21 月のない夜
人吉がわざと攻撃を受ける。それを起点に、反撃の蹴りを放つ。言彦は不知火に瞬間だけ体を返す。人吉の動きが止まる。
戦いの行方を見守る私の隣にごく自然に贄波さんが泰然と座っている。
体制を崩した人吉の身体を引き裂こうと言彦が振りかぶる。しかし、その体は動かない。体の制御権をほんの一瞬手放した時から、彼は負けていたのだ。不知火半袖という女の子は転んでただで起き上がるような子ではない。チャンスに貪欲な少女である。
人吉の渾身の蹴りが決まる。不知火の体から、おぞましいオーラが去ってゆく。
不可逆が可逆に変わる。ここからはまた私の仕事だ。赤青黄の姿で、皆の間を走り回る。めだかの死も『大嘘憑き』の存在で取り消しになる。
皆生きている。
ほっとしたら腰が抜けた。
再会を喜んでいるところ、不意に辺りに響く携帯の着信音。出処は球磨川先輩のポケットだ。
「『武器子さん? どうしたの?』」
知らぬ女の名前に耳が自然とそちらへ向く。
「『めだかちゃんがいいんだってさ』」
めだかちゃんは先輩から携帯を受け取ると、皆にも聞こえるようにスピーカーを切り替える。
「めだかさん。この間の三次会場のお月様なのですが、現在、超高速で落下中なのです」
「……はい?」
皆、思わず目を見開く。
私には覚えがあった。猫の間に博士がそんな遺言を呟いていたことに。
「まさか。あれも『スタイル』だったっていうの」
ほとんど叫ぶような私の声に、電話から反応がある。
「そちらの状況はわかっている。鶴喰博士が死んだのだろう。だからこそだ。『遺言』なんだよ。我輩の言うことがわかるな」
先程とは違う声だ。
桃園という呟きがめだかちゃんから漏れる。
「わかった。ありがとう」
めだかちゃんが静かに電話を切る。
既にここにいる全員が嫌な予感を感じていた。私たちはよく知っている。黒神めだかという少女をよく知っている。
彼女は窓の外に目を向けてから、私達を見回した。その表情はいつものめだかちゃんだった。だからこそ、私達は確信する。彼女のやろうとしていることを。
「めだかちゃん、何考えてんだよ!」
そう言って今にも飛びかかりそうな人吉を私は抑えこんだ。
落ちてくる月を、巨大な天体をどうにかできる人間がこの世にそういないことを私は知っている。それをできるのはこの事実を知る一握りの中では彼女だけだろう。
そして私達はもうひとつ理解してしまっている。
「私は今から月を壊しに行ってくるよ。多分戻ってはこれないから、みんなによろしくな」
彼女に会えるのがこれで最後になるだろうことを。
「『やれやれだぜ』」
その先輩の言葉とともにドンと足に強い衝撃を感じた。
振り返れば彼女と一緒に行こうと動きかけた者たちがいっせいに螺子伏せられている。私の足にも深々螺子が刺さって、立ったまま釘付けにされている。
「球磨川先輩、あなたにはいつも辛い役回りをさせるな。すまなかった」
めだかちゃんは噛みしめるように言う。みんな気絶していて、その言葉を聞けるのは私と先輩だけであった。
何も言えずにいる私たちに、めだかちゃんはさらに続ける。
「それににしても、やはり咲夜先輩には甘いな。それも、あなたらしくないほど分かりやすく」
「『めだかちゃん』」
先輩の咎めるような声に、両手を上げてめだかちゃんはまぁまぁとたしなめる。
「めだかちゃん。行く前に、一つだけいい?」
私は意を決して声をかけた。彼女に確実に声を届けられる機会はこれが最後だ。
「なんだ、咲夜先輩」
めだかちゃんは穏やかに聞いてくれる。
「ちゃんとお礼を言っておきたい。めだかちゃん、三年前のあの時も時計塔の事件の時も、私を見捨てないでくれてありがとう。あなたの存在があったから今もここに私は居られる」
めだかちゃんはほんの少しだけ面食らったらしい。目を二回瞬かせ、それからほほえんだ。
「私はこの男との約束を果たしただけだよ」
「『めだかちゃん! だからそれは』」
食らいつく球磨川先輩にも同じ微笑みを彼女は向ける。
「いいじゃないか。本当のことなんだから」
「『でも、それじゃカッコつかないだろ!』」
隣に立つ先輩がすこしむくれているのがわかった。
その様子を見て、私はやっと十分なんだと思えた。私のために誰かが何かをしてくれた。それが何かわからなくたって、してくれたことが分かってれば十分だ。それだけで私は嬉しい。
何をしてもらった、何をした。どちらも大事だけれど、それ以上にそこで私が何を感じたかが大事なことなのかもしれない。
