※未来時空


 宗教のようだ、と批難されることもある。私はそれを否定しない。断罪という行為は一度全てを受け入れ、取り込み、思考することでしか生まれない。処刑とは、寛容の末に辿り着く代替無き不寛容なのである。
「遠野社長、次はもう少しプライベートな質問をしても宜しいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
起業した時、私はまだ二十代だった。社長という肩書きは未だに馴染まない。洒落たカフェの一角で、経済誌の記者から取材を受けながら、プロの手で整えられた己の赤い爪を見詰める。
「恋多き女と名高い遠野社長ですが…」
「ちょっと、誰が何ですって?」
 取材経験の浅そうな若いライターが切った口火を、冗談めかして遮る。生まれも育ちも良く、芸能人として抜群の知名度と好感度を誇る夫の元を出奔し、長くそのダブルスパートナーをしていた男と再婚した…というスキャンダラスなイメージからか、世間ではそのように囁かれているらしいが、実際のところ、私は酷く純な女であった。
「私の人生において、ロマンスは一度だけ…なのよ?」
 昨年出版された自伝のタイトルを持ち出して牽制してやれば、相手は気まずそうに愛想笑いを見せた。あの本を暴露本、或いは荒唐無稽な悪意のある書物として、君島育斗の信奉者たちが槍玉に上げているのは知っている。此方としては執筆の段階で元旦那には相談してあったし、世に出る前に彼には一読どころかコンサルタント並に読ませてアドバイスを貰っていたので、今更兎や角言われる筋合いは無いのだが、結論から言えば、この本はそういった下世話な方面から売れ続けている。当然ながら、そこには品性麗しい育斗の姿しか書かれていない。ワガママで子供っぽい私が、彼によって一端の思想家、もしくは経営者に育てられ、彼の元を巣立っていくまでの半生の物語。離婚は前向きな解散である。それが世間からすれば寝盗られ夫である、あのプライドの高い育斗が見付けた折り合いの付けどころであった。
「そのロマンスというのは、果たしてどれを指すのでしょうか?」
私は薄く微笑むだけで、こたえない。

 インタビュー形式よりは自分で記事をまとめる方が、私の好むところである。わざとらしく伸びをしながら、駐車場に停められた見慣れた愛車に歩み寄る。篤京は窮屈だろうに、わざわざ運転席に片膝を立てて、抱え込むようにして眠っていた。長身痩躯の彼が長い髪を揺らして寝入っているのは、なんだか異形のもののようで愛おしく、しばらく眺めてから、ウインドウをノックして起こす。ボンヤリとあげられた顔すら、輪をかけて愛おしい。 こんなに整った容貌をしているのに、それが性根の奇特さから広く一般に認知されることが無いのは悲劇ですらあると思う。
「おせーよ」
 何が可笑しいのか、クスクス嗤いながらその長い腕を助手席に乗り込んだ私に伸ばしてくる。細身の肩に合わせたパーカーは露骨に袖が足りない。猫にでもなったような心地で、その広い掌に頬擦りした。
「待ってる間、何してたの?」
「別に。ちょっとコンビニ寄って、後は博物館にいた」
 博物館は篤京のお気に入りの場所である。私たちの住む街にいくつかある施設の、一番融通が効きそうなところに多額の援助をして、彼の好みそうなものを優先的に展示して貰えるよう働きかけているが、それが果たして実を結んでいるかどうかはわからない。大抵の場合、古い物には色濃く死の匂いが染み付いているので、篤京は処刑人としての矜恃で以て、それらを処刑と結びつけた。私は彼の柔軟なんだか頑ななんだか判断しかねるそういった性質を酷く好ましく思う。
「これ、絶対お前の好きな味!」
 一頻り私の輪郭を撫でた篤京の手は、今度は忙しなくコンビニの袋を漁り、それから板状のチョコレートを、とても素晴らしいもののように差し出している。
「どうよ?」
 受け取ったチョコレートを恍惚と口に運ぶ私を覗き込む篤京の目の嬉しそうなこと。それだけで、私はこの甘いばかりの塊が、私にとっても大変価値のあるものに変わる。
