多くの声や音が入りまじって、騒がしい感じになる。


 ワイングラスの硝子が指で弾かれた。私はその音を耳にした時に、漸くぼんやりとしていた思考から目覚めたのである。次いで、脳震盪を起こした様な感覚に襲われて、頭を抱えたままその場に座り込むのだ。

気分が頗る悪い。

座り込んでから考えた事はそれだけで、後は何も考え付く事ができなかった。そうした様子で暫く 踞っていると、私の異変に気が付いた店員さんが駆け寄って来たのである。







 酷い動悸や脳震盪が治まったのは、変装舞踏会が始まる少し前の事であった。実は私、名字は仕事でこの変装舞踏会に参加して居り。先程まではとある人物の護衛をする為に会場内を歩き回って居たのだ。その時、何故か脳震盪を起こしてしまったらしい。


故に、今は会場の隅で目的となっている人物を目で追い。何かあった際は直ぐに駆け付けられる様に準備を整えている。しかし護衛をしているのは何も私だけでは無いのだから、ある程度は休息を取る事が出来たのだ。


因みに変装舞踏会とは、その名の通りに変身をして舞踏会をするのであるが。事実は護衛対象の人物が狙われない様にする為の、こちら側の偽造工作だった。何時なんどき、どんな犯行が起こるか分からないで居るからその方が良いだろうと云う提案で、急遽予定を変えて貰ったのだ。であるから護衛対象の変装は、私たちしか知らずに居る。


「気分は落ち着きましたか?」


と私が壁に寄りかかって、舞踏会に就いてを考えている最中であった。先程私の処に駆け寄って来て呉れた店員が、お水を手にこちらへ来てくれたのである。私はその店員に対し「もう大丈夫です」と伝えつつ、彼女から水を貰った。


すると店員はどこか優しい笑みを浮かべて「そうですか、良かったです」と胸を撫で下ろす様子を見せてから「また何か有ったらお申し付け下さいね」と云ってから羽織っていた外套を靡かせて、それから身を翻したのだ。


外套を靡かせてと云うのも、この店員は先程云った通りに外套を羽織って変装をしている為だ。この舞踏会に参加している人物は、参加者だろうが店員だろうが皆変装を施しているのである。勿論私も変装を施して居るのだが、これと云って特徴は無い為に紹介はしないでおく。


「嗚呼、美味しい」


そうして私は先程貰った水を口にし、それを一気に飲み干した。砂漠の様に乾いた喉がどんどんと潤いを取り戻して行く。水を飲み干した後は、空になったグラスを手にまた歩き始めた。こうして歩き出したのも、他でもない護衛対象が自身の視線から外れそうになった為、それを追い監視すると共に擁護する為である。



護衛を再開してから数分経ったであろうか。突然会場の明かりが落とされ、辺りは騒然となった。それもその筈であろう、何の前触れも無かったのであるから。しかしこのアクションもこちら側の作戦であった。少し暗闇の中で立ち止まり待って居ると、ポツポツとスポットライトが付き、薄らと辺りが明るくなる。


「これよりスポットライトの当たる中心部で、舞踏会のメインイベントであるダンスを始めたいかと思います」


と、少し明るくなった事で辺りの騒然とした聲が消えてきた時だ。アナウンスでそう女性の聲が入った。私はそれを耳にして、予定通りに順調だと安心をする。この様子で行くと今回の護衛も無事に終わりそうだ。そう安心しつつ、もう一度喉を潤そうと水へてを伸ばした瞬間だった。

視界の端に映るステンドグラスが、まるで脆い氷の様に砕けて割れたのだ。

私はその凄まじい音と共に、予定外の事が起こったと直ぐさま理解し。私は割れたステンドグラスの付近に素早く近付いた。ステンドグラスの方へ近付く度に、お客が動揺からか石の様に固まって動けない様子が分かる。


「どうしたんですか!?」


そうして割れた硝子付近で固まる人に聲を掛ければ、その人は「突然ステンドグラスが割れたんだ」と硝子の破片を指差し乍いったのである。突然硝子が割れたと云う事は、石でも投げ込まれたのだろうか。でも誰が何故そんな事を? と思考をクルクル回し考える。


しかしその最中にも事は進んで居る様子で、今度は反対方向から女性の甲高い悲鳴が聞こえた。私はその聲を聞いた瞬間に身を翻し、石のように固まって居る客へ「硝子には近寄らないで下さい!」と放ってから女性の聲が聞こえた方へ走ったのである。


一体、一体この会場に何が起こって居るのか。向かう最中に思う事はそれだけで、どうすれば問題解決出来るのかと云う事ばかりを考えて居た。そうして結局、解決策を見いだせないまま女性の悲鳴が聞こえた場所に到着したのである。悲鳴に反応して集まった野次馬を避けて、その中心へと赴く。


「……やられた」


人を掻き分けてソレを見た瞬間に、私は片手で顔を抑えて項垂れた。私が見て項垂れた物、それは私の護衛対象であった人物の携帯であったのだ。護衛対象が居らず、携帯のみが此処に落ちていると云う事は、何かの弾みで携帯を落としたと云う事になるだろう。

そうしてそんな携帯を落としただけで悲鳴が上がったり、または人だかりが出来るわけ無いのである。つまり護衛対象の人物は、何者かに誘拐されたか消されたと云う事になるのだ。


「一度目の騒動は囮だったって事ね」


数分前、硝子が割れたのは私たち警備の目を引く為であろう。そして警備の意識が割れた窓へある内に誘拐したと云う事か。考えと考えを結び付けて行き、事件の全貌に就いて考えて行く。そうした考えを繋げている最中であった。二度ほど肩を叩かれたのだ。私はそれに何だとに反応して、直ぐに視線をそちらへ向けた。


