06 代償の大きさ
心安らぐ生活に終わりが近づいていた。
年度が変わって三ヶ月たった。二年生になっても相変わらず私は猫と人間を行き来していた。
この頃はもう攻撃されない。私が他人に化けてやり過ごすことをようやく覚えたからだろう。
真黒先輩の特訓は自主的に続けている。ただ、この『異常』の便利さを知って困るようになった事がある。時折自分の姿がわからなくなるのだ。ふと左右の手が違う人物だったりしたときには、思わず溜め息が出る。スキル乱用の副作用。私は自分の姿を見失いつつあった。
元が異形の私には正しい姿もへったくれもないのだけれど。

もう一つの変化と言えばやはり新入生だろう。この年も、とんでもないのが一人いた。黒神真黒の妹、黒神めだかである。
天才というよりもはや天災。私の第一印象だ。彼女を見ているとよくわかる。安心院さんが、私は人の枠を越えられない、と言うのが。彼女は人間としてのパラメーターをとっくに逸脱している。優れすぎている天才は天災に等しい。
そんな黒神めだかの存在に、一番動揺したのは球磨川先輩だった。
「『あんなのダメダメ。反則だよ。せっかく僕がこの学校を居心地よくなるようにしてきたのに。あの子が存在するだけで全てぶち壊しじゃないか』」
事実、めだかは凄い勢いで生徒や教員の心をつかんでいった。自然体のまま。今までは安心院さんの存在で、なんとか生徒会への不満をなだめて来たのだ。放っておけなかろう。
私は大きく伸びをして、先輩の膝から降りた。
黒神めだかを間近でちゃんと見てみようと思った。
めだかは中庭にいた。人吉善吉もいる。めだかの腰巾着、とはいえ油断ならない相手だ。彼が学校の不良どもと喧嘩しているのを見たことがある。阿久根程ではなくとも、一介の不良では歯がたたない。
黒猫はゆっくりと近づいて、めだかの前に座った。全身が泡立つ。逃げ出しそうになる足を踏ん張って耐える。
「めだかちゃんのこんな近くまで寄ってくるなんて、お前肝が座ってんな」
人吉が頭を撫でようと手を伸ばす。それを爪をむいてはたき落とす。人吉に構っている場合ではない。
めだかはしばらく私を見てから首を横に振った。
「善吉よ、お前などと言ってはいけない。この方は我々の先輩だよ」
「は?」
「そうだろう、如月二年生。姿を変えても面影がある」
黒神めだかの笑顔の向こうに、恐ろしいまでの圧倒的な力が見える。体が震える。足がすくむ。腰が引ける。
無理無理無理無理。この女には勝てる気がしない。戦ってはならない相手だ。本能がそう告げている。この覇気が無理。
じりじりと後退する。
「もう帰ってしまうのか如月二年生。次は人の姿で来るが良い。私は貴様と話してみたいと思っておったのだ」
私は話したいことなんかない。尻尾を巻いて私は逃げた。
「なんだあれ反則だ」
彼女を見ていると不安になる。私が間違いながらも守ってきたもの全て正されてしまう気がする。それが恐ろしい。
私は非常階段で膝を抱えてうずくまる。今は人の姿だ。
下から人が上がってきた。一瞬身構えるが、阿久根とわかって警戒を解く。
「丁度よかった。あんたに用があったんだ」
阿久根は私の前で立ち止まった。
「球磨川さんがあんたを探してる」
「なんで?」
そんなわけがない。よくわかっているのに、嬉しさがこみあげてくる。
「いや、その。猫のあんただ」
気まずそうな阿久根の声。
なるほど。そういうことかと肩を落として、違和感に目を上げる。
「ねぇもしかして皆知ってるの? さっき黒神めだかにも看破された」
鼻をつままれた。阿久根はそういう表情だった。
「いや、俺は安心院さんから聞いた。黒神めだかはどうだか知らないが、猫のこと知ってるのは生徒会くらいだろ」
「球磨川先輩は」
「知らないはずだ。心配ならちゃんと戻ってくればいい。あの人、猫にあんたの名前つけるくらいには傷ついてる」
今更そんな事が出来れば苦労しない。
「ああ、あと。あんた前みたく勝手に手出しするなよ。黒神めだかは俺が壊す」
阿久根は安心院さんからほとんど全てを聞いているらしかった。私が何をしていたかまでも。
そして阿久根が動くというのは、球磨川先輩もあれをどうにかするべく動きだしたという事だ。
私は制服をいつもの場所に隠して、猫に変わる。そのまま生徒会室に向かった。
猫になるようになって、わかったことがある。先輩はいつでも寂しがっている。黒猫の私を見る淀んだ瞳が時々、淡く揺れる。その瞳を見ると、私も寂しくなる。
同時に私は嬉しさも感じている。いつもへらへらという笑みの底に押し隠した先輩の弱さが見られることが。人間の私には見せてはくれなかった顔だから。
いずれは阿久根の言うように戻らなければと思う。ただ、どんな顔で会えばいいかわからなくて、わからないまま半年になる。じわじわと焦りも出る。それでも私は先輩に向き合うのが怖い。
また突き放されるのはつらい。
自分でも球磨川先輩に拘っていると思う。執着してると思う。一度離れてみて感じた。私の居場所はあそこにしかないと。何故と言われても困る。ただただそれは事実なのだから。

