閑話2 人吉善吉と記憶の断片
人吉善吉は時計塔に向かいながら、記憶を巡らす。

善吉が以前の咲夜について考える時、どうしても記憶は断片的だ。善吉が咲夜と関わるようになったのは、彼女が記憶をなくしてからなのだから。それまでは遠巻きに見たり噂に聞くだけだった。
中学時代、阿久根に壊され続けるめだかを助けたくて徒党を組んだ。そこの不良達は誰より咲夜を恐れていた。気味の悪い化け物だと。そして自分達の中にも彼女が紛れ込んでるのではと、いつも恐れていた。対峙したことのない善吉は、ある面で球磨川より恐れられていることを少し不思議に思っていた。
初めて咲夜を近くから見た時のことはよく覚えている。短い人生の中でめだかに自分から動物が寄ってきたのは、あれ一回きりだ。あの黒猫が咲夜だとめだかは言っていた。それも正直ピンと来なかった。人間が人間に化けるとこまでは譲っても、人間が猫に化けるなど。逆の方がまだありえそうな気さえする。
信じていないわけではなかったが、腑に落ちなかったのも事実だ。
あの事件の日、生徒会室は凄惨だった。血の海に散らばった何かの鱗。そのど真ん中で球磨川禊は笑っていた。
「『好きにすればいい。力で僕を廃除すればいい。僕にはもう何にもないからね』」
球磨川はあっさりめだかに負け、箱船中学から出ていった。
咲夜のいた場所に戻って、やっと善吉は皆の言うことを理解した。血塗れの制服に身を包み、スカートには鱗のようなものがついている。咲夜であることは間違いなかったが、そこにいたのはもはや別人。あの場で何があったのか、自分達がここを離れた間に彼女が何をしたのか。想像するに易かった。
記憶に鍵をかけた咲夜は現状を理解できずに震えていた。めだかに名を問われて、如月咲夜と答えるとすぐに、何が起こっているのかと逆に問い返してきた。何が起こっているのか。何故自分は血塗れなのか。
その時点でめだかは咲夜がどこまで鍵をかけたか看破していたようだった。ただ、案ずるなと言って咲夜を抱きしめた。
それは一見全くもってめだからしからぬ行いだった。まるで咲夜の苦しみを理解したかのようにも見えた。普段のめだかなら、咲夜に向き合って乗り越えることを強いただろう。
めだかは結局、鍵がかかったままの咲夜を受け入れた。咲夜はなくした記憶に思うところがあるようだった。咲夜を抱きしめながらめだかはもうひとつ咲夜に言った。
「貴様の後ろにではなく、貴様の前にこそ進む道があるのではないか?」
それもまた正論だった。
以降、咲夜の前で球磨川の話題は禁忌になった。そうでなくとも皆が避ける話題ではあったが。
咲夜の卒業が近づいて、同じ箱庭学園に進学する阿久根にめだかは咲夜を託した。妥当な所だろう。咲夜も今では阿久根を信頼している。
ただやっぱりめだからしくないとも善吉は感じる。めだかの中でも球磨川はトラウマになっているのだった。
自身も箱庭学園に進学し、久々に咲夜を見て、善吉は少し驚いた。咲夜が楽しそうに学園生活を送っていたからだ。記憶を無くす前から漂わせていた悲壮感もなく純粋に高校生を楽しんでいた。
めだかが生徒会長になり、阿久根と不本意ながら再会した後、阿久根は言っていた。
「彼女は今の方が幸せかもしれないね。友達も多いし、何より楽しそうに笑っている」
そうかもしれなかった。以前の咲夜の瞳にあったほの暗い光は、今の咲夜にはなかった。
そして今から三日前、生徒会に一枚の投書があった。

私の昔のこと、やっぱり教えてください。
めだかちゃんは私に「貴様の前にこそ進む道があるのではないか」と言ったけれど、私が築いてきた道もやっぱり知りたい。

咲夜からのものだった。
この投書を善吉が確認した三日前は、球磨川によって咲夜の鍵が再び開けられたその日であった。
本当はその日のうちに咲夜を訪ねられれば良かったのだが、母がやってきたり、襲撃されたり、生徒会戦挙などという不本意なイベントが決まったり、中々会いに来る隙がなかったわけだ。
時計塔の前で名瀬が待っていた。今、咲夜を管理しているのは名瀬だ。会うには名瀬の許可と同伴が条件だった。名瀬はいくつかの注射器を準備していた。
「あんだけ固定されてりゃ大丈夫とは思うけどよ。一応、念には念入れてな」
そして二人は塔を下る。

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