閑話1 名瀬夭歌の願い
名瀬夭歌は兄にも妹にも頼まれた。如月咲夜から目を離さないでくれと。戦闘向きでない名瀬は念のため雲仙と共に塔を下る。咲夜の能力を考えれば妥当なところだろう。
最下層に咲夜はいた。ただし、顔は見たことのないもの(それが彼女の元の顔だが)。下半身は蛇、腕には黒い羽毛の生えた姿。
その異形が、錯乱してのたうちまわっている。
雲仙が彼女をワイヤーで床に縫い留め、名瀬が注射器を幾つか刺す。中身は麻酔だ。咲夜が大人しくなり、やがて眠りにつく。そして今に至る。
「凄まじいな。黒神真黒から最初にこいつの話を聞いた時は話半分だったけどよぉ、実際見るとなぁ」
雲仙がぼやく。雲仙が初めて咲夜に出会ったのは入学してしばらくした頃。真黒がこの塔に咲夜を連れてきたのだった。『普通』の彼女が何故ここに。その疑問に真黒は簡潔に答え、もしもの時はよろしくと雲仙に言い置いた。
その後、真黒はフラスコ計画から離れたが、後任の名瀬も雲仙から話を聞いている。名瀬と雲仙は箱船中学以外の出身者で数少ない事情を知っている者だ。
名瀬と雲仙以外では、名瀬の親友の古賀いたみ。また、咲夜を時計塔に向かわせた不知火半袖も知っていたのだろう。
「確かにこの姿を見るとな、俺や古賀ちゃんとつるんでた奴とは繋がらねぇよな」
咲夜はいたみによくなついた。いたみの明るい性格に依るところも大きいだろうが、失った記憶を気にしなくていい昔を知らない友人は居心地が良かったのだろう。
咲夜は顔が広かった。阿久根や雲仙といった『特別』や『異常』に偏って。真黒や阿久根が有事を想定して広げた交友関係だ。
逆に言えば、それほど彼女が記憶を取り戻す事が危惧されていたということだ。
「如月が自分からこの塔を下ったことを思うと、恐れられてた中学時代とは違うんだと思うけどな。俺はそう思いたいね。まともに向かってこられてたら、ちょっと俺もキツかった」
雲仙の言うとおり、恐れられてた頃とは違うのだろう。だが、あの鍵を開けられた瞬間の咲夜の動揺の仕方は、記憶を取り戻しただけのものではない。あの場にいた球磨川の存在が大きいのは、過去を知らない名瀬にだってわかる。
「とりあえず、あの球磨川って奴をここに入れねぇようにしないと。もう一度会わせたら何が起こるかわかんねぇからな」
「それには俺も同感だね」
同意する雲仙の脇を通り、咲夜の横に屈む。
苦しそうに眠る咲夜の額に手を当てて、名瀬は呟く。
「これが如月ちゃんの本当の顔か。俺達が見てきた如月ちゃんが今のあんたの中に残ってたら嬉しいんだけどな」
名瀬の記憶の中にいる如月咲夜は他人の痛みによく気がつく少女だ。穏やかで、思いやり深い。それは、『過負荷』や『異常』やそれにまつわる記憶など余計なものを取り払ったからこそ見えてきた咲夜の本性なのではないか。
名瀬は願う。咲夜の中で欠片でも、それらが機能することを。

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