14 決着を
目が覚めた時、塔には誰もいなかった。試合が始まっていたのだろう。
だろうだなんてあいまいな言葉になってしまうのは、起きた私がしばらく放心していたからだ。
私の体に脚があった。二本の人の脚が。視界も低い。何が起こったか理解ができず、ただただ脚を見つめていた。
どれほどそうしてただろう。その時間は何時間にも感じられたが実際は十分にも満たなかったかもしれない。
じわじわと理解した。『却本作り』によって私の『異常』が力を失ったから脚があるということ。
いつか安心院さんが夢で言った通りだった。あの姿こそが私の思い込み。そして私の心の有り様。その事実がまさかこんな形で立証されようとは。
自嘲めいた笑いが口から漏れる。私は私の意志で化け物であっただなんておかしくてたまらなかった。馬鹿だ。私は本当に馬鹿だ。こんなくだらない事実の為に私はどれほど間違いを犯してきただろう。
「後悔しても今さら何にも始まらないか」
呟いてみた独り言はざらざらの涙声で。
後悔からくる悲しさや自分への憤り、体を取り戻した嬉しさや安堵がどっと押し寄せて、少しだけ泣いた。
ふらふらと立ち上がってみる。二本脚に慣れなくて歩きがぎこちない。体に力が入らないのは『却本作り』の影響だろうか。
「いかなきゃ」
外に出ないと。戦いを見届けないと。焦る気持ちをなだめながら、ゆっくりエレベーターを目指す。
人の感覚を取り戻すにはまだまだかかりそうだった。

塔を出る前にトイレで顔を洗った。ぐしゃぐしゃの顔を衆目にさらすのは抵抗がある。あれだけ醜い姿をさらして今さらこんなこと気にするなんて。顔を拭いて振りかえる。後ろには全身を映す鏡がある。
鏡に映る自分の姿。脚のある人の姿。それだけで込み上げるものがある。胸に刺さった螺子や真っ白な髪はご愛敬だ。
スカートのほこりを払って、いよいよ塔を出る。
一ヶ月ぶりの外は眩しかった。太陽は夏らしく照りつけていて、蝉の甲高い声は耳障りなほど。
そんな細々した事にさえ心動かされる。以前ならこんな気持ちにはならなかった。一連の出来事が私をこんなにも変えてしまった。
不思議と悪い気はしない。
空を見上げたまま、球磨川先輩の事を考えた。先輩が安心院さんに会いに行った、そして私の所に来た、その意味を。
大きな歓声が聴こえた。校舎の方だ。
まだ終わっていない。気を引き締めて、活気のある方へ向かう。

