*男主



 最初はただ、少しばかりの興味だった。

 人生二周目というのだろうか。英霊の座というものに登録されて、人理修復に力を貸すという名目で、俺は橙髪の少女に喚び出された。その後もひとり、またひとりと、カルデアに集う英霊は増えていき、今や百人を軽く超える事態になった。

 古今東西の英霊が集っている以上、英霊同士の繋がりは多々ある。生前からの因縁などで、仲の悪い組み合わせもあるけれど、マスターの手前、大きなトラブルはなるべく起こさないように努めている、らしい。

 さて、様々な英霊が、多様な関係性を作っているなかで。俺にも、気になる英霊がいた。



 ほら、今日も食堂にいる。大人しく座ってカレーを食べている、きみをつい視線で追ってしまう。

 名前はアルジュナ。インド神話『マハーバーラタ』に登場する、半神半人。褐色の肌と黒髪がうつくしい、敬語で話す、物腰の柔らかい青年。

 彼は人当たりが良く、誰とでも仲良くしているけれど、その実、明確に一線を引いている。少なくとも、俺にはそのように見える。

 人当たりが良いだけの青年。それが彼の本質であるとするなら、俺はそうそうにつまらない、取るに足らないという判断を下していたところだ。けれど、この生活で、彼のことを観察するうちに、それは誤った認識だと気がついた。

 どうも、彼の本質はそんなものでは終わらないらしい。真面目な印象の強い彼が、こんなにも面白そうな内面を持っているって、いったいこのカルデアの、何人が気付いているだろうか。



 美味しそうにカレーを食べている、アルジュナの側へと向かう。アルジュナ、と彼の名前をひとつ呼べば、 食に夢中になっていたきみは顔を上げて、きちんと口元を拭ってから「私に何か用ですか」と俺に問いかけた。

「用っていうか、ただの雑談なんだけど。アルジュナはさ、マスターにとっての、最初のサーヴァントって本当なの?」
「ええ、そうですよ。それが何か?」
「いや、最初からいるって、いいよなって。だって、きみはマスターの旅路を、ずっと近くで見てきたんでしょ?」

 はじめからここにいる、彼のことが羨ましい。長年いれば、特異点で起こる、様々な事件に巻き込まれているだろうし。マスターの旅路も、初めから見たかったんだよな。俺はつい最近、ここに召喚されたばかりだから、データで残っている情報でしか、概要を把握していない。

「たしかにそれはそうですが。召喚はタイミングに寄るんですから、仕方ないでしょう。それに、あなたは新人ですが、既にマスターからの信頼は、十分に得ていますよ」
「そうかな?」
「そうですよ」
 あなたはよく周回に連れ回されているでしょう、と彼は言葉を続ける。たしかに、それはそうだけどさ。それとこれとは話が別っていうか、そもそも俺は、マスターからの信頼を得たいわけじゃないんだけど。でも、混沌でも悪でもない英霊の価値観からいえば、そういう思考になるのも頷けるか。

「……そっか。きみからは、そう見えるんだね」

 アルジュナは、昔からここにいる。マスターが最も信頼を置いている英霊は、間違いなく彼だ。俺の目の前の、いつでも英雄然とあろうとする、彼。

 そんな彼を、めちゃめちゃにしてやりたいという感情が芽生えたのは、いつ頃だったか。

 初対面の時点で既に思っていたような気もするし、昨日、ふいにそう感じたような気もする。それぐらい曖昧だけど、いつからか俺は、アルジュナのことをそんな目で見ていた。

 生真面目なきみ。ただしくあろうとするきみ。自分の悪性を律しようとするきみ。

 そんな彼に、抱いている感情はなんだろうな。恋愛ではないし、友情でもない。そんな綺麗なものじゃない。かといって、憎悪なんて言葉は似合わない。

 こうしてみると、感情を言語化するというのは難しいな。ただ、そうだな。俺がアルジュナに向けている気持ちは、子どもが無邪気に虫を殺すような感覚に、少し似ているかもしれない。

「ねえ、アルジュナ」
 彼の名前を呼ぶ。きみは、訝しげな視線を一瞬だけ俺に向けて、けれどすぐさま温和そうな顔つきにかえて、首をかしげた。きみは俺のことを、少しも信用なんかしていないのに、友好的な態度をとるんだもんな。その態度は、人間らしくて好ましさを感じさせると同時に。

「ずっと思ってたことがあるんだ。俺とさ、悪いこと、してみない?」
「……っ、」
「何、悪いことって言っても、大したことじゃないよ。たとえばエミヤの目を盗んでこそこそ夜食を食べるとか、マスターに無断でリソースを使うとか、それぐらいのことだよ」
 やろうと思えば、もっとすごいこともできるけど。ほら、たとえばさ。言葉を続けようとして、やめた。目の前のきみが、珍しく、取り繕うこともなく、顔を思いっきり歪めたからだ。

 ああ、たまらない。そうだ。俺はそんな彼の顔を、ずっと見たかったんだ。

 俺が求めていたのは『これ』だ!