「あの、どうなされたんですか?」


そこに居たのは女性の店員であった。私に水を与えて呉れたあの女性である。私はそんな女性へ「警察に、警察に連絡を入れて下さい!」と言葉を放つ。すると女性は戸惑った表情を一度見せてから、口を開いたのだ。


「不必要ですよ」
「へっ?」


女性から出た言葉に、思わず間抜けな聲が飛び出た。不必要とはどう云う事なのだろうか。女性から見ても何か事件の様な事が起こった事は明白なのに、と一つの疑問を感じていれば、女性が暗闇に近い中で不気味な笑みを零した。私はその笑みに対して酷い動悸を感じ始める。


「何故ってお顔をなされてますね……。それでは問題です! 何故でしょうか!」


女性の聲が、一音放たれる毎に低くなって行く。今までお淑やかそうだった雰囲気が、一気に巫山戯た様な雰囲気へと変わって行く。彼女の黒く長い髪が、カツラを外された事で金髪になる。そして何より。


「制限時間はそうだなぁ、一分!」


女性だと思って居たその人物は、男性であったのだ。私は突然訪れたその変化に、鈍器で殴られた様な強い衝撃を受けた。次いで心拍数が早くなるのを感じる。

間違い無い、こいつが護衛対象を拐ったのだ。

心拍数が早くなる一方で、直ぐその思考へと辿り着いた。そうして結論が出た刹那の事である。彼がまた不気味な笑みを浮かべて、身に付けていた外套を靡かせた。


「ざんねーん! 時間切れです! 答えられなかった貴方にはそうだなぁ、檻の中に入って貰おう!」


突然そう云うや否や、男性は外套で私の身を包んだのである。何か反応を取ろうとする前に視界が暗くなり。抱きすくめられて居るのか、どれだけ足掻こうが身動きを取る事ができなくなる。口元も抑えられ、聲さえ出せない。私に出来ることは唯一つ、外の音を聞くだけであった。


「これにてショウはお終いです。またの御来場をお待ちして居ります」


私の頭上からそう男性の聞こえ、遠くからは客のざわめきが聞こえる。嗚呼、どうにかしてこの場から逃げなければ。そう思う事だけは簡単で、しかしどうしようも出来ない私には、藻掻くと云う行動しか取れなかった。


そうして居ると雑音が次第に消えて行き、遂には静寂に包まれたのである。


次に音が聞こえたのは、ほんの数秒後の事であった。雑音の様な音が聞こえたと共に視界が徐々に開けて行く。そうして腕や足を完全に動かせるようになった頃であった。


「やあ、さっきぶりだね!」


何処からか陽気な聲が聞こえてきたのである。私の事を拐った男の聲だ。私はその聲に酷く反応して、目線を至る所に向けていく。それで気が付いた、私は今独房の様な場所に閉じ込められて居ると云う事に。


「何で君が拐われたのか、理解はしているでしょう?」
「……私の異能力目当てですか」
「そうそう、正解!」


と云うか私を拐う目的なんてそれしか無いと思いつつも、先程見付けた監視カメラをじっと睨む。そうすると何処からか「怖い怖い」と云うからかう様な聲が入って来たのだ。私はそんな言葉を無視し、睨みつつも口を開く。


「それで、私を使って何をするつもりですか」


私の能力目当てで拐ったのならば、その能力を何に使うかと云う目的を聞くべきだろう。それがこの現状を打破できる情報であるかは分からないが、後々役に立つ事には間違いない。そうした考えを巡らせれば、彼は「簡単だよ」と聲を出したのだ。


「私と賭けをしよう」


一瞬。彼の言葉に不意を付かれて私は首を傾げた。すると彼がその様子を面白く思ったのかクスクスと莫迦にした様に笑ってから、更に言葉を吐き始めたのである。


「君の能力で時間を繰り返し、再びこの地に再び囚われるか。それとも君が私の魔の手から逃れるか、なんて面白い賭け事だと思わないかい?」


彼の不敵な笑い聲を私は耳にしつつも顔を顰めた。私の能力を発動する。つまりは過去に時間を戻す事が出来るのであるが、そうなるとこの時間に居た記憶を失うのだ。その為に残るのは過去に戻ると云う意思とその瞬間の記憶だけ。だから彼の賭けに乗って時間を戻したとしても、自分がこの地に再び来ないとは云い切れないのである。


それでも私が助かるには、そうする他に道が見付けられなかった。


「その賭け、乗りましょう」
「そう来なくっちゃ。私は君が再びこの地へ戻ることに賭けるよ」


彼がそう云ってから、私は過去へと遡る準備を始めた。私が過去へ戻る為に必要な事、それは頭に強い刺激を受ける事であったのだ。


辺りを再度見渡す。するとこうなる事を予想するかの様に、近場にカナズチが置いて有ったのだ。私はそれを迷わず手にして、早急に頭上へと持って行く。これは何度も経験している行為な筈なのだが、どうにも慣れなくて最初は打ち付ける事を躊躇した。しかしどれだけ考えようともこの方法しか思い付かないのだからと、カナズチを勢い良く頭に打ち付けたのである。


瞬間。頭に酷い激痛が走って、私はカナズチを下へと落とした。ドクドクと身体に血が巡る様な感覚を覚えて、私は恐ろしさから目を閉じる。そうして居ると段々思考が遠のいて行き、私は遂に考える事を手放したのだ。それからは唯ぼんやりとした思考へと意識を変えて、音だけを聞くのである。


記憶が全て抹消される前、何処からかワイングラスを弾く音が聞こえた。
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