そう思えた時、私はやっと三年前の出来事を本当の意味で振り払えたのだろうと思う。
気がつけば、二人の会話に口を挟んでいた。
「ずっとね、その時のこと全部知りたいって思ってた。自分のしでかしたことも、してもらったことも、どの事件も全部全部、あそこで起こったことをね。でも、もういいんだ。先輩が私のために何かしてくれたらしい。そして、それに応えてめだかちゃんがずっと私を見守ってくれてた。それだけ分かってれば十分。本当に嬉しかった。思い出すと今でも幸せな気持ちになる。二人ともありがとう」
二人は目を見合わせふぅと息を吐く。その表情は柔らかい。
「あなたは変わった。ほんと、びっくりするぐらい。先輩と友達になれて本当に良かったな。咲夜先輩は私にはないものの見方をするから」
めだかちゃんはそう言って、こんどは球磨川先輩に向き直る。
「球磨川先輩、貴様と喧嘩してる時間が一番楽しかった。お兄ちゃんがいたらこんな感じだろうなって」
「『いるじゃない、お兄ちゃん』」
「それもかなりの妹大好きお兄ちゃんが」
「あははそれもそうだ。確かに。あはは」
からからと三人で笑う。
その中で球磨川先輩は急に神妙な顔になり、話し出す。
「『わかりきってるんだ。なんだかんだ言ってめだかちゃんは帰ってくる。なんなら賭けてもいい。そして、卒業式には僕の第二ボタンをもらいに来るんだ』」
第二ボタンという言葉に私はちょっとばかりどきりとする。
そんなことにお構いなく会話は続く。
「それは欲しい、是非とも欲しい。帰って来ないとな。ふふふ、だけど私は第二ボタンは遠慮させてもらうよ。その代わりに貴様の校章でも貰おうかな」
少しだけなんだか私は安堵する。そんな自分の現金さには自分でも呆れてしまうのだが、これは人を想う人間の性だろう。
「『ちゃっかりボタンより良いものねだるあたりは流石めだかちゃんだね』」
先輩は軽く笑って、めだかちゃんの肩を叩く。
今度こそお別れの時間だった。
「末長くお幸せにな、禊」
「『じゃあね、人間』」
球磨川先輩に別れを告げて、めだかちゃんは私の前に立つ。
「めだかちゃん、大好きだよ。ずっと」
「私もですよ、先輩」
それだけ言って、彼女は後ろを向いて歩き始める。その視線が一瞬、私の背後をさまよったのを知っているのは私と先輩だけだ。多分生涯、その二人だけだ。
彼女を見送って、私たちは人吉達を連れ帰るために背後を振り返った。

帰りの電車に揺られながら、私は今回のことを考えていた。疲れきったためか皆もう眠ってしまって、起きているのは私だけだろう。
先程の戦いを思い出すと、今更ながら怖い。強がってはいたけれど、どうしようもなく私は怖かった。今度こそ死ぬと思った。
私は既に一度死にかけている。数ヶ月前の宗像との戦いの時に。その時も怖かった。死ぬこともそうだったが、その後私の言葉を遮った先輩の見えない心も怖かった。
何をしてるんだ私は。明日はいつもの一日じゃないかもしれないかもしれないのに、何をのんきにしていたんだろう。
ぼんやりと窓の外の月を見上げる。
あの月は、明日はもう見られない。めだかちゃんが命を賭けて壊しに行くから。
月が綺麗ですね、などという戯れはもう使えなくなる。
「月が綺麗ですね」
そっと呟いてみる。隣で眠る球磨川先輩には届かないくらい小さな声で。
「『おいおいおいおい。なんだよ感傷に浸っちゃったりしてさ。ヒロイン気取ってるみたいだけど、この話の本当のヒロインはめだかちゃんなんだぜ?』」
ビクリと肩が震える。
そっと横を見れば、肘掛けに頬杖をついた先輩がニヤニヤと私を見つめている。
「だって今日しか言えないんですよ。明日は月がない夜です。これからはずっとずっと、月のない夜なんです。今、言わなきゃもったいないじゃないですか。月が綺麗です。本当に綺麗です。ほら、先輩もご一緒に」
そう私もニヤニヤと返す。先輩は表情は変えずに肩だけを大仰にすくめて、寝返りを打つように私に背を向けた。
そのままもう一眠りするらしかった。
「ねぇ先輩、私も信じます。めだかちゃんはきっと帰ってくる。もしそうなったら、ちゃんと話をしましょう。私達もそうするべきです。ちゃんと決着をつけるべきです」
先輩は答えない。
私はその背中から目を離して、窓の外に視線を戻す。
「本当に綺麗な月」
夜空に浮かぶいつもより一層大きな月の光を浴びながら、私もそっと目を閉じた。

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