閑話 たったひとり君だけが
ようやく、彼女の足取りを掴んだ。
黒神めだかは本当は漆黒宴へ彼女を連れていくつもりだったらしい。それを頼み込んでまで、置いて行ったのに、戻ってみれば彼女の姿はどこにもなかった。
「『咲夜ちゃん。君は本当にすぐそうやって拗ねるんだもん。参っちゃうなぁ』」
その彼女は思いもがけないところにいた。旧箱庭病院。球磨川禊と如月咲夜が共に通ったあの病院である。
「『その姿は僕への当てつけかな? それとも本当に猫なのかな? あれ、咲夜ちゃん? 咲夜ちゃんだよね? あれ、こんな感じの目つき悪い猫だったよね? あれ?』」
「球磨川、それ違うだろ。大体それ三毛猫だろ?! 咲夜さんはあれだよもっとこうシュッとした感じのあれだよ。それに今も猫とは限らないだろ」
そう言いながら人吉は顎で進むように促す。
球磨川は撫でていた猫を下ろして、歩き出す。
バラバラになりながらようやくここまでたどり着いた。残るはこの奥、院長室のみだ。
「『やだなぁ善吉ちゃん。まさか本気にしてたのかい?』」
「もっかい殴るぞ」
つい先ほどの不知火との戦いで球磨川は既に手痛いパンチをもらっている。ちなみにそれは、人吉に殴られたものである。
「『でも、僕が善吉ちゃんを一時的になかったことにしたから君らは仲直りできたんじゃないか。感謝して欲しい位だぜ』」
「たとえそれが本当だとしても、アンタに感謝するのはいやですね」
大人しく二人の横を歩く不知火が肩を竦める。
奥の部屋がみえてくる。
中の様子を見て、三人は息を飲む。先ほど別れた鶴喰鴎が倒れ伏しており、それを覗き込んで贄波がひらひらと手を振っている。
「おーい。鶴喰ぃ、バーミー、鴎ちゃーん。だめだねこりゃ。完全に伸びちゃってるわ」
その呑気な女の向こうに腰掛けている壮年の男性。白衣のその男こそ、鶴喰梟。如月咲夜を連れ去り、不知火半袖を監禁した人物。
「どうしたんだよ、それ」
人吉が、鶴喰鴎に駆け寄る。それを見下ろしながら、目の前の男が口を開く。
「決まってるじゃないか、負けたからだよ。だからこうして、転がってるのさ。さて、俺が用のあるのは袖ちゃんでね。帰ってきてくれるね?」
それを聞いた不知火の表情が引きつる。だが、彼女も腐っても過負荷だ。引きつりながらも顔は笑顔を作ろうとしている。
しかしそこから、微かに拒絶を読み取った博士は仕方が無いかとつぶやく。
「袖ちゃんが話を受けてくれないなら仕方が無い。さっきまでなら、鎖で繋いでてもと思っていたけど、今、話が変わったんだよ」
そう言う博士の目は球磨川に向いている。
しかし、球磨川の目は博士には向いていない。その奥、机の上で伸びをする黒猫へと注がれている。
「球磨川君。聞いているかね」
そう問われてやっと、球磨川は博士を見やる。
「『ま、こんなことだろうとは僕も思ってたんだ。咲夜ちゃんをコントロールしようだなんて無駄なことをよくやろうとするよね。あの安心院さんだって完全には出来なかったのに』」
「そうなんだよ。その通りだ」
球磨川の嫌味にも顔色ひとつ変えず、大仰に鶴喰博士は頷く。球磨川の眉が、瞬間、苛立たしげにひそめられる。しかし、彼はすぐにいつものヘラヘラとした笑みを浮かべ言葉を返す。
「『それで、なんで僕に話を振るのか、全くわからないんだけど』」
球磨川は肩を竦めてわざとおどけた表情を作る。
「なんでってそんなの決まってるじゃないか。たったひとり君だけだからだ。
咲夜ちゃんの鍵を開けることが出来るのが」
それを不思議そうに見やって、博士は球磨川に猫を差し出す。
球磨川が受け取ろうと手を伸ばすと、博士はさっと猫をひっこめ、腕に抱え込んだ。
「おいおい、渡すわけないだろう。そうじゃない。鍵を開けろ、そう言っているんだよ」
わからないかなぁ。そうぼやきながら、博士は腕の中の猫を撫でる。猫は大人しく、されるがままになっている。
人吉が一歩前に出る。その表情は硬く、その目には意思が宿っている。
「俺たちは不知火だけじゃなくて、その人のことも返してもらいに来たんだ。返してもらうぜ。如月先輩をな」
「『待ちなよ』」
「そうだよ人吉、そんな悠長な暇は」
構えて、さらに前に出ようとした人吉を球磨川と不知火が制す。
「『こっちこそわからないなぁ。どうして鍵を開けたいんだい? そのままだって咲夜ちゃんは咲夜ちゃんだ。それが嫌なら返せばいい。それに、僕が開けられるとは限らない。大体僕は、彼女が彼女自身にかけた呪いの言葉を知らないんだからさぁ』」
球磨川の言葉に不知火が青くなる。
一方博士はうんうんと頷き、椅子にまっすぐ座り直す。
「彼女は、君のそばにいられないのなら人間をなんかやめてやる。そんな風に言って猫になった。彼女をここに留めるのなら、お前が必要なんだよ球磨川君。どうだい、こちらにつく気はないかな?」
あはははは。大きな大きな笑い声が場に響き渡る。
声の主、球磨川禊は唖然とする周りに構わず笑い続けた。腹を抱え、床をばしばし殴り、息が詰まって咳き込んでもしばらく彼はそうして笑っていた。
その様子を鶴喰梟博士だけが、無表情で見下ろしている。
「『あまりに過負荷みたいなこというもんだから。おかしくっておかしくって。それはそれで面白いから提案としては悪くないんだけど、僕はおっさんにつく趣味はないんだ。困ったな。咲夜ちゃんが争いのタネになるなんて。あっそうか。わかったぞ。咲夜ちゃんをなかったことにすればいいんだ』」
腕の中の猫が消える。鶴喰博士はここで始めて眉をひそめ、立ち上がった。
「お前は自分のしたことの意味がわかっているのか?」
博士は知らない。つい先程、球磨川のスキルは取り返しのつくものに変質したことを。それを知るのは球磨川本人と人吉、そして不知火半袖だけである。
「おいおい球磨川、こっからどうする気だよ」
冷や汗をかきながら、再び構えた人吉に球磨川は平然と言い放つ。
「『いや、何にも考えてないけど。考えてる余裕があったらあんなことしないよ』」
嘘だという視線をほんの一瞬だけ向けて、人吉は身を固くする。何かものすごい気配が辺りに漂った、そんな感覚がしたのだ。
贄波が何も言わずに鶴喰鴎を部屋の端へと引きずっていく。
球磨川と不知火はまっすぐ博士を見据えていて、この気配には気がついていないようだ。それは博士も同様。人吉は気のせいと判断し、瞳を博士に戻す。
その瞬間のことだった。
博士の背後の壁からぬっと腕が伸びた。それは博士を有無を言わさず真っ二つに引き裂き、彼らの前に立ちはだかる。
獅子目言彦が。

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