20 最期の輝望
黒猫はただただ立ちすくんでいた。目の前で起きたことがわからなくて。瞬きをしたら場面が切り替わった。そんな印象だった。
直前まで、博士に撫でられていたはずだった。ところが今はどうだろう。目の前の部屋は破壊し尽くされ、己の見知った人たちはみな傷ついている。
そして向こうに見える不知火からは恐ろしいオーラを感じる。それに対する黒神めだかは満身創痍だ。この時点で既に一度、彼女の心臓がとまってしまていることを猫は知らない。
猫にわかったのは、自分の大好きな人たちがとんでもなく追い込まれているということだ。彼女はすぐに黒い学ランの人物の目の前に移動する。そして、すがるように鼻を鳴らす。
「『だめだ。僕は君を戻す呪文を知らないんだから』」
彼はそう、傷だらけなのに、息を吐くように嘘をつく。
猫は今一度、鼻を鳴らす。そして、彼の足元に鼻を寄せる。
「『だめだってば。開けたら戦うつもりだろ』」
目の前に座り込んでじっと瞳を見つめる。
「『ダメだったら』」
背後で巨大なものが揺らめく気配がする。黒神めだかと獅子目言彦であるとなんとなく猫は知っている。そして既に嗅ぎ分けている。獅子目言彦が不知火の体にいることを。
「『 獅子目言彦を君は見てない。分かってないぜ。僕らや君じゃ勝負の土俵にさえ上がることができない。彼の攻撃は不可逆だ。一撃でも受ければ、その傷はもう治らない』」
それでも猫は球磨川を見つめて鼻を鳴らす。
その横で、ウッと人吉がうめく。そして一層血の匂いが濃くなる。
背後で、言彦の爪が深々とめだかの体に刺さったのだ。
益々恨みがましい目で猫は見上げる。
「だめだってば」
かっこが外れる。
「だめだ。だめだだめだ。絶対だめだ」
恨みがましい目で、歯を剥き出しにして猫は言葉を強いる。
「そんな顔をしても、ダメだよ」
背後でズルズルと音がする。すがるめだかの体を言彦が引きずる音だ。
唸り声をあげてなお、球磨川が言わないことにとうとう猫は痺れを切らす。猫はふいと顔をそらし、反転するとめだかの元へ駆け出そうとする。その足を間一髪、球磨川は掴むことに成功する。
しかし、それをスルリと猫はすりぬけた。
「……咲夜ちゃん、僕の負けだ。だから、戻ってきて」
球磨川らしからぬ、焦りに満ちた声だった。
猫が足を止める。
背後で言彦がめだかを蹴りつけている。
球磨川は苦い顔で絞り出すように言う。
「鍵を開けてあげる。だけど、君は戦っちゃいけない。スキルは通じないんだから。だから戻ってきて。『僕には君が必要なんだよ』」
ガシャン。
大きな音がして鍵が外れる。
私は、胸まで蛇の姿で皆の前に立つ。
「その姿」
そう驚く皆に一言だけ返す。
「だって服ないんだもん」
振り返る。めだかから言彦はこちらに目を向けている。
諦めないめだかの心を折るために、彼はこちらに標的を変えようとしている。そう気がついた時に、体の中でわっと何かが燃えあがった。身体が大きく震えて、その一瞬の間に理解する。
あぁ、いましかできない。今しか言えない。一回だけしか使えない安心院のくれたスキル『最期の輝望(ロストボーダー)』がいつの間にか発動している。
頭の中がものすごくクリアで、その中を彼女のくれた言葉達がものすごい勢いで巡っている。全てがスローに見える。
今なら言える。
『可逆? 不可逆? そんなこと知ったことかよ! 私の仲間は誰一人、殺させない!いなくなんてならせない!! 先にいなくなるのはあんたの方だ!!』
私の舌に宣の文字が一瞬だけ舌に浮かんだ。一度っきりのスタイル。宣言遣い。
言彦がこちらに目を向けている。そして、腕を振るう。
まだ体に『最後の輝望』の余韻が残っている。
「『正体不明(パンドラボックス)』」
私が姿を変えたのは杠かけがえ。そして劣化の嘘八百に劣化の嘘八百を重ね、肉壁を作る。隣で本物の杠かけがえが同じことをしている。
劣化とはいえ、体質ではなく技術をトレースできたのはこれが最初で最後のことだった。まさしく、一度っきりのスキルの恩恵だ。
と、物を考えられたのはそこまでだった。そこで唐突にスキルの効果が切れた。気がついた時にはみんなまとめて床に倒れ伏している。死にはしなかったものの、皆虫の息で気絶している。しかし、それも時間の問題に見えた。
その中でどうやら自分だけが辛うじて意識を保っているらしい。
向こう側にいる杠かけがえと寿常套も同様意識はあるようだが、息は絶え絶えだ。
そして、めだかの姿が見えない。
目を凝らしてみると、彼女はコンクリートの隙間に挟まっている。息があるようには到底見えなかった。