「美味しい、こんなのよく見つけたわね」
 私の賛美に、篤京は更に気分を良くした様子で車を発信させた。
「明日も迎え、いるよな?」
「うん、昼間は楽屋で寝てるといいよ」
 思い出したように明日のスケジュールを確認してくる篤京の律儀さは、彼をよく知らない人間の目にはやや意外に映るだろう。夫である彼は運転手の役を含めて、妻である私のマネージャーのような仕事を率先してやりたがるが、どうやら段取りを立ててその通り動くことが性質にあっている風であった。処刑というものがある程度計画的に行われる性格にある以上、当然のことかもしれない。彼は生粋の処刑人だ。愛すべき私のサンソン。人目を憚らず彼にそう呼びかけ、腕にすがりついて甘える私を、育斗は信じられないものを見る目で見ていたっけ。
「あ、でも帰りは遅くなるかも…タクシー使おうか?」
 明日は午前と午後にそれぞれ講演会が入っている。その合間を縫うように、ニュース番組のコメンテーターもこなさなければならない。篤京が移動に心を砕いてくれるのは、正直とても有難かった。
「いい、いい」
 案の定、篤京は首を振った。
「俺が好きで送迎してんだから、お前は甘えとけ…な?」
「はーい」
 今度は私のほうがクスクス笑う番だった。篤京のことを思いながら、それを噛み砕きつつ、やや政治的に寄せた「処刑論」という新聞連載は、私を一躍時の人にした。書籍はベストセラーとなり、それに伴って動くお金が個人の裁量では手に負えなくなり、事務所を作った。私は篤京に纏わる事ばかり、書いた。本は飛ぶように売れた。処刑人を志ざす若い人たちが現れるのに、そう長い時間はかからなかった。どうせ誰も篤京のような本物の処刑人には成り得ないだろうから、私は彼らを相手にしなかった。そのうち社会現象になったけど、無視した。篤京もあまり興味が無さそうだった。ただ、全国的に処刑ブームが巻き起こったことについては、素直に嬉しいみたいだった。私の夫は毎日たっぷり時間をかけて、処刑についてあれこれ考察された雑誌に目を通したり、処刑の説明をする動画に耳を傾けたりしている。

 皮肉なことに、離婚してからのほうが、私は育斗と長い時間一緒にいるような気がする。毎週同じワイドショーのレギュラーメンバーとして呼ばれるからだ。泥沼離婚(…ということに、世間はどうしてもしたいらしい)の後でも息のあった私と育斗の親しげな掛け合いは、離婚率がついに四割に届こうとしているこの国で、新しい男女関係の在り方として、注目されているそうだ。育斗はそういった、俗人とは違った自分が大好きだから、率先して私に絡んでは、撮れ高を気にしている。そういった計算づくの態度も、嫌味にならないのは流石キミ様といったところだろうか。
「遠野くんは元気ですか?」
 今日もスタジオに入るや否や、にこやかに声をかけてきた。撮影が終わるまで、彼が私の楽屋で昼寝をしていることなんて百も承知だろうに、なんて回りくどい探りの入れ方だろう。育斗は昔から、篤京に対してこんな風だった。侮っているふりをして、その実彼の動向を逐一把握したがるその態度は、恋でもしているように見えた。私が処刑人という心の在り方を説き始めた時も、誰よりも先に篤京のことだと看過した。彼が大衆向けにわかり易くなるように手を加えたおかげで、私の本は売れたし、今となってはすっかり新興宗教の教祖のような扱いだ。
「元気よ」
「それはよかった」
 育斗はにっこりと笑った。あらゆるCMでお馴染みのその表情は、けれども彼と暮らしていたことのある私にとっては食傷気味だ。
「あなたたちについて、良くない噂を耳にしたのですが…」
 彼がわざとらしく何か言いかけた時、番組の司会者が姿を現した。雑談ができるような空気では無くなり、本番まで秒読みに入る。育斗は意地悪だが、そんなことは今に始まったことじゃない。隣で澄ました顔をしている男を憎らしく思った。

