@穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。
A思いやりがあって親切だ。心が温かい。
B上品で美しい。優美だ。



 ぼくは亀甲貞宗。徳川将軍家に伝わる刀だよ。今の名前は亀甲紋が彫られていることから付いたんだ。
 自慢じゃないけど、ぼくは人間に当てはめるととても優しい性格に分類されるらしい。戦うため、命を奪うために作られた道具に優しさを求めるなんて可笑しな話だと思うかい? はじめはぼくもわからなかった。刀は道具として使われさえすれば、そこに善悪も感情も必要ない。何かにつけて意義や意味を求めるのはぼくらを振るう側、すなわち人間のすることだ。そういう思想の下で長く存在していたからね。
 だけど人の形を取るようになってから、その考えは古い価値観となった。今のぼくは自分の意思で主のために戦い、護り、支えることができる。初めてそれを知った瞬間、なんと素晴らしいのだろうと喜びに打ち震える心地だった。ただ持ち主に運命を委ねられるだけだった鋼の塊は、読んで字の如く全身全霊をかけて主人にお仕えするしもべに生まれ変わったのだ。
 ぼくは新たな主を、刀剣男士として初めてお仕えするご主人様を、生涯大切にしようと心に誓った。その為ならどんな命令や苦難も受け入れ、無償の愛を注いでみせよう、と。

「好きな人がいるの」
 はじめて近侍に任命されたその日の夜、彼女はふたりきりの部屋でぼくにそう打ち明けてきた。
 この本丸に顕現してからそう経っていないにもかかわらず、今代の主はぼくを全面的に信頼してくれているようだった。初期刀の加州清光くん、初鍛刀の厚藤四郎くん。審神者就任と同時に顕現しこの本丸の御意見番でもある三日月宗近さん、小狐丸さん。それからぼく以前に近侍を任されている燭台切光忠くん。その錚々たる面子のなかに新参者である自分が銘を連ねるなんて考えもしなかったことだ。まさかこんなに早くご主人様がぼくの働きを認めてくださるなんて。基本やったことに対して見返りは求めない主義だけど、評価されるのは純粋に嬉しかった。数秒前まで「珍しいお茶をいただいたので貴方もいかが」と誘われ、柔らかな薫りとほんのり甘い時間を堪能していたはずなのに。
 ご主人様に好きな人がいる。
 予想もしていなかった告白により一瞬にして場の空気が張り詰めた。さっきまで飲んでいたお茶の味がわからない。
 なぜ? どうして刀であるぼくにわざわざそんな報告を?
 自身を落ち着かせる意味合いも兼ねて、ぼくはゆっくりと口を開いた。
「ご主人様。差し出がましい質問をして申し訳ないのだけど、ぼくにそれを伝えたのにはなにか理由が?」
 内容が内容なだけに冷たく突き放したように聞こえてしまってはいけないと、できるだけ穏やかな口調で問い掛けたつもりだ。
 以前、審神者の業務内容や規約についての資料を片っ端から読み漁ったことがある。大好きなご主人様の近侍になるからには完璧に仕事をこなさなければならない。まずは相手や味方を把握することから始まる。戦もデスクワークも基本は一緒だ。
 その時得た情報によると、審神者という職務は特殊な決まりごとの多いものだと思われがちだが、問題を起こしたり業務に影響がないのであれば一般的に恋愛は自由とされている。自由である以上、当然政府の者や刀剣男士に報告する義務や責任はない。これは外の世界の企業で働く人間と同様だ。美術品として展示されていた頃施設に勤務する人たちを長く見てきたが、恋人や家族を持ちながら仕事に従事する者は少なくなかった。
「そうね、確かに形式上部下にあたる貴方に業務とは関係ないことを伝えるのは間違っているのかもしれないわね。それに、人間の恋愛事情なんて何百年も生きる付喪神にはくだらないものに映るかもしれない。人間なんてちっとも偉くも賢くもないし、そのくせ思い上がるし、ちょっとしか生きれないし」
 やはり冷淡な言葉として受け止められてしまったのか、彼女は少し悲しそうに眉を下げながらそう言った。
 ああ! なんと慎ましくいじらしいご主人様!
 人間の生き方がくだらないものか。人間を否定するということは、主を否定すること。ぼくら刀にとってそれがどんなにつらく心苦しいことなのか、貴方はなんにもわかっちゃいない!
