一見もっともらしいが、よく吟味すると筋の通っていない論証のこと。本来、前提から結論へといたる推論が妥当でないような議論を指すが、広い意味では、推論ではなく前提に問題がある場合も指す。


席替えで窓側の一番後ろというベストポジションをゲットしてうはうはしていたら、「隣、名字サンか」と声がした。その声音にはっとして振り向くと、ゆるりとした仕草でピースサインを向けられる。

「ヨロシクー」

掌を半分程覆う長いセーターの袖。派手な色の髪で目元まで隠した彼は、ぱちんと膨らませた風船ガムを弾けさせ、ひらひらと手を挙げた。
……え。嘘。



クラスメイトの原一哉くんが、私は初めて見た時から怖くて怖くてたまらなかった。
だってまず、あの髪色。派手にも程がある。しかも目まで隠れて見えない。着崩した制服も相まって、不真面目感に拍車がかかっている。それにいつもガム噛んでるし、授業中でも御構い無しだし。
他校の誰々と喧嘩したとか、彼女が十人いるとか、彼、そして彼といつも一緒にいるバスケ部の人達には、そんな不穏な噂まである位だ。
普通に会話しているクラスの子達が恐ろしい。あんなんまさに不良じゃん。怖いじゃん。初見でワルだって分かるじゃん。確かに噂は噂でしかないが、どうして皆がそんなに動じないのか、私は不思議でならなかった。

「名字サンていつも昼休みどこ行ってんの?」

とある日の休憩終了間際、教室に戻ってくると、既に自席に座っていた原くんに待ち構えていたようにそう尋ねられた。
クラス中が次の授業の準備をしながら名残惜しげに友人達と話すざわざわした空間の中、その問いは明確に私に届く。

「え……、えーっと」
「昼休憩入ると直ぐ居なくなるよね。食堂?」

するすると投げられる質問に、ぎぎぎと肩を強張らせながら私は身構える。

「えええっと、ご、ご存知ないかもしれませんが」
「なにその喋り方」
「すっ、すみません」

ぴゃっ、と背中が跳ねるのを懸命に抑える。
どっ、どうしよう、なんか言い方を間違えたら、この人になにされるか……!

「じっ、実は私、図書委員でして」
「いや知ってるけど」
「はっ、そ、そうでしたか」
「いや、そーですかもなにも、四月に皆で委員会決めしたじゃん、立候補してたよね」

少々、驚いた。
彼にとって、クラスの誰が何委員だなんて、あまり興味のない話だと思っていた。しかも、こうして隣の席になるまで碌に話たこともない私のことまで、そうやって知ってくれていたなんて。

「……そっか成る程、図書当番てやつ?」
「は、はい」
「ふうん」

ゆるりと頬杖をついた彼は、思案するかのように首を傾ける。
色味の薄い髪が少し揺れて、あ、意外と柔らかそうだな、なんて思った。

「いいね、俺も今度行ってみよっかな、昼の図書室」

……少しばかり和んだのも束の間、一気に氷点下に落とされる。
絶句してしまった私を他所に、無情にも始業のチャイムが鳴った。
……ああ、私の、私の平穏な昼休みは、何処へ。



「へー、誰もいない」

早速次の日、お昼ご飯を食べてすぐそそくさと教室を出て行こうとするのを原くんに捕まえられた。
行くんでしょ?といい笑顔(見えないけど)を向けられ、私は首を竦めてこくこく頷くしかない。
原くんを引き連れて図書室に向かい、私はカウンターに置かれている『不在』の表示を裏返す。