見物客を掻き分けて進む。人垣の向こう側に皆が見える。どうやら校舎の屋上らしい。
私も校舎内を通ってそこへ。
後ろから声をかけると皆一様に驚いた。私の姿に。
「螺子みれば大体何があったかわかるでしょ」
私は胸のど真ん中を指差す。
阿久根の顔色が悪い。
「いったい何が」
声も強い。
「勘違いしないで。私が先輩に頼んでこうなったんだから。球磨川先輩と取引したの」
私は先輩達の方に目を向ける。激しい乱打戦。先輩の方が攻撃を回数食らっているが、先輩は全く退く素振りも見せない。
私は穏やかな気分でこの戦いを眺めている。黒神めだかにこれだけ果敢に立ち向かう先輩の姿を見られるのが嬉しい。
「朝、先輩の脳のリミッターを外したの。これでも黒神めだかと同条件には程遠い。『異常』と『過負荷』の差を埋めるには至らない。それでも、球磨川先輩は黒神めだかを楽しませる程、戦えている。先輩は元々、弱くなんかない」
息を飲む音が聞こえそうなくらい、みんな不思議そうな表情だった。
「ああ、確かに脅威ではあったな。戦いたくなくい相手ではある」
人吉が頷く。だが、言葉には含みがある。
「そうだね、球磨川さんは確かに恐ろしい力を持っている。だけど、それは強さとはまた違うように俺は思うよ」
阿久根も人吉と同意見らしい。ただ、阿久根のほうが物言いはストレートだ。
強さは力ではなく、心。私も同意だ。ここまで嫌と言うほど感じてきた。
「今朝まで、私もそう思ってた。でもね、違ったよ。詳しくは言いたくないけど、球磨川先輩にとって私も彼女も深い傷口。その二人に会いに来た。黒神めだかときちんと決着をつけるため」
「元々の力でってことか?」
人吉の言葉に頷いて続ける。
「そう。まぁ同条件って言った方が的確かもしれないけど。先輩、私に会いに来た時、回りくどいことは言ってたけど、括弧つけてなかった。本音で私に会いに来た。今も黒神めだかにも正面からぶつかってる。少なくともあなた達が思ってる先輩からは変わったのかもね」
先輩はずっと私達の前で弱いフリしていた。もしくは弱いつもりでいたのだろう。先輩がわざわざ弱く惨めに振る舞うから、あの頃、私たちには居場所があった。
本当に弱かったのは、守られなければ化け物として生きていかれなかった私。
その私だって、今なら弱さも受け入れて生きていける。
先輩も逃げることをやめた。
私は、はなからとんだ勘違いをしていたのだ。
守るだなんてとんだ心得違い。そんな世迷い言の前に、私には償うべき罪があるのに。
『「――めだかちゃん、『却本作り』を避けずに受けてくれないか」』
ぼぅっとしている間に状況は変わっていく。
先輩の手に握られた螺子が鋭く尖る。禍々しい雰囲気を放つそれを、先輩が強く、黒神めだかの胸に叩きこむ。
『「これで、めだかちゃんも僕と同じ。あの安心院さんが封じざるを得なかった、曰く付きの『過負荷』だぜ。君の持つ全てが僕と同じに落ちて、それでも君の心が折れないなら。その時こそ僕は敗けを認めるよ」』
めだかの首が、がっくりと折れる。
その口から、およそめだからしくない覇気のない声がこぼれ落ちる。
「ああ、もうどうでもいい。私の敗けだ。許してくれ――――とでも、言うと思ったか?」
めだかが起きあがり、球磨川へ歩を進める。
「プラスをマイナスにする『過負荷』か、なるほど恐ろしい……。だが、それは球磨川、基準となる貴様が本当に弱かったらの話だ。私は貴様を弱いなんて思ったことはない。貴様は仲間の為に戦い、誇りを胸に戦い、弱者の立場で戦ってきた。それにあの日を私は忘れていない。大切な人間の為にあの日貴様は己をスケープゴートにしたな。そんなことが易々できる貴様が、その心が弱いはずがなかろう」
私は、なんとなく結果を察した。めだかの言葉を聞きながら、彼らに向かってゆっくり歩き出す。
私にはまだやることが残っている。私の義務が。
「私は今も昔もそんな貴様が大嫌いで、大好きだったぞ」
めだかの言葉に先輩は訝しげに眉をひそめる。
「どうして、僕のところまで下がってきて、どうしてまだそんなことが言えるんだ。どうして君といい、あの子といい……わからない!!」
括弧が外れた。あれは先輩の本音。
「わかってください。敵視してもあなたを下になど、私は一度も見たことがないのですよ、球磨川先輩」
私はめだかの五歩ほど後ろで立ち止まる。私の背後から人吉の声がする。
「球磨川!!お前の『過負荷』は通じなかった。約束通り負けを認めてもらおう」
球磨川先輩が鋭く人吉を睨みつける。
「やだ!!認めない。僕はまだ負けてない!!そんな約束してないし、意味がわからない。……さぁ決着をつけよう、めだかちゃん。僕と君、三億年待ち焦がれた決着を!!」
「いいかげんに――」
激昂する人吉の言葉をめだかが遮る。
「善吉、負けたくない気持ちのどこがいけないと言うのだ。球磨川、貴様は正しい。勝つものではなく、負けて這い上がるものこそが真に強いのだ。そうやって心を守る貴様はやっぱり強い!!」
一時の間。それから、何を思ったのか先輩の口から「ふふふ」という笑い声が漏れはじめた。それは次第に大きくなり、辺りにこだまする。
にわかに、人の気配が濃くなってくる。辺りを見渡して、私は気がつく。ギャラリーが増えている。そしてその面々は、登校免除組。
その先頭にいるのは、喜界島もがな。
「間に合った」
どよめきの中で、阿久根の呟きを耳が拾う。そして合点する。
あれだけの人数を呼び集めたのか。
あれは全て一時期は、いや今だってめだかを敵視し続けている人間達だ。それがめだかの為に集まった。
「そんな奴に負けんじゃねぇ!!お前に勝つのは」