 とはいえ、ぼくがヒトの事情に疎いことは否定のしようがない事実だ。男女が婚姻関係を結ぶのは子を成し血筋を残すためで、近代では見合いではなく恋仲を経て夫婦となる者たちもいるという知識があるにはある。もしかしたら、それすらもすでに今の世の中では古臭い価値観なのかもしれないが、知っていることはこれで全てだ。恥ずかしながら、ぼくは恋愛が具体的にどんなものなのか以前に人間の男女がどのようにして赤子を為すのかさえ知らない。
「でも、相手は私たちとも深く関わりのある方なの。実は公表こそしていなかったけど以前からお互い想いあっていて、現在は婚姻を結ぶことを前提とした正式なお付き合いをする手前の状態でね。もうすぐみんなに知らせる予定なんだけどこれから亀甲には本格的に近侍を任せるつもりでいるから、いちばんはじめに知ってほしくて……」
 ほっぺを熟した桃のように色づかせ、可憐な唇で言葉を紡ぐ彼女はなにより尊く映った。こんなに可愛らしい女性を、ぼくは後にも先にも見たことがない。
「ぼくがいちばん……? そんな大切なことを、わざわざふたりきりのときを見計らってまでぼくに伝えたかったと、ご主人様は言うのかい?」
 頭になだれ込んできた情報を整理しなければならないというのに、ここにきてぼくの悪癖が思考の邪魔をする。だって、仕方ないだろう? ぼくより馴染みのある男士はいくらでもいるはず。だのに、彼女は敢えてぼくを選んだというのだ。舞い上がらないはずがないじゃないか。
「亀甲、貴方泣いているの?」
「え……」
 彼女に言われて初めて気がついた。目元に手をやるとつめたくもあたたかくもない水が次から次へ伝ってくる。これだけの水分がどこから作られてどうして流れるのか、元々無機物でしかないぼくが知るよしもなかった。
「あれ、ご主人様、ぼくはどうしてしまったのかな。目から水が……止めようにも止め方がわからないんだ。自分の身体のことも制御できないこんなぼくを叱ってくれるかい?」
「叱らないよ。生理現象なんだからコントロールするほうが無理な話だもの」
 どうしていいか分からず半ば混乱したぼくをよそに彼女は、刀剣男士も涙は出るもんね、と苦笑している。そうか、これが涙というものなのか。想像していたよりずっと透明で、さらさらしてる。それに、ほんのちょっとだけ塩からい。人間の身体の七割近くは水で構成されているのだと以前薬研くんから教わったことがあるが、こうして使われることもあるのか。
「ひとりだけ呼び出されて大事な話を聞かされるのは嫌だった?」
「まさか、そんな!」
「じゃあ、私に恋人ができるのが悲しい?」
 問いに対し黙って首を横に振る。ご主人様が心から愛し、寄り添っていきたいと思える人物が現れたのだ。慶びこそすれ悲しむ道理など万にひとつもない。ぼくは彼女の刀なのだから。
 溢れるままに雫の落ちるぼくの手の甲を優しく握り、彼女はこう言った。
「亀甲、涙が出るのは悲しい時だけじゃないのよ。強い怒りだったり、喜びを感じた時にも人は泣くことがあるの」
 主の言葉を聞いてようやく理解した。ぼくは嬉しかったんだ。涙とは溢れ出た感情が雫となってこぼれ落ちたものだったんだ。自分の気持ちにやっと気づいたとき、ぼくの身体は甘く痺れるようななんとも言えぬ感覚に襲われた。
「ご主人様……」
 彼女から貰った心を彼女に向けて正しく扱えていた。そう思うとじんわりと目の奥が熱くなり、胸の内側からこそばゆい感情が込み上げてくる。それはまるで萌えた木の芽が花を咲かせ、一斉に花弁を舞わせるようだった。
「亀甲は優しいね、私の為にこんなに泣いてくれるなんて」
「と、当然、だよっ……ぼくは、貴方のっ」
「うん、うん、ありがとう」
 想いを伝えようとして声にならない言葉を詰まらせるぼくを、彼女は暖かい眼差しで受け止めてくれる。
 ご主人様、たったひとりのぼくの大好きなご主人様。
 こんなにも未熟なぼくだけど、どうか精一杯のまごころを込めて貴方の人生の新たな門出をお祝いすることを許してください。


「主の好きな料理……?」
 あくる日の早朝、まだ若干腫れた目のままぼくは燭台切光忠くんの部屋を訪れた。朝が特別弱い彼を叩き起こすのには少々骨が折れたが、これくらいで泣き言を漏らしてる場合ではない。