ぐらつきながら立ち上がる。状況はよくわからないままだったが、戦わねばならないことだけ認識した。
「あそこまでして、誰のことも守れないまんまは嫌だ」
その肩をきゅっと掴まれた。
「少年誌で全裸はダメでしょ。前科もあるしね」
知らぬ少女だった。
「あんたに何がわかるの」
「わかるよ。わかるわかる。満身創痍のあんたより、傷を負ってないあたしが戦う方が時間が稼げることくらいは」
軽い調子で話す彼女は真剣を持ってふらふらと私の前に出る。
「まーまー怖い顔せず、この贄波さんとあっちの二人に任せなさいって」
そう言いながら私の肩を押す、少しの力で私の体はバランスを崩して地に伏した。
贄波は杠と寿に何かを話した。その後すぐに私のところへ戻って来た。
「一応聞くけど、あんた、自分が何を言ったかわかってる?」
それが先ほどのスキルの助力で放った宣言のスタイルのことを言っているのだということは分かった。
「あれがどうしたの」
起き上がれぬままにそう返す。
「その様子だと、言った本人が分かってなさそうだ。と、言う訳で贄波さんのドキドキスタイル解説講座〜」
小声ながら弾んだ態度、それを真顔でやる様はギャグが滑った時のようなうすら寒さがした。
「『宣言』ってスタイルはね。望みを叶えるスタイルなんだよ。一つを成し遂げることを宣言し、やり遂げることで、もう一つの望みが叶うのさ。あんたが宣言した内容は、あの時点で生きてる仲間を誰も殺させずに言彦を撃退すること。そして、報酬は不可逆を可逆に変える事だ。これで首の皮一枚、私達は繋がってる。誰も死なせず、言彦を追い返さなくちゃいけない。文字通り、言い出しっぺのあんたにも少しだけ手伝ってもらうよ」
早口に彼女はそうまくしたてた。
気だるい体を起こすと、手を握られる。体に振動が伝わってくる。
「プランはあるんだよーん。だけど、時間が足りない。人吉を動ける状態にして、スタイルを伝播させるまで、杠だけじゃ、時間を稼ぎきれないだろうから。あんたには、杠が稼ぎきれなかった時間を稼いでもらう。今、あんたにスタイルを共振させてる。この『逆説』はほんの一時のものだけど、あんたなら多少はどうにかなりそうだからどうにかして」
目をつむって振動を体に染み込ませていく。
「随分無責任な言い方するんだね。でも、そうするしかないのなら仕方が無い。やるよ。やってやる。だから贄波さん。そのあとはあんたに頼むよ」
「こちらこそ、なるだけ時間を稼いでよ。人吉はあんたみたいに短時間じゃ伝えられないだろうから。コツは一つだ、相手の心をつかんで相手と共鳴すること。他人になりきるのが得意なあんた向きの仕事じゃないかな」
先の全裸の件と合わせて、その情報はいつ集めたんだ。そう喉元まで出かかったが、言うのはやめにした。勝てばいくらでも機会がある。
ぐったりしたまま動かないめだかのことも気になったが、すぐに頭から振り払う。それも勝てば済むことだ。
このやりとりの間ずっと戦っていた杠の足がもつれた。贄波の手を振り払って、すかさず間に割って入る。杠の手から、真剣を奪うことも忘れてはいない。
目の前の言彦に私から言うべきことは何もない。黙って剣を構える。
前に立つだけで、圧倒的な実力差が感じられた。私では勝てない。だからこそ、簡単には負けない。私では弱すぎる。だからこそ、戦いになる。戦ってはいけない相手だ。だからこそ、逃げない。
言彦の爪と私の刃が交差する音が止まない。私には、周りを伺う余裕がない。だから、贄波の計画がどこまで進んでいるのか知ることができない。
振り下ろされた爪を受けて弾く。空いた懐に刀を振り下ろす。が、もう片方の爪に弾かれる。
そんなことをどれだけ繰り返したろう。自分の限界が見えてきた。
足元が乱れた。言彦はそれをみすみす見逃すような敵ではない。突き出された爪を刀と強固な鱗で固めた腕でガードするが、それをも突き破って腹に深々と刺さった。
言彦がその腕を振ると、私はたやすく跳ね飛ばされる。
落下点に突き出したコンクリートが見えた。最後の力を振り絞って、体重の軽い小鳥に変わる。
その小さな体を大きな手が受け止めた。
「お待たせしました。如月先輩。アンタの繋いだ最後の希望、俺がきっちり回収しますから、ゆっくり休んでてくださいや」
頼もしい後輩の手だった。大人しくふらふらとその場を飛んで離れて、球磨川先輩の隣に戻った。
私の仕事は終わったのだ。
私は人吉と言彦もとい不知火の戦いに目を戻す。祈るようにギュッと床をつかむ足に力を込めた。

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