※30X話軸


「望さん、こんにちは」
「おや、名前さん。こんにちは」

久々に見た望さんは前と同じように着流しをまとい、穏やかな佇まいでそこにいた。
望さんが橋の上から見つめていた川はそこそこ幅が広くて、流れが早い。
何が楽しいのだろう、何も無い川など見て。春になると桜の花弁などが川に浮いていて風情があるのだが、今は青々と生える雑草や名の知らない花が川沿いに咲いているだけだ。時々、木から落ちたのか果実が流れ去っていくこともあるが。泳ぐ魚、捨てられた亀やザリガニを見つけようとしているのだろうか。

「川を見ていらっしゃるんですか?」
「ええ、少し、考え事をしていまして」
「考え事、ですか。……記者の方に何か言われたんですか」
「私に取材がきていたのをご存知でしたか。いえ、少し誤解があったのは確かですが恐らく解けたでしょう。何も言われていないので大丈夫ですよ」
「なら良かったです。私、記者の方にあまり良い印象がないんですよね。偏見でしょうか」
「偏見かもしれませんね。もしもまたこの島に来ることがあれば、話をしてみるといいですよ」
「そうですね、来ることがあれば」

多分、また記者の人は来るはずだ。なんとなく思う。私が記者の人の立場であるのなら、あんな胡乱な噂を持つ人のことを心のどこかに残してしまう。残してしまって、気になってしまうはずだ。

「名前さん」
「は、はい。なんでしょう」

望さんがここで川で眺める理由が知りたくて、同じであろう方向へ目を向けていれば、いきなり声をかけられて少し驚いてしまう。望さんの方を改めて見ると、彼は澄んだ瞳に私をうつしていた。その透明さに心がどきりと余計な音をたてる。浮かべられる、うっすらとした笑み。

「お暇でしたらうちに来ますか?妻も喜ぶでしょう」
「……今日は、ちょっと。ごめんなさい。また時間がある時にお邪魔させて頂きますね、先生」



また記者の人は来るはずだ、という私の予想は当たっていたのだと記者を名乗る女性──陸瑠羽子さんに自己紹介をされて知る。
東京から来たという、別冊 事実夢魂の記者。事実夢魂、きいたことのない名前だ。私が臓物島にいる間に誕生した雑誌なんだろうか。近くで見た彼女は記者というより、探偵の助手みたいな格好をしていた。可愛くて動きやすい格好である。
望さんとその妻について知っていることを尋ねられたが、私の知りうる全てを勝手に話すわけにはいかないので、所々ぼやかして答えられる箇所だけを当たりさわりなく彼女に伝えた。望さんがあんなことをしている理由、真実は軽々しく口に出来ないものだから。

「ありがとうございます。それでは失礼します」

あまり彼らの関係について好ましい収穫が無かったようで、陸さんは初対面時と変わりない様子で私の元を去っていこうとした。私はその後ろ姿を見送ろうとして、あっとそういえば言わなくてはいけない大切なことがあったと、少し大きな声を出して陸さんを呼び止めた。

「陸さん!」
「はい! なんでしょう」
「ごめんなさい、呼び止めてしまって。大切なことを言い忘れていました」

立ち止まって、私の方を向いてくれた陸さんの側に寄る。私は深く息を吸って、それから口を開く。願いと祈りを織り交ぜながら。

「どうか、この島で血を大量に流す怪我をしないで下さい」



今日は望さんの妹で私の友だちの倫ちゃんが臓物島に来てくれた。とても嬉しい。
そして、望さんから話によれば、あの陸さんも明日あたりにまた取材をしにくるそうである。
倫ちゃんに陸さんを知っているかを問うと、知っていると返された。どうやら、初めて臓物島へ取材をしにやってきた陸さんを、望さんの元へ案内をしたのが倫ちゃんだとか。家政婦でも望さんの奥さんでもなく倫ちゃんとは。陸さんはとても運がいいみたいだ。家政婦はおそらく望さんに近付きたくないだろうし、奥さんじゃややこしい事態になりかねない。
望さんの家に向かう前に私の住居へ遊びにきてくれた倫ちゃんは、前回来た時と変わらなさそうで元気そうだった。

