18 溶けて消える
聖夜の顛末から話せばいいだろうか。
あの日の選挙で、人吉は見事にめだかに勝利した。何も背負わないめだかちゃんの笑顔を見たのは、私は初めてだった。そしてそれを人吉同様、私も嬉しく思う。
彼女は晴れて自由になった。それが二十歳になるまでの一時のものでも、それでもよかったと思う。
それから安心院さんについても話しておかねばならないだろう。やっぱり、あの人はまだ死にたがっていたのだ。何年もかけて自殺を壮大に演出して、彼女は遂にそれを実行した。
そして初めて、計画にない失敗をしたのだ。安心院さんは死に損ねた。今度こそ完璧に死に損ねた。
彼女の手を掴むめだかちゃんを見て、少しだけ惚けたあと、肩をすくめて静かに笑った。
そして、彼女もこの学園の生徒になった。
私は今回のこと、安心院さんにまつわる出来事の全てを総括して、結果から考えれば本当によかったと心底安心している。そうとう参ることもあったし、現に私は一度壊れた。だけど、それに関わった人達が幸せになっていく過程がとても嬉しく感じられる。なんだか、私まで幸せになったような錯覚がするのだ。
いや、実際私は過去からは比べられないほどに幸せだ。こんなに毎日が楽しくてたまらないのは、みんなのおかげ。ここ最近は時折、めだかちゃんみたいに快活に笑ってみたくなることもあった。
いや、絶対しないけど、しても誰にも見せないけれど。
そんな風に私は上機嫌で、半ば浮かれていた。先輩のことは少し気にかかっていたけれど、先輩は「まだ、聞かない」と言っていた。たまには前向きにその「まだ」を信じてみようなんて、そんな気分になるくらいには浮かれていたのだ。
放課後、そんな風に足取り軽く帰途につく私は、変な女とすれ違った。スタイルのいい髪の長い女。何かブツブツ呟いている。
すれ違いざまに聞こえた
「ねんねんころりよろりろりよ」
という変な歌。
世の中には変な奴がいるよね。特に私の周りには。そんな事を思いながら通り過ぎて、はたと気がつく。
どうして私は両手を地面についているのだろう。いつの間にか、カバンも引きずってしまっている。というか、カバンが重くて持ち上がらない。いや、カバンが大きい。違う、私が小さい。
「はい、いいこでちゅねぇ。やっと気がちゅいたんでちゅかぁ? あの方が黒神めだかの代わりに選んだのだから、どんなものかと思っていたら、たいちたことなかったでちゅねー。これは博士、がっかりちないかちら」
後ろからやってきた女がやたらと大きく見える。その女が私に向かってベロを出す。その舌には大きく幼の文字。
「とにかく、お姉さんといっちょに行きまちょうね〜。あーあ、漆黒宴を直前にして働かせるだなんて、博士も人使いが荒くて困りまちゅね」
そんな風にして、バブバブ言いながら私はあっさり連れ去られた。
私が連れてこられたのは、子供の頃に通ったあの病院だった。そして元の大きさに戻るまで待たされ、引き合わされたのは鶴喰博士とかいうおじさん。
「あなたが私を拉致させたの。しょうがないから聞いてあげるけど、用事は何? 私、夕飯のおかず買いに行かなきゃだから、あんまり長居できないんだけど。ねぇ、早くしてくれない?」
つま先で床を叩きながら腕を組む私に、鶴喰博士は何とも気味悪い笑みを浮かべる。
「いやぁ、そういうわけにはいかないんだ。そうだね、まずは落ちつ"来給え"」
目の前に顔がある。とにかくそれだけ認識して、私は半歩下がった。いつの間にか私は鶴喰博士のすぐ目の前に立っており、腕を掴まれている。
「そういう気味の悪いスキルやめてよ。てゆうかむしろ、『もう、そのスキル。私には効かない』」
ハッタリも兼ねて試しに鍵をしかけてみたが、いつまでたっても錠のかかる音はしない。今の言葉に説得力がない所為もあるが、それにしても、目の前の博士は余裕に見えた。
「なるほどなるほど、今のを君はスキルだと判断したんだな。うん、悪くない。悪くないね。これがもしもスキルだったらの話だけど。それにしても。俺は戦う気ははなからないのだから、まずは話を聞いて欲しいね」
手を振り払おうとするが、ギチリと握られていてこのままではどうしようもない。
「悪いけど、断る」
話を悠長に聞いていていい相手ではないと思った。ならばさっさとここを離れるに越したことはない。触らぬ祟りになんとやらだ。
言うが早いか私はツバメに変身し、大きく羽ばたく。そのまま反転して、飛び去ろうとした時だった。