 育斗は撮影が終わるとさっさと帰ってしまったし、私も次の講演会の会場に急ぐ必要があったので、結局悪い噂については聞けず仕舞いだ。北欧風を意識した寝室で、篤京と寄り添っている時に、ふと思い出して愚痴ってはみたものの、笑い飛ばされて、すっかり私の気勢は削がれてしまった。
「アイツらしいな」
 ルームランプの柔らかな光に、篤京の長い髪をすかせて枝毛を探す。出窓に置かれた一見整合性の薄い置物は、すべて処刑器具を模している。壁に掛る牛の頭蓋骨が、この部屋をぐっと私たちに相応しいものにしていた。
「なんか交渉したかったんじゃねーの?」
 眠たくなってしまったらしい篤京が、欠伸混じりにそう言って、ゴロリと背を向けて横になってしまったので、私はエゴサーチしかけていたタブレットを放り出し、慌てて後を追う。脱税、なんて文字が目に付いた気がしたが、多分気の所為だろう。広い背中にピッタリとくっついて、幸福な気持ちで目を閉じた。
 処刑人とは生き様であり、それは個人の人格とは切り離して考えられるべきだ。資質や才能に近いものだと、繰り返し説いてきたつもりである。選民思想だと謗られることも多い。元より承知の上だ。私にとって、この現代日本において真実の意味で処刑人とは遠野篤京ただ一人を指すのであり、彼に魅せられ、その有り様を記録する為だけに活動していたのである。育斗と似通っていて、それでいて真逆の精神構造であるといえよう。あの人は男で、私は女である…という至ってシンプルな話かもしれないが。
「混乱してるから、今日は来るなってさ」
「プロデューサー?」
「いんや、君島」
 篤京はハッと鼻で嗤って、携帯端末を放って、自分も腰を降ろした。私に連絡してくれば良いのにと訝しく思ったが、何のことは無い、私のスマートフォンの電源は落とされていた。おそらくは篤京なりの気遣いだろう。夜中にひっきりなしに鳴って、煩かった可能性も強いけど。
「デイオフだな、何して遊ぶ?」
「うーん、サンソン、それは魅力的なお誘いだけど遊んでる場合じゃなかったりして…」
 目を覚ますと、私たちを取り巻く環境は一転していた。夜の間に処刑人を名乗る十代後半の青年たちが、集団で私刑を行ったらしい。廃ビルに立て篭り、テレビカメラの前で三人殺したそうだ。彼等はいずれもイジメが原因で不登校になったり、中退に追い込まれたりした若者たちで、私の講演会で知り合い、意気投合して、凶行に至ったそうだ。殺害された三人はそれぞれイジメの主犯格だったとされているが、涙ながらにうちの子がそんなことをするはずがないと訴える被害者遺族の映像で胸糞が悪くなり、ワイドショーを消した。
「なんかしないといけないのか?」
「…いやぁ、別に」
 この件で仕事が減ることはあっても増えることはないだろう。そのあたり、育斗なら巧みに立ち回るのかもしれないが、私にあんな才覚は無い。このニュースを知った大半の人間と同じように、私にとってこの一件は他人事に過ぎなかったが、同じ立場であるはずの大衆の殆どが、処刑論を牽引してきた私のことを無関係と捉えるはずが無いのは火を見るよりも明らかで、それを考えると憂鬱である。篤京のほうは暫くノートパソコンを使って情報を収集していたが、その内に「介錯はしたのかよォ…」と呟いて、机に突っ伏して、動かなくなった。飽きたらしい。
「博物館でも行く?」
 あの場所は篤京のお気に入りだし、援助をしてきた実績から、無条件で私達の味方になってくれる筈だ。我ながら良い考えだと思ったのだが、顔をあげた篤京は分別のある大人みたいに生真面目な顔で首を横に振った。私のサンソンはそうしていると処刑人という賎しさは薄れて、一層高貴なほどである。
「流石に不味いだろうよ」 
 突っ伏した体勢のまま、長い腕を更にうんと伸ばして、来い来いと私を誘う。嬉々と近付いたら、頬に張り付いた髪を掬って払われた。肌を掠めた指先があんまり優しいから、何もかもどうでもいいような気がしてしまう。私の世界に必要なのは、この男だけであるような気が。
「じゃあどっちがいっぱいチュー出来るか競争しよう!競争!」