「いつも昼休みここにいんの?」
「は、はい。当番ついでに、本読みたくて」
「ふーん」

背の高い本棚をしげしげと眺めながら、原くんは部屋の中をふらふら彷徨う。
……な、なんか、原くんと図書室って、ものすごくミスマッチだな。

「名字サンて普段どんなの読むの?」
「え」
「ジャンル」

悪戯に本棚から本を抜き、ぱらぱらと捲りながら尋ねられる。

「……い、色々……。SFとか歴史小説とか、エッセイとか、あんまりジャンルに拘らず読みますよ。好きなのはミステリー、かな」
「ふうん。じゃーさ、アレ読んだ?」

原くんが口にしたのは、私が大好きなミステリ小説のシリーズ名だった。一気にぶわあ、と興奮が背筋を駆け巡る。

「えっ、原くんもそれ読むの?!」
「読んだよ。最新刊まで追ってる」
「えっ、えっ、すごい! あのシリーズ中々コアなのに!」

決して有名とは言えない知名度のその続き物は、小学生時代にハマって以来ずっと私の好きな小説ベストワンを独占している。これまで知っている人が周囲にいなかったので、内容について誰かと感想を共有して盛り上がったりすることなんてなかった。しかし、ここにきて、へえ、まさか、まさかあの原くんが読破済みだとは。

「アレ良いよね。面白い」
「うっ、うん……!」

特にストーリーのこの部分が、とか、このキャラクターのこういう面が、とか、思いつくままにお気に入りの箇所を口にしていると、原くんがにやにやしながらこっちを見ているのが目に入った。途端にはっとして我に返り、思わず飛び退くように身体を引く。

「ごっ、ごめん、急にこんな」
「いーよ、別に。……てか名字サン、途中から敬語抜けてる」
「えっあっ……! す、すみません!」
「あーいーのいーの、そのままで。タメ口でいーじゃん、俺達同い年なんだしさ」
「は、はい……」
「もー、ほらまた」
「はっ、……」

ハイ、と言ってしまいそうなところをギリギリで無理矢理うん、と頷きに変えると、原くんはにっこりと唇を吊り上げた。

「うんうん、それで良し。にしても好きなモノの話すると夢中になっちゃうなんて、かわいーとこあるね、名字サン」
「かっ、かわっ……」

ぷしゅう、と音が出そうなほど、顔に瞬時に熱が上った。あー、照れた?なんて、大袈裟に上体を倒して顔を窺われる。チェシャ猫みたいな仕草に、またどきん、と肩が跳ねて固まった。……ああもう、やだ、調子狂うなあ。

「名字サン俺のこと怖いって思ってたっしょ?」
「えっ……、ああっ、いやっ、そんなことは」
「いーよ隠さなくて。そういう風に思われんの慣れてるしィ」

ふう、とガムを膨らませながら、彼は頭の後ろで指を組んだ。
ぱちん、と弾けたポップなピンクが、再び彼の唇の中に収まる。

「だからさ、名字サンがこういう風に話してくれンの、ちょっと嬉しー……かも」

なんてね、と前髪を弄る仕草がかわいい。
あ、と思う。なんだ。怖い怖いと思っていたけど、ああ。原くんだって、私と同じ、高二の男の子なんだな。

「そ、そっか……あ、ありがとう……?」
「ん」

照れ隠しなのか、雑に頷いて原くんは本棚に向き直る。後ろを向いた彼の背中がむず痒そうに竦められていて、きゅっと心臓が縮んだように跳ね上がった。……なんか、なんか……、かわいい、かも?
私の胸中を知ってか知らずか、棚一杯を占める背表紙を順々に目で追って、彼は長い指先でカバーフィルムの掛かった本の背の部分をずらり、なぞっていく。

「久々にまた本読んでみよっかなあ。名字サン、おススメ教えてよ」

苦手なタイプだな、と思っていた。二年生に上がって初めて同じクラスになってから、ずっと。
派手な見た目と緩い喋り方、授業中でも構わずガムを噛んでいる振る舞い。
悪いイメージしか無かった。自分とは真逆の立ち位置にいる、不良の男の子。
でも、今こうして私に意見を請う彼は、隣に並んだ私の手に取った本を興味津々に覗き込む彼は、等身大で人懐っこい、隣の席の男の子だ。
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