10 いっそ嫌ってしまえたら
塔を下ってから、時間だけは腐るほどあった。目が覚めて、自分がワイヤーで固定されていることに安堵した。塔を下ったのも、あの場にいた誰も傷つけたくなかったからだ。
私は興奮状態と沈静状態を繰り返しながら、記憶を整理するしかなかった。その間、名瀬さんといたみちゃんはずっと近くにいてくれた。私の邪魔をすることなく。それがすごくありがたかった。

二日目の夕方に雲仙君が来た。
「ほどけてねぇかよ」
その言葉で、体を縛るワイヤーの出所を知る。
「切れてないよ」
地下に潜ってからまともにしゃべった最初の言葉だった。
私の姿など気にもせず、雲仙君はハッとその言葉を笑い飛ばした。
「一本で五トン耐える繊維だぞ。黒神にも切れなかったもん、てめぇごときに切られてたまるかよ。つか、暴れて傷を負わないてめぇの皮膚のがすげぇよ」
私は人の枠を越えられない。安心院さんにいつか言われた言葉を思い出す。人にすらなれない私には、確かに人は越えられまい。
「それもそうだ」
あはは。乾いた笑いが喉の奥から溢れ出てくる。とめどなく。とめどなく。
皆が耳栓をして私の言葉に備える。
また私は錯乱して、名瀬さんに眠らされた。それでその日は終わり。

三日目に、人吉が来た。名瀬さんは遠巻きに見ている。横目で見れば、どうも耳栓までしてるらしい。
「アンタへの配慮ですよ如月先輩。聞かれたくないこともあるだろうって」
「そう、それで用件は?」
人吉は見透かしたように言う。私は、あまりまともに相手をする気にならなかった。まだ誰にも私の過去に触れて欲しくない。
「見ましたよ。投書」
「何の用件かって聞いたんだけど。人吉、あんたとする昔話は私にはない」
人吉は呼び捨てにされたことに驚いた様子だった。ここ三年の如月咲夜は、人吉を人吉君、阿久根は高貴君、黒神めだかをめだかちゃんと呼んでいた。だから次の言葉は勢いで口から出たのだろう。
「阿久根先輩に会った時もそうしてやってください」
返事をする気にもならない。そもそも今は阿久根には会いたくない。
「あーとにかく。用件は一個だけです。投書いただいたのに、俺達ちゃんと生徒会を執行できなくて、すみませんでした。……これだけ言いに来たんです」
人吉は頭を下げて立ち上がる。
「ねぇ、あんたが来たのって、黒神めだかの指示? 」
特に深い意味のない質問だった。
「めだかちゃんや阿久根先輩が行くって言ったのを俺がなだめたんです。如月先輩、アンタ今はまだ、どっちにも会いたくないでしょう」
しかし、この返答に私はまた大きく揺さぶられることになる。
「さっきからわかった風に言わないでよ」
心を見透かされるのは嫌だ。もっと深いところまで見透かされるのが怖い。自分でもわからない自分を見せられたくはない。
「俺が先輩だったらって、考えたんですけどね。そうですね。失言でした。すいません」
人吉は頭をまた下げる。これじゃあ幼稚に怒る私が悪いみたいじゃない。
「人間と人間にすらなれない私を、一緒にしないでよ。それに一々謝んないで。惨めじゃない」
自分でもびっくりするくらい、弱い声だった。
「帰って」

それから人吉は毎日のように来た。今日の主要な出来事を話しに。名瀬さんと修業をしているらしく、その前に寄りにくるらしい。
大体私が途中で「今日はもう帰って」と話を遮ってしまう。それで人吉が立ち上がる。
それでも本当はありがたかったのだ。名瀬さんやいたみちゃんとは違う、生徒会という立場から事件を見ている。違う事件の一面を教えてくれる。
ここは外界から隔離された塔の地下だから。私は外を見られないから。