「まーたワケのわかんないことばっかり言っちゃってさー」
 バカにしたように嗤いながらも、満更ではない証拠に、篤京の目はとろりと甘い。私たちはひと通りイチャついた後、原色のグミを食べさせあって、ブレーカーを悉く降ろしてから、寄り添って眠った。私の夫は処刑人であると同時に優れた家庭人であり、これからもそうあり続けるだろう。それが私が提唱し、世間が思い描く処刑人像と、どうやら酷く矛盾しているらしいことだけ、薄気味悪く思う。

 野生の獣めいて幸福な篤京との暮らしは、そう長くは続かなかった。電力に頼らないのには限界があったし、そうでなくとも御銭は欲しい。私は結局きっかり一週間後には、収録のためテレビ局に入った。篤京は私を降ろして、そのまま博物館にハンドルをきった。ネット上では処刑人を名乗る模倣犯的な人物による私刑予告が横行しており、その事が彼の不機嫌の原因になっている。彼に言わせれば介錯の無い処刑は不完全なのだ。
「…どうやら事の重大さが分かっていないようですね」
 育斗は私の姿を認めると、額に青筋を立てて不快感を顕にした。他の共演者が私を遠巻きにする中で、その反応は新鮮だった。
「何故君たちのところにマスコミが押し寄せなかったか、今日まで世間のバッシングと無関係で居られたか、考えたことはあるかい?」
 随分な言い草だが、育斗には不思議とこういった物言いが良く似合うし、説得力があった。カリスマ性がある…とでも言おうか。
「はいはい、あなたが守ってくれたのね…ありがとう」
 私の口先ばかりのような、それでいて心の篭った感謝を一体どう受け取ったのか。育斗は一瞬、寂しそうな、世を拗ねた子供のような表情になる。それすら計算尽くかもしれないと思う程度に、私達の付き合いは深い。
「あなたがあの男を好きだと言った時、私は当て付けだと思った…そのくらい理解が出来なかった」
 だってそうでしょう、とでも続きそうな口調だった。育斗は誰よりも篤京への感情を拗らせ、執着している癖に、それを素直に認めることが出来ないのだ。十代の頃からずっと。
「何の話?」
 私の口調は随分と刺々しいものになった。育斗は肩を竦める。
「もう庇いきれない、という話です」
 交渉人はそう皮肉っぽく呟いたが、庇ってくれと頼んだ覚えの無い此方としては、座りが悪いばかりであった。

 珍しく、篤京が迎えに来ていなかった。それだけでも気分が落ち込むのに、それを差し引いても今日の撮影現場は最悪だった。番組のプロデューサーは、何が何でも処刑論が悪いという方向に持っていきたかったらしい。何を言っても裏目に出るので、私は鼻白んで黙っていた。スケジュールについて言及されなかったので、来週からは呼ばれないかもしれないが、そのほうが良いとすら思う。タクシーを拾って家に帰る。運転手の好奇の視線は気になったけど、これも有名税だ、仕方無い。近くの路地で降りて、少し歩く。パトカーが何台か停まっているのを見て、後ろめたいことなんて何も無いのに心がザワついた。
「やめろっつってんだろーが!お前ら全員まとめて血祭りにあげてやろうかっ!!!」
 高いのにドスの効いた罵声は、確かにうちのほうから聴こえた。それどころか、私の耳が聴き間違うはずのない、愛しい人の声である。ヒールも値段も高い実用性の無い靴を履いている己を恨みながら駆け出した。マイホームの玄関から、段ボールを持った知らない男たちがゾロゾロと出てくる。おそらく警察官だろう。判を押したようなスーツ姿だ。篤京の喚く声が住宅街に反響した。近隣住民が息を潜めて、様子を窺う気配がする。
「家宅捜索です、令状もあります」
 私に気付いたらしい警察官の一人が声を掛けてきた。ドラマでしか耳にしない単語に、現実感が奪われる。ぼうっと成り行きを見守ることしかできない私の目の前で、段ボールに粗雑に詰め込まれて運搬されていたファラリスの雄牛が落下して割れた。
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