 彼は大倶利伽羅くん、鶴丸国永さん、それから太鼓鐘貞宗と同室だったが、みごとに全員爆睡中のようだった。太鼓鐘はたまにぼくと物吉の部屋に泊まりに来ることもあり兄弟仲も良好だけど、やっぱり伊達家繋がりの彼らといる時のほうが伸び伸びして見える。 兄弟としては友人が多いことを喜ぶべきなのだろう。
「そう。誉を取ることや内番を頑張るのはいつだって出来る。ただ万屋で買った贈り物を包むだけというのも味気ない。特別な日のためにぼくがご主人様にしてあげられる特別なことはなにかと一晩熟考した結果、手作りのものをプレゼントするのがベストだという結論に至ったんだ!」
「えっ、寝てないの? 大丈夫……?」
「寝不足なんて気持ちの問題さ。ぼくらは本来なら睡眠も食事も必要ないんだからね!」
 燭台切くんはひどく心配した様子でぼくを見ているが、なにかおかしなことを言っただろうか。
 ともかく、ぼくは幸せへの一歩を踏み出すご主人様の門出を祝うために、なにかプレゼントをしようと考えた。いつもなら贈られる側の刀が贈り物をするなんて荒唐無稽な話かもしれないが、ぼくはなにぶん誰かに尽くしていないと落ち着かない性分でね。
 燭台切くんは普段の完璧に決めた雰囲気とはかけ離れた寝癖のひどい頭をわしゃわしゃ振って、まだ抜けない眠気と戦っている。さすがに早すぎたのだろうか。ご主人様にはとても見せられそうもないくらい豪快なあくびをして、ぼくにこんな疑問を投げかけてきた。
「それで、どうして僕をたずねたのかな……確かに僕はよく厨を任されてはいるけど、作り方を教えたりするのはあんまり得意じゃないよ?」
 これは意外だ。ふたつ返事で了解してくれるものと予想していたのだが。
「燭台切くん、君はぼくが顕現するずっと前からご主人様の近侍を任されているだろう」
「うん……」
「だったら、ご主人様の好きなことや喜ぶことだって隅々まで知り尽くしているはずだよね。そうじゃなければ近侍を続ける資格はない」
「隅々、まで……」
 彼の色白い頬に血色が差す。深くは言及しないけど、君もまた他人に言えない秘密を隠し持っている一振りなんだね?
 彼の知恵を借りるのは若干反則技のように思えたが、これもご主人様への愛を形として示すため。少々邪道を選んでしまったことへのお叱りを受けるのなら、それはそれで。
「君ならご主人様のいちばんを知っているはずだよ。どうかな、二振りで彼女に最高の瞬間をプレゼントするというのは」
「最高の瞬間、か……いいね、悪くない」
 彼女の笑顔を思い出したのか照れくさそうに髪をいじる燭台切くんを見てぼくは確信した。
 彼に相談したのは間違いじゃなかったんだ、と。


 そういういきさつで、太刀と打刀の秘密の料理教室が行われることとなった。
 曰く、ご主人様は甘いものに目がないそうで、とくに西洋の生菓子を好んで召し上がるらしい。ぼくらは数ある調理本の中から、チョコレートを使用したケーキを作ることに決めた。人の身を得てから短いぼくでもさすがにチョコレートがなんなのかぐらいはわかっている。出陣から帰ると必ずご主人様はみんなに飴玉くらいの小さな包みをひとつずつ配る。包み紙を開けて栗皮色のころんとした粒を口の中で溶かすと甘さと独特の香りが広がって、なんともいえない幸せな気持ちになれる。それがぼくの知っているチョコレートだ。
 今回はなんとそれを板状にしたものを丸々一枚使うのだという。ぼくはそんなに大量のチョコレートを見るのは初めてで、軽く目眩を覚えたほどだ。
「そういえば、理由を聞いていなかったね」
 板チョコを刻むぼくの隣で、スポンジの生地をミキサーで泡立てながら燭台切くんがそうたずねてくる。小麦粉と砂糖と卵と溶かしたバター、他にもなにか少しずつ加えていたような気がするが、こんな液状のものが本当に膨らむのだろうか。
「言わなかったかい? ご主人様への贈り物にするためだよ。特別なお祝いためにね」
「その、特別なお祝いっていうのは……?」
 燭台切くんは不思議そうに首を傾げた。
 話してもいいものだろうか。ご主人様がぼくだけに打ち明けてくれた秘密を、正直な気持ちを述べると誰にも教えたくない。だけど彼だって仮にも、というか正真正銘の近侍だ。ぼく同様知る権利はあるはず。それに、これはぼく個人の問題だが何も知らされない儘手伝わせていると思うと良心が痛む。
