競合。要求は現在のリソースと競合するので完了出来ない。


五年付き合った女と結婚することになった。
三十を手前に身を固める流れとなった俺に両親は大層ほっとした様子で、挨拶に連れて行った彼女のこともいたく気に入ってくれていた。
職場の上司や同僚も祝福してくれた。勘解由小路局長からも分厚い金一封が届いた時は戦慄したが、有り難く受け取っておけと上司に諭されたので渋々、懐に納めることにした。
理鶯や左馬刻にも伝えた。理鶯が分かりやすく喜んでくれた一方で、仏頂面な左馬刻の方も「式はいつだ」などと気の早いことを尋ねてきたので、親族のみでこじんまりと行おうとしていた婚儀について、やっぱりもう少し規模を広げてみないかと彼女に相談しても良いかもしれない、なんてらしくないことを考えたりもした。
来週末には新居を見学に行くつもりだった。候補の物件も、既にいくつかピックアップしていた。掲載されているホームページからプリントアウトして、不動産屋に持っていくつもりで準備していた。

すべてが上手く行っていた。このままこうして、つつがなく進んでいくものだと思っていた。婚姻の手続きも式の段取りも、そして俺達の生活さえも。



泣きじゃくる彼女から電話があったのは、珍しく仕事が定時で終わったある日だった。日勤シフトを終えた後、偶には彼女の好物でも買ってやるか、と帰路にある人気の菓子店でケーキを購入し、今から帰る、と連絡しようと思っていた矢先のことだった。
電話に出るなり引きつけを起こしたようにしゃくりあげる声音に、只事ではないと悟った。何があったのか、どうして泣いているのか、繰り返し問うたが、涙に埋もれて言葉にならない台詞は、どうしても意味を判別することが難しかった。
しかし通話の最中に度々登場する、うわ言のようなたった一言が、俺の焦燥を頻りに煽った。

「銃兎、たすけて」



なんとかして聞き出した居場所が自宅だと分かり、俺はとにかく家路を駆けた。仕事でだってこんなに必死に走ったことはないんじゃないかと思うくらい、その道中は一心不乱だった。
家に着くなり、鍵を引っ張り出した。オートロックを解除するのももどかしくて、いつもだったらスムーズに押下する暗証ボタンも、忙しく数回間違えた。
彼女の名前を半ば叫ぶように呼びながら、扉を開けた。屋内はひどく暗かった。しかしその中で唯一、ぼんやりと灯りが灯る一角があった。風呂場だった。
啜り泣きの声が微かに聞こえて、急いで駆けつけた。駆け付けて、言葉を失った。脱衣所に居たのは、何も身に付けていない裸の彼女と、彼女の前に横たわる、頭から血を流した知らない男だった。
冷たい床に蹲る彼女が、漸く顔を上げた。涙に塗れる顔のまま、「銃兎」と俺を呼んだ。

「シャワー、浴びようとしたら……この人が、玄関から、入って来て……、に、逃げようとしたんだけど、駄目で……」

どうやら鍵を掛け忘れたらしいと察したのは、男が上がり込んできて直ぐのことだったという。入り口にオートロックはあるものの、誰かが開けるタイミングを見計らい、住人のふりをして中まで入ってくる不審者の話は往々にして聞くことがある。そして住人はオートロックを過信して、自室の防犯に対して認識が甘くなるというのも、よくある話だった。
横たわる男のズボンのベルトが緩んでいるのを見て、沸々とした怒りが頭に上った。彼女相手に何を目論んだのか、想像に難くはなかった。

「私、必死で……、これで何度も、この人のこと殴った……」

震える指で彼女が指したのは、傍らに放られているシャワーノズルだった。男と揉み合う最中、死に物狂いで手を伸ばしたのだろう。ヘッドの部分にこびり付くように赤黒い色が散っているのを見て、決死の覚悟で応戦した彼女を思って胸中が燃えた。
両手で顔を覆う彼女に自分の上着を掛けてやりながら、事切れている男を見た。血塗れでよく分からないが、顔や身体のあちこちに殴打の痕があるのが分かった。それは特に頭部へ集中していて、前頭部から後ろにかけて、打撲痕が目立つようだった。どうやら致命傷は、その中でも一際大きな傷となっていた、後頭部への一撃だった。

「銃兎……、私、どうしよう……、こんな、……ごめ、ごめんね……」

何度も謝罪の言葉を口に出す彼女の背を、何も言えないまま擦った。
結婚が決まっていた。このひとと、家庭を築くつもりだった。両親にも上司にも同僚にも、友人にもそれを伝えていた。皆が祝福してくれた。
俺の仕事は警察官だった。悪を挫き、弱きを助ける仕事だった。罪を許さぬ、仕事だった。
絶えず涙を零す横顔を眺め、眼前の男を見据えた。
どういう感情でこの男を見れば良いのか、どういう対応を行うのが正解なのか、なんだかよく分からなくなって苛々した。
ひたすら呼吸が荒かった。破れそうなほど心臓が早鐘を打って痛かった。考えがまとまらなかった。頭が働かなかった。身体の内側が、ただ苦しいくらいに熱かった。

「銃兎……たすけて……」

俺を見上げる彼女の瞳が、涙に震えて俺を映した。
それを聞いて堪らず、微かな声音ごと抱き締めた。冷え切った冷たい身体に腕を回しながら、ふと目線の先に自分が投げ捨てた荷物を見た。鞄の脇でひしゃげている菓子店の箱から、潰れたケーキが覗いていた。それはショーケースの中にあった繊細な形を崩して、この場に不釣り合いな甘い匂いを放っていた。
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