最初の一戦に息巻いていた人吉が、やけに消沈してやってきた。
「どうだったの?」
話を促してやる。
「相手は球磨川だった」
「……そう」
その名前を聞くのは苦しかったけれど、ちゃんと聞かなきゃいけない。逃げ出したい気持ちをぐっと堪える。
人吉はぽつりぽつりと話しだした。対戦方法のこと、名瀬と立てた作戦のこと、視力をなかったことにされたこと、心中を企てたこと、球磨川も自分も死ななかったこと、生き返ったら視力がもどっていたこと、球磨川が取り乱していたこと。そして、自分が他人の視界を覗けるようになっていたこと。
フラッシュバックする。私が球磨川先輩を殺したあの日のことが。
「あの人に会ったの、人吉」
体が震える。
「球磨川もわけわかんないこと言ってたな。あの人って誰です? どうも、ぶっ倒れてた間のこと覚えてないんですよ」
震える。震える。
「話したくない。あの人の話はしたくない」
だって私はあの人が――。
ここでまた暗転。おそらく危険を察知した名瀬さんに眠らされたのだろう。

夢の中、そこは教室だった。私は人の姿で、教室の真ん中の席に座っていた。
「僕の存在に気づいたみたいだったから、挨拶に来たんだ。久々だね咲夜ちゃん」
安心院さんがいた。
「何しにきたの」
「だから、挨拶に」
涼やかで愛らしい声。私はこの人を妬んでいる。憎いとも思う。羨んでもいる。なのに、嫌いになれない。好きかと問われたら好きではないけれど、嫌いにはなれない。
けれども介入されるのは迷惑だ。
夢の中の私は現実と違って極めて冷静だった。夢であるからなのか、それとも人の姿だからなのか。もしかしたら安心院さんが、私に細工をしたのかもしれない。
「私、あなたに踊らされるのはもう嫌。安心院さんが出てきたってことは、また企んでるんでしょう。またあんな出来事を起こす気ですか。あの時だって安心院さんは予測してたんだ。ああなるって。分かっててけしかけた。私のことも先輩のことも黒神めだかのことも」
本音はすらすら口から出てくる。好きにはなれなくとも、結局私は安心院さんを信頼してしまっている。『過負荷』の加減なく本音を投げつけられる相手は本当に少ない。さらに私は、彼女の苦しみの一端を見てしまってもいる。
彼女を嫌いになれないのは、それらのせいかもしれない。
そして安心院さんは、本音で話せば必ず本音で応えてくれるのだ。
「そうだね。確かにあの結末も僕は予測していた。あの結末以外のオチがつきそうなら、僕はあのまま死ぬつもりだったんだぜ。でも、人の心ほど不確かな物もない。特にあの時の君みたいに追い詰められた人の心はね。見ようによっては君は誰も死者の出ないルートを選択したとも言えるんじゃないかな」
「はぐらかさないで。何をするつもりなんですか。今度は人吉善吉と黒神めだかで同じことをしようとしてるんでしょう?」
「鋭いねぇ」
「安心院さんは人吉にスキルを貸し出しました。まるで、あの時みたいに」
「君は変わったね。以前の君なら他人の事件には興味なんか持たなかったろうに。これはめだかちゃん達のお陰かな。関心したよ。でもね。僕はまだこの企みを誰にも話す気がない。そんな先の展開よりも、今の君らのエピソードから回収するべきだぜ」
「私たちの……」
言葉につまる。人になれなくなってしまった異形のわたしが、どう外の事件に関わればいいと言うのか。
「咲夜ちゃん。君は勘違いをしているだけだよ」
「勘違い? 何をですか」
「確かに、僕はそれを教えてもあげられる。その気になれば解決もしてあげられる。でも、これはもっと適任がいるからね」
「意味がわかりません。それに、私をまた踊らせる気なら乗りませんよ」
「いや、ただの老婆心だよ。君が勘違いに気がつけば、君の問題は解決するんだ。勘違いに気がつくには、勘違いしていることを知らなければならない」
安心院さんは嘘は言わない。これもまた本音なのだろう。
安心院さんが教室のドアを開けて、私に退室を促す。
「けっこうな時間がたってしまったね。そろそろ君の友達が心配しているぜ」
「できればもう、あなたの顔をみたくない」
私もそのつもりで立ち上がる。
「球磨川君もよく言うよ、それ。そうだ、もうひとつ聞いてみたいんだけれど。……君の箱に残ったのはいったい何だろうね?」
しばらく黙して、私は教室から出た。その質問に答えることができなかったから。
希望など、私のどこにあると言うのだろう。きっと一生愛されない私のどこに。
勘違いなど一体どこに。

「いっそ、彼女を心の底から憎んで、嫌ってしまうことができたら、もっと楽だったのかなぁ」
目が覚めて漏らした言葉。
私が起きたことにほっとしながらも、いたみちゃんは「彼女」という言葉を不思議に思ったようだった。

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