「記者の方、明日やってくるんですか」
「うん。最近はこまめに望さんのお宅を訪問しているみたい」

もしかして、気付いたのか。いや、分かりやすい変化だから、もしかしてはいらないか。なら、陸さんは気付いたのだろうか、望さんがしている行為に。している、というか。純愛というか。
陸さんが気付いたとして、望さんの行いは記事に出来るんだろうか。してほしくない、と個人的に嫌な気持ちになるが、記事にするかどうかを決めるのは陸さんか、編集の人だろうから私の感情は関係ない。望さんはきっと陸さんが突き付けた事実を全て否定するはずだ、故にどう転ぶかが分からない。噂の、記事の主役が否定してしまえば、記事は没になってゴミ箱に捨てられるのか? わからない。今度陸さんに会えればきいてみよう。

「望お兄様の家にいるんですね。明日、記者の方が来るのも何かの縁でしょう、会って話をすることにしましょう。名前はどうする? 一緒に行きますか」
「明日は天気が心配みたいだから、行かない」
「そう。そうね、名前は望お兄様が好きだから、望お兄様の家には行きたくないですよねえ。ごめんなさいね」
「……いじわる」

倫ちゃんは昔から変わらない。昔から望さんに恋している私に、望さんが結婚しても尚、恋心を抱いている私に対して望さんを絡めた意地悪を言う。結婚をしている自分の兄に昔馴染みの女の子が何年経っても恋をしているっていう状況だから、倫ちゃんからしてみれば複雑でつつかないとやっていけないのかもしれない。つつかないでほしい。

「まだ、望お兄様が好きなんですね」
「……さいていでさいあくの方法で、望さんの目を惹くことを考えるくらいには、好き」


風が強い。いやな天気だ。


昨日はとても最悪で最低な日だった。陸さんが大怪我を負ったのだ。何故だか天気が悪くて波が荒れていたにも関わらず、無理矢理海に出たらしい。陸さんが乗っていた小型の船は波にさらわれて大岩に。陸さんは輸血を必要とする程の大怪我を負ってしまったわけである。輸血は……、なんとかなった。世間では考えられない方法であるが陸さんが死ぬよりかはずっといい。
この島唯一の病院の個室に陸さんはいる。
病室で寝ている陸さんは未だに目を覚まさない。彼女のベッドの近くには望さんが持ってきた花が生けられている。
こうして陸さんの病室にいさせてもらっている理由は、ただ一つ、私が彼女のことを心配しているからである。
何事もありませんようにと、ずっとずっと願っている。

「おや、名前さん。こんにちは、来ていらしてたんですね」
「……こんにちは、望さん」

ガラガラと引き戸を開けて、望さんが新しい林檎を持って、陸さんの病室に入ってきた。私は開きたくない口をそっとあけ、望さんに挨拶を返す。
慣れたように私の隣のパイプ椅子に座り、望さんは意識の無い陸さんをじっと見つめ出した。
陸さんが輸血をされたその日から望さんは、毎日毎日決して欠かさず入院している陸さんの元に顔を出すようになった。望さんの顔をここで見る度に、奥さんの相手はしなくていいんですか、と言いそうになる。が、自分が傷付くことをわざわざ私は口に出さない。

「はやく、目が覚めるといいですね」
「そう、ですね」

にこやかに、そして何かを期待するように望さんは言う。
貴方は一体どこを見ているの?
息が詰まる。苦しくなる。この光景はいつも慣れない。好きな人の名前に似た漢字二文字の感情が私の心中を支配する。
おねがいだから、陸さんに何事も、何の変化も起こらないで下さい。
これ以上、私にさいていでさいあくな方法を最善の方法だと勘違いさせないで。


/君をこんなふうにしたのは
タイトル:ユリ柩さま
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