 結局刻んだチョコを湯煎で溶かしながら、ぼくはご主人様の婚約の件を彼に話すことにした。燭台切くんは嬉しそうに花弁を数枚落としながら「優しいんだね」と目尻を下げるのみで、それ以上はなにも聞こうとしてこなかった。
「以前主は、亀甲くんみたいに自分から歩み寄ってきてくれる子が来てくれて嬉しいって話してくれたことがあるんだ。基本はみんな、一歩引いたところから様子を伺っているような子ばかりだろう? 主のことが嫌いな刀剣はいないんだけど、どうしてもね」
 なるほど、ぼくが早くに気に入ってもらえたのにはそんな事情があったのか。人との距離感なんてどうしていいかわからなかったから一時期思い悩んだこともあったけど、あの人が喜んでくれていたのならよかった。
「そうだ、大事なことを聞き忘れていたよ。ご主人様の婚約者さんは甘いものは平気かな?」
「心配ないよ。チョコが嫌いな人なんていないさ」
 半ば断言するような物言いが引っかかったものの、食べ物に詳しい彼がそう言うんならそうに違いない。ぼくはひとまず安心したので、ふたたびケーキ作りに専念した。


 その後も数回練習を繰り返しスポンジをきれいに焼くことができるようになった頃、ご主人様が婚約者を紹介してくれると言い出した。
 この日ぼくらはデコレーションも完璧に仕上げたチョコレートケーキを箱に詰め、近侍部屋で待機していた。「いったいどんな人なんだろう」と想像し盛り上がるぼくをよそに、燭台切くんはどこかそわそわした面持ちで時計と手鏡を交互に見ていた。
「やっぱり審神者なのかな。そうだとしたら近侍は誰だろう? ねえ、向こうの近侍もぼくか君だったら面白くないかい?」
 緊張をほぐしてあげようとおどけて話しかけるも、彼は「ああ」とか「うん」とかいった生返事しかしてくれない。
 やがて「時間だ、僕が案内してくる」と立ち上がり障子を開けた。そのまま彼は玄関ではなくなぜか執務室のほうへと姿を消したが、数分もしないうちにご主人様を連れて戻ってくる。
……ご主人様、だけ?
「ええと、ご主人様。その、婚約者の男性とやらはどこに?」
 たずねなくともなんとなくもうわかっていた。いつから、と言われればはっきりとはわからないが、彼の目、態度、発言のひとつひとつを思い出していけば自ずと答えは導き出せた。
 ふたりは一瞬気まずそうに目を泳がせたが、先に切り出したのは彼のほうだった。
「亀甲くん、今まで言いだせなくてごめん! 一緒にケーキを作るのがとても楽しくて、水を差すのもカッコ悪いかなって思っちゃって……」
 わかるよ、燭台切くん。ぼくも楽しかったし、そのことについては感謝しきれないほど感謝してる。騙しただなんて思ったりしないし、君がぼくの大事な仲間であることは変わらない。ただ、ちょっとびっくりしただけだよ。だからそんなに申し訳なさそうな顔をしないでくれないか。
「ぼくらにも深く関わりのある人と言っていたから、てっきり審神者か政府関係の方かと……」
 違うだろう、ぼく。そんな言い訳を続けたところでご主人様が喜ぶはずもない。本来の目的を思い出せ。ぼくはご主人様を悲しませる趣味は持ち合わせてなんかないんだ!
 暴れる心臓を自身の刃でなんども突き刺し、
震える喉の奥を振り絞ってぼくは彼女に笑顔を作った。
「おめでとう、ご主人様。どうか彼と幸せになって」
 目の前がぼやけてふたりの顔がわからない。この涙は嬉しいから流れたものなのだ。ぼくが自分でそう思いたいんだからそうなんだ。
 ありがとう。ありがとう。私はすでに幸せよ。だって、こんなに優しい近侍がいるんだもの。
 彼女の嗚咽まじりの感謝の言葉がぼくを刺す。貴方もぼくと同じで、嬉しいから涙を流しているの?
 なにも辛いことはない。この人はこれからもぼくを近侍としてお側に置いてくれる。彼が伴侶として一生を添い遂げるように、ぼくは刀として生涯この人を守り続けるだけだ。
 ねえ、ご主人様。ぼくも幸せだよ。ご主人様という存在に身も心も縛られ続けて生きられるんだから。
 でも、ねえ、ご主人様。
 優しくするって、ときにこんなにも痛いものなんだね。
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