「つばめか、つば"暗目"とも言うね」
急にあたりが真っ暗になり壁に衝突する。
「うーん。困ったな。ここまで話を聞かないなんて、"檻降参"にしてくれないかな」
慌てて元に戻ると、私の周りは檻になっていた。
「なんなの。一体なんなの」
呟きながら睨みつける。ここまできたら意地でも聞かない。最後の嫌がらせに言葉をぶつけてやる。
「あーもう、不愉快だから『黙っててよ』」
錠のかかる音はしない。
「そうもいかない」
「な、なんで」
本格的に鍵が通用しないと知って、動揺した。もういっそここまできたら、私がここに連れてこられた事実を全盛期の『大嘘憑き』でなかったことにしてしまうしかないのでは。そう思うくらいには焦った。もちろん劣化版の劣化コピーしか出来ないのだから、それは叶わぬ相談だ。
焦りながらひとつ思い出す。ひとつだけあった。逃げる方策が。安心院さんの『腑罪証明』が。あれほど自在にとは行かないが、ここから逃げるくらいならできるだろう。
まず、安心院さんになる。できた、大丈夫だ。そうしたら今度は『腑罪証明』で行きたいところに。
「どうして」
出来ない。私は檻の中にとらわれたまんまだ。
「さて、もういいだろう。話を聞いてくれたまえ」
檻の中でへたり込む私に、目線を合わせるように彼は屈み込んだ。
「その前に教えて。私に何をしたの」
「スタイルだよ。スキルではない。スタイルだ」
博士はそう言った。
言葉が場を支配するのだと。お利口さんを檻降参に言い換えたから、私は檻の中から逃げたり博士に危害を加えることができないのだと。そして更にこうも言った。
「君は帰りたいと言ったね。帰りたい"だからこそ"君は帰れない。逆説的にね」
言葉で私をがんじがらめにするやり方。私のスキルとよく似ているのに、根本が違う。私のは先天的な体質。彼のは後天的な技術。博士はそう説明した。
「しかし、思った以上だ。完璧に他者に変身し、体質までトレースする。『完成』に一番近いスキルを持つ人物。まさに探していたものだ。君が、現時点で一番黒神めだかに近い生き物だよ」
めだかちゃんの名前を聞いて僅かに私は眉をひそめる。
「私がめだかちゃんに近い? 近いというには力がだいぶ及ばないと思うんだけど。あんまり買いかぶられても困る。期待には応えかねるね」
「いいや、それくらいがちょうどいい。あの子はちょっと手に余る」
ここでようやく私は、私と博士の間で話が微妙にズレているのではないかと思い始める。
「手に余るって、手に負えないの間違いじゃなくて? あれほど、監禁するに向かない人も珍しいと思うんだけど」
「監禁? とんでもない!! そんな事のために来てもらったんじゃないんだ。如月咲夜、お前が鳩姉の代わりとしてに相応しいと思ったんだよ。監禁だなんて酷いことはしないさ。大事にするよ。君に婚約を申し込むつもりなんだから」
そして彼は、ポケットから箱を取り出した。その中には指輪が鎮座している。
「おいおい、おっさんマジで言ってんの」
思わずそう呟いて、引きつった顔をするばかりだ。一向に頭が追いついてこない。
「やだなぁ。俺は本気だよ、咲夜ちゃん。不自由はさせないさ。ちょっとお出かけしにくいくらいだ。他は何でも君のためにしようじゃないか」
「いやいやいやいや。待って。いいから、ちょっと待って。そもそもまず、めだかちゃんの代わりなの? その鳩姉とやらの代わりなの? てゆうか、その二人がダメだから私なの? なんなの? あんた、なんなの」
びっくりしたように私を見つめて、博士はぽんと手を打った。
「ああ、そうだ。黒神家の事情には疎いのだったな。いろいろな説明が抜けていたね。それから、取り引きしようと思うなら君にメリットになる条件が必要か。俺としたことが、先走ってしまったね」
唖然とする私を他所に、彼はどこぞに電話をかけ始める。月下氷人会だの結婚だの黒神めだかの婚約者だの分家だの、そういう単語が飛び交ったあと、唐突に電話を切って博士はこっちを見た。
「ああ、今の電話の内容はあとで詳しく教えてあげるが。まずは朗報だ。君にメリットになる条件があったよ。都合よくね。君の先輩、球磨川禊くんの身の安全なんて、どうかな」
「は?」
今の私にそれ以上言える言葉などあるわけもなかった。

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