「ま、自制心なんてたまには置いてもいいんじゃない? 一度だけでもいいから、俺と一緒に悪いこと、してみない? きっと楽しいよ」
 ね? と俺は彼に告げる。彼と視線を合わせる。一瞬視線が揺らいだものの、相変わらずまっすぐな瞳だ。それがひどく愛おしくて、同時に憎らしい。

「いえ、それは。……私は、このカルデア内のサーヴァントの、手本にならなければいけないので」
「そっか。きみなら言うと思ったよ。でもねアルジュナ。取り繕うのはいいけど、そのうちボロが出てくるよ」
「私をからかうのも、いい加減にしてください。私は、マスターに一番信頼されているサーヴァントとしての、自覚と責任がありますから」
 もうこの話はよろしいですか? とアルジュナは問いかけにくる。まあそりゃ断られるだろうな、と予想はしていた。精神が限界のところを狙うとか、そういう手段を取らない限り、こんな提案は簡単に跳ね除けられるだろうと。



「……残念だなあ」

 本当に残念だ。あーあ。この話はここで終いだね。でも、たとえ俺の提案に乗ってくれないとしても。

「……そんなきみは、きっと壊れたら綺麗なんだろうな」
 ずっと、ずっと。ただやさしく手招いて。そうして堕落を誘導する。それが俺だ。ただの人では終われず、かといって神にはなれない俺の、どうしようもない到達点。英霊として刻まれた俺の生き方。そういう性質として、俺はここに現界している。

 そして彼は、たとえ悪の自分が内面にいたとしても、それに負けずに自分を正しく律する姿勢を持っている。だから、そういった性質の英雄として、名を刻まれたのだろう。ああ、まったく、俺とはひどい違いだ。




とある日。マスターがまた、召喚に勤しんでいるらしい。あの虹色の石を持っては、召喚部屋で何やら叫んでいる。よくある光景だ。

 誰が召喚されようと、たいして興味もなかった。生前に仲良しだった人物とこのカルデアで再会する、なんて奇跡も俺にはないから、誰かを待ちわびることもない。だから俺は、召喚部屋になんて気を向けることもなく、目的地の食堂へと向かった。

 今は昼食のピークからはズレているからか、食堂の人影はまばらだった。あの地獄のような人だかりは避けたかったから、ちょうど良かった。これなら、落ち着いてパスタを食べられる。どうせまた、明日から周回漬けの日々だ。今日はマスターが、召喚に勤しんでくれているおかげで、珍しく休暇を貰えたのだから、味わって食べよう。

 ひとりで大人しくパスタを食べていると、入口の方から音が聞こえる。これはマスターの足音か。やけに焦っているというか、興奮しているというか。

 ああ、もしかして、お目当ての英霊が召喚できたのかな。それならよかった。俺は、そんな風に、ただ呑気に考えていた。

 駆け込んできたマスターが俺の姿を見て、ほっとため息をつく。
「あ、よかった、いた! たしかきみ、最近アルジュナと仲良かったよね? だからその、伝えておきたくて。いきなりだけど、紹介するね。彼が新入りの、」
 マスターの後ろにいきなり現れる気配。今まで霊体化していたのだろうか。目の前の彼はふわふわと浮いている。薄黒い肌と、白髪の手触りの良さそうな髪に目がいくけれど、この雰囲気は。

「え、え? もしかして、アルジュナ……?」
 思わず目を見開いてしまう。彼はアルジュナか。アルジュナだろうか。アルジュナの成れの果てが、目の前のきみだというのか。

 目の前のアルジュナらしき英霊は、俺を一瞥したあと、返答することもなく、すっと視線を逸らした。それはそれはもう、つまらなさそうな表情をして。

 ……まさか、反転したきみに会うとは。これがオルタナティブの英霊か。

 過去にも元の人物の関係者が、反転された状態で召喚された彼ら彼女らを見て、微妙な顔をしていた。その理由が、きみのオルタと出会えて、初めてよくわかった。そりゃ、みんなあんな顔をするよな。俺だって、こんな顔になる。

 もっとも、俺がこんな感情に苛まれている理由は、他のみんなが抱えていたであろう複雑な心境というよりかは。

 俺以外の要因で、狂い、半神以上の何かになった彼。おぞましいほどのつめたさとうつくしさ。いびつな雰囲気をまとうきみを見て、悔しくなったのは仕方のないことかもしれない。叶うことなら、俺がきみを狂わせたかった。うつくしいきみをめちゃくちゃにしてやりたかった、なんて。馬鹿らしくて笑えてくるな。
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