私がもやもやしている間にも現状はどんどん変わっていく。
阿久根は毎日、黒神めだかを壊しに行っている。手を出すなと言われたから私は遠巻きに見ているだけ。しかし彼女は傷を増やしながら、包帯を増やしながら、それでも毎日やってくる。
恐ろしい。私は彼女が恐い。
今日も先輩は私を撫でながらぼんやりと外を見ている。生徒会室から見える所で阿久根が黒神めだかを壊している。
「『咲夜ちゃん。僕はめだかちゃんは嫌い』」
先輩が私を撫でる手が今日は冷たくて力が強い。
外では黒神めだかを助けに不良集団がやってきたところだ。その先頭は人吉善吉。
その人吉と阿久根の間に傷ついためだかが手を広げて立ち上がる。
「『こんな時、咲夜ちゃんがいてくれたら。二人で馬鹿やって、余計なこと考えないでいられたのかなぁ』」
先輩の言う咲夜は猫と人間、どっちの私なのだろう。窓から目をあげると先輩は困ったように眉を下げた。
「『君じゃない咲夜ちゃんの話さ。猫の君にはわからないかもね』」
頭をぽんぽんと叩いて先輩は私を膝から下ろした。
「『みんなどんどん僕から離れていく。君も僕のそばになんかいちゃいけないよ、猫の咲夜ちゃん。僕は君のことまで不幸にしちゃうぜ』」
今度はもう突き放されてやるものか。私はもう一度膝に飛び乗って、先輩の胸に顔を寄せる。
「『まいったな』」
先輩は私をぎゅっと抱きしめた。潰れそうなくらい。私もいつも先輩がしてくれるように頭を撫でてあげたかったけれど、その手が私にはない。届かない。
私を抱えて小さくなった先輩の頭に、そっと人間の手が添えられた。その手はやさしく先輩の頭を撫でる。
「阿久根君も真黒君もめだかちゃんのところに行ってしまったよ。生徒会も僕達二人になってしまったね」
安心院さんはいつも通り唐突にそこにいた。あやすような声で言いながら先輩の頭を撫でている。
「『咲夜ちゃんもいるよ。猫だけど』」
「そうだったね」
どろり。心の中が沼のようになっている。その底のない沼の中で何かがのたうち回っている。
私は段々わからなくなっていく。自分が何なのか。
身をよじって先輩の腕から抜けると、私は平静を装って部屋から出た。猫の気まぐれを装って。

制服を着て人の姿に戻る。
体がどろどろになってしまったかのような気分。うずくまっていた私は立ち上がる。ふと外を見て、窓に写った己の姿に目を剥いた。
人の上半身についた蛇体の下半身。手首から肘までは黒い羽毛がびっしり生えている。猫のような瞳、鋭い牙。おぞましい異形の姿。まるで私が生まれた時の姿。
その衝撃もさることながら、さらに私を打ちのめしたのは上半身。私の上半身は安心院なじみの物だったのだ。
何故。どうして。私はどんな姿をしていただろう。私は――。
「その姿、まるでギリシャ神話のエキドナのようだね。君の心の有り様によく合っているよ」
教卓にいつの間にか安心院さんが座っていた。

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