試すように殺していると思った。それも自分に近いひとから順に。
物言わぬ死体と化してしまった花沢幸次郎陸軍中将を見下ろして、私はひとつばかり溜息を吐く。
自刃の偽装は施したようだったが、はらわたを抉る小刀はあらぬ方向に柄が飛び出していた。見る者が見れば不信感を抱きかねない有様だ。神経質なたちだと思っていたが、こういうところは案外詰めが甘いというか、彼らしいなと思った。
私は亡骸の正面に膝をつき、まだぬくもりの残る手のひらに触れる。温かい手だった。死んでるくせに、触れて少々、慄くくらいに。
小刀の柄に男の指を巻き付かせながら、この血で濡れた指は、彼に触れたことはあるのだろうかと考える。



花沢『少尉』の方は、思い返せば冷たい手をしていた。
兵舎の中、後ろから呼びかける声音に気づかないふりをする私を、花沢勇作少尉は手首を捕まえることで呼び止めた。まるで血の通っていないようなその皮膚の感触に、はっとして息を呑んだのを覚えている。

「ああ……、申し訳ありません、不躾に」

躊躇なく触れたにも関わらず、彼は私が足を止めるとばつの悪そうに手を解いた。氷のようなその指先が困ったように己の頬を掻く。
尋ねられるであろうことはすでに見当がついていたけれども、私は素知らぬ顔をして何か御用でしょうかと彼を仰いだ。

「あの……先ほど兄さ……尾形上等兵と話していたのを見かけて、」

案の定その名前を出した彼に内心辟易しながら、私は努めて平静を保ち、些末な業務連絡ですよ、と告げた。嘘は吐いていなかった。
花沢少尉に声を掛けられる数分前まで相対していた彼の腹違いの兄が過ぎる。尾形上等兵が世間話のひとつもせずに会話を切り上げるのはいつものことだったが、今日に限って一段と退散が早かったのはこのひとが近くにいたせいかと合点がいった。抜け目ない立ち振る舞いに舌を巻く。
続きを促すような面持ちに小首を傾げることで返す。私がそれ以上のことを言うつもりがないと察したのか、少尉は目線を落として「そうですか……」と呟いた。

「尾形上等兵との会話の切っ掛けになるような話題を仕入れられないかと思ったのですが……、兄はあなたとはよく話すようですので」

こめかみがひくつくようなことを言ってのける眼前の男に、私は黙って口端を吊り上げる。
第七師団の同志として、また偉大なる鶴見中尉の手足として、我々は業務上(仕方なく)協力し合っているわけであるが、その関係性は本当にそれ以外の何物でもなかった。
色気の欠片でも垣間見ているような呑気さを滲ませる彼の義弟に溜息を飲みながら、あなたが命じるなら彼はいつだって馳せ参じますよと心にもないことを言っておく。
私の発言に、少尉は困ったように肩を竦めるばかりだった。

そんなやり取りも忘れたころ、兵舎の中でかの兄弟を見かけた。
人懐こい調子で窺う弟に対して、兄の方はひどく素っ気なく、二言三言言葉を交わすとすぐに一礼してその場を後にした。
兄の背中に縋るように腕を伸ばしたものの、弟は途中でぴたりと動作を止め、ゆっくりと上げた手を重力に従って地面に向かわせる。
距離が開いていくふたりの姿を流し見ながら、かつて自分の肌に接した冷たい感触を想起する。
私のことを躊躇いなく引っ掴んだ彼の手は、兄に触れるにはひどく遠慮していた。



「心の優しいひとは手が冷たいんだそうだ」

戯れに語った昔話がひと段落つくと、将棋盤を隔てて向かい合った先で鶴見中尉はそんなことを言ってのけた。
初めて聞く話だった。素直にそう口にすると、「他愛ない迷信だが、案外馬鹿にできん」と喉を鳴らすので、私は花沢家の家長と次男の指の熱を思い浮かべた。
実の親子のくせに正反対だった温度感が蘇り、中尉の言葉の正確性を考える。
駒を盤上に打ち付けて指先を空にした隙を狙ったように、中尉はおもむろに私の手を取って引き寄せた。

「ほら、確かにそのとおりだろう?」

手の甲をなぞり、指先に沿って流れる彼の温度に苦笑して、私は一度だけ頷いてみせる。

「長男坊の手はどっちだと思うかね」

名残惜し気に私の手を離し、中尉は戦局に目を落としながら駒を取った。
きつい攻め手に背筋を伸ばして、私は尾形上等兵の指先を想像する。
好んで火鉢の前ばかりを占領する姿からは、体温の高さなど感じ難い。でも、今の中尉の話を聞いた後では、弟と同じ温度であるとも到底思えなかった。

「なあ君、賭けをしようか」

不意に中尉がそんなことを言うので、賭け?とその単語を繰り返す。

「この勝負に負けたら、尾形に『確認』しにいくというのはどうだろう」

心底楽しい遊戯でも思いついたかのように、鶴見中尉は人差し指を天に挙げる。

「結果が楽しみだよ、名字名前少尉」

指を組んだ上に顎を乗せた姿勢で、私の上司はにこにこと屈託ない笑みを浮かべている。彼がそんな風に笑うだけで、既に勝負はついたも同然だった。
君の番だよと鷹揚に促され、渋々ながら駒を睨む。しかしというかやはりというか、マスのどの部分を見ても勝ち筋は見当たらなかった。
盤の上で当然のように行き場を失っている私の玉将を見下ろして、降参の白旗を挙げる。
アー楽しかった!と途端に相好を崩した中尉に、ここに来る途中で調達してきた茶菓子を示した。品は勿論小樽名物、花園公園の串団子である。「休憩にしよう」と華やいだ声を上げる中尉は足を倒して座椅子に凭れ、手元の湯呑みを持ち上げた。
団子を皿に移す私を横目に見つつ、私の惨敗で終わった将棋盤から王将を摘む。光に翳すようにちらちらと動かしながら、中尉はゆったりと口端を引き伸ばしてみせた。

「はてさて……どちらに似ているかな」

取り分けた串団子の皿を渡して、中尉のご見解は?と問う。好物に早速齧り付きながら、彼はふんとひとつ鼻を鳴らして、「いずれにせよ、私にとってはかわいい部下だ」と尤もらしく濁して応えた。
飲み干して空になった上司の湯飲みに茶を足して、私は三十年式を華麗に操る彼の指先に思いを馳せる。温度の有無。それに伴う気質の差。どちらであっても非常に興味深いものであるけれども、同時にひどく滑稽であることには変わりないなと思った。
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