」
私は反射的に落ちた血の滴を左手で受け止めた。ドサっと手から離れた制服の紙袋が地面に落ちる。右手でポケットを漁って慌ただしくハンカチを取り出して彼の顔を拭う。制服に血をつけてはいけない。割って入ったその思考が、私の予感の渦をとりあえず止めたのだった。
「押さえて」
彼の手にハンカチを押し付け、額を押さえろと促す。
「それあげるから。病院行って……ください」
彼が自分の先輩にあたると気がつき、敬語に改める。彼はにやにやと私の顔を見つめている。
「『何があったとかそういうことは聞かないんだね?』」
私は眉をひそめる。何故聞かなければならないのか。聞いて巻き込まれるのはめんどうだし、事情などそもそもどうでもいい。
素直にそう伝えると、彼はやっぱり僕と同じだと言った。
レベルが段違いと思ったが黙っておいた。
「『入学式楽しみにしてるよ』」
彼は私の横を通りすぎてそのまま去っていった。私、箱舟中学とは言ってないのに。思いながら足元に目を落として合点する。制服の紙袋から判断したのか。
拾い上げながら、また遭ってしまうんだろうと思った。今、『普通』の生活が難なく出来ていることを考えれば、決して関わりたくない相手だ。だが、先程の予感が胸にどろどろ渦を巻く。
もう『普通』には暮らしていかれないだろうという予感。
『普通』にできないんならいっそめちゃくちゃの方がいい。そう思うあたりが私も『過負荷』を持っている証拠だ。

それから入学式までの二週間に私は四度も彼に遭遇するハメになった。彼は、『過負荷』は引かれ合うなどと冗談めかして言っていたが、もちろんいずれも偶然だ。なんとなく散歩に出た時、醤油が切れて慌てて買いに出た時、そういう時に限ってだった。しかも毎回怪我をしてるものだから、三度目以降はいつ遭遇してもいいように手当ての道具を鞄に入れるようになっていた。あっさり適応している自分が恐い。
しかし、私達はお互い名乗るでもなく傷を手当てして別れるだけの関係。どうせ学校に通うようになれば嫌でも互いを知るのだからそれでよかった。

六度目は入学式だった。退屈な儀式とホームルームを終えて階段を下る途中だった。
叩きつけるような大きな物音がした。外からだ。この頃には察しも良くなっていたので、慌てず騒がず校舎裏に向かう。
途中で金髪の綺麗な男の子とすれ違った。校章は一年生のもの。でもまぁ校舎裏から出てきた事を考えれば結論は一つだろう。
非常階段の下に彼はいた。今回も傷ついている。
「新入生にまでやられるなんて、相当ですよ。」
彼は不思議そうに首を傾げた。
「『今日はどんな偶然?』」
言われて気がつく。今日は偶然ではない。傷を消毒しながら答える。
「大きな音がしたんで、察して来てあげたんですよ」
「『咲夜ちゃん、やっと僕に興味を持ってくれたんだね』」
背筋が凍った。
名札はつけてない。今まで名乗ったこともない。
「『いい驚きっぷりだね。癖になりそう。あまりにも良く会うからほんのちょっと調べてみたのさ』」
話の雲行きが怪しくなってきた。
「『そしたらびっくりだよ。あの病院で一人だけ治療の効果があった人間がいただなんて。それが君だろ、 如月咲夜ちゃん。僕らは一度あの病院で出会ってるんだろうね』」
彼は黙ってる私を意に介さないかのようにしゃべり続ける。
「『まぁ、そんなとこだろうとは思ってたんだけど。君は治療の成果で『異常』や『過負荷』を無理矢理身体に押さえ込んで『普通』に擬態して生きてきたってわけだ。本当の咲夜ちゃんはどこにいるんだろうね?』」
喉が詰まったかのように声が出ない。それは事実だったから。私は私の本質を箱に隠して押さえ込んで鍵をかけて生きている。
私のことを私も理解できないまま、理解されることを諦めてきた。異形に生まれてきた私では生きていかれない。そう知っていたから、知られることを諦めてきた。嫌われたくないから、近づくことを諦めてきた。
私の心は今も鍵のかかった箱の中で、見つけられることに怯えている。そしてその反面で、怯え続けることに飽きている。
彼は私が揺れているのを察知して、私に優しく手を伸ばす。すがってはいけない。すがってしまいたい。ダメだ。でも。どうせ私を巻き込むならめちゃくちゃにしてほしい。私の手は震えながらも彼の手に乗せられる。
「『咲夜ちゃん。君は例えるならパンドラの箱だよ。その身体という箱に何を飼っているんだろうね。その鍵、僕が開けてあげよっか』」
そっと手が握られる。じんわりと温かい手の感触が、びりびりと私の身体を震わせる。
彼は微笑んでいる。艶っぽく目を細めて。私は生唾を飲んで、錆びた鉄のような首をギギギと縦に動かした。
満足そうに私を見て、彼は手を離す。
「『大丈夫。僕は君がどんなに気味が悪くても、どんな不幸を吐き出しても、受け入れてあげる』」
がしゃん。
大きな音が響いた。どっと力が抜けてへたりこむ。それは私が一番欲しかった言葉。手に入らないと諦めていた言葉。彼は何故この言葉だとわかったのだろう。
「よくわかりましたね」
「『自分が弱いと他人の弱さもよく見えるものさ』」
自分の身体を気持ち悪い気が駆け巡る。気をつけないと、あらゆるものに鍵をかけてしまいそう。
そう、それが私の『過負荷』。私の言葉は気をつけないと様々なものに鍵をかける。記憶だったり、身体の機能だったり、物理的な錠でもだ。
もちろんかけた鍵は開けられる。言葉でこじ開ける。逆に言えば自分がかけた鍵でなくても開けられるのだろう。しかし、生憎私は十年間、能力自体に鍵をかけてしまいこんできた。制御を放棄してきた。そんな複雑なことはできない。
鍵をかけないだけで手一杯だ。
「こんなにキツかったっけ」
「『そんなもんだよ。僕らは』」
彼は膝を払って立ち上がる。
「『じゃあね。咲夜ちゃん。また遭おう』」
手を振りながら去っていく背中に私は問いかける。
「名前、聞いてない」
彼は足を止めて振り返る。
「『球磨川禊』」
私は彼が視界から消えるまで、へたりこんだまま見つめていた。

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