――俺だ私だ僕だ

大きな音のうねり。圧倒される。
先輩も口を開けてそれを見ている。
「勝たせて貰うぞ、球磨川。私は味方だけでなく敵の思いも背負っている」
「…………。ねぇ、僕もいつか、あんな風に君のピンチに駆けつけてもいいかな、めだかちゃん」
先輩の表情が、驚きから穏やかなものへ緩んでゆく。幸福を噛み締めているようにも見える表情へ。
「もちろんだ、貴様が這い上がる日を私は待っている。楽しみにな」
「さぁ今度こそ終わりにしよう。めだかちゃん、僕にトドメをさしなよ」
膝をはたいて立ち上がる先輩。
私は、慌てて先輩とめだかの間に体を滑り込ませる。私は、この時を待っていたのだ。
「待って、だめだよ。ラスボスの前に中ボスは倒しておかなきゃ」
言葉はするすると口から流れ、だんだんと勢いを増していく。
「生徒会長さん。先輩の前に私を倒さなきゃ。だって私はまだ、あの日の審判を受けてない。今、ここで、今度こそ私は裁かれなきゃ。今度こそ、先輩と一緒に廃除されなきゃ!!このまま私だけのうのうと、ここには居られない!!そんなの許されていいわけない!!だってあの日、私は先輩を、その前だって散々私は――」
「黙れよ!!」
背後から怒号。
声の方向を振り返って固まる。あんなに怒りに歪んだ先輩の顔、私は見たことがなかったから。
「咲夜ちゃんは何にもわかってない!!何にもだ!!僕がどんなに苦心して君を突き放したか、僕がどんな気持ちでめだかちゃんに君を託したのか!!わかってない、わかってないよ咲夜ちゃん」
叫ぶように言葉が叩きつけられる。
何を言っているのかわからない。託された?黒神めだかに私が。何故。
先輩はさらに言葉を続ける。
「僕は君に出会って、生まれて初めて後悔した。君を僕のとこまで引きずり下ろしてしまったこと。しまいこんだ『異常』を再び得てプラマイゼロになって尚、君は僕と同等の底辺で友達のまま、僕の隣に居てくれた。君をそのまま僕と同じところに置いておきたくなかったから突き放したのに。咲夜ちゃん、君は何度だって落ちてきた。僕がどこまで落ちても、君はどこまでも追って落ちてきた!!僕は君をそんな風にしたくなかったのに!!」
「何故、どうして先輩と同じじゃいけないんです?私は、ずっと先輩と同じ悲しみを、苦しみを、感情を、共有したかっただけ!!」
「そんなの初めから!!僕にとって一番大切なのが君だからに決まってるだろ!!だから、何か起こる前に鍵を開けて、君を隔離したんだ!!『却本作り』を刺しておけば、ここにだって来れないと思ってたのに……」
先輩は、絶句する私からめだかに目を移す。
「めだかちゃん。終わらせてくれ、あの時のお願いはまだ有効だよね?」
「ああ、託されている」
私はめだかに強い視線を向ける。
やめて、私はここで廃除されなければならない。このままここに居るわけにはいかない。そんなのだめだ。
その視線を受け止めてめだかは微笑む。
ぱしん。ぱしん。乾いた高い音が二つ鳴った。
わけがわからず、私は頬を押さえる。先輩も同じところを押さえて唖然としている。
「喧嘩両成敗だ。球磨川、確かに私はあの日から如月咲夜を貴様に託されている。約束は果たそう」
そして、めだかは扇子を球磨川先輩に突きつける。
「本日付で、私は生徒会執行部副会長職に球磨川禊を任命する。私にも彼女にも、球磨川、貴様が必要だ。助けてくれ」

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