東京。

日本の首都、交易の中心地、最も文明が発達した地、人々が常行き交い眠らぬ街と言われるような場所。

誰もが一度は思い焦がれ憧れる街、大都会。

地方から出てきた純粋生娘が警戒を抱くには相当に或る種数多の危険を孕んだ街。

衆生が群れ成す街だ。

そんな街中を、任務に赴く最中の車窓から眺めた。

この地に来てから短くない年月が経つが、未だ慣れぬ景色と人の群れに、私は一つぽつりと零した。


「…東京って、絶対人が居なくなる事とか無いようなとこだよね…。何時も何処かしこに人が彷徨いてるし。地方の地方な田舎町から出てきた小娘にゃ、何時まで経っても慣れやしない人の多さだよ。」
「そういや、名字も地方出身なんだったっけ?」
「うん、そうだよ。虎杖が住んでたとこ程ネームバリューも無いマジの田舎の方だけど。」
「へぇ〜、でも仙台も十分に田舎の方だと思うけどなぁ。」
「全体的に異なる所だよ、私が住んでたとこは。まず、ネームバリューのデカさが違う。私が住んでたとこなんて、知名度で言ったら滅茶苦茶低いとこだもん。何せ、地名言っても大抵隣町と間違われるくらいの小さな田舎町だからな。東京なんて都会と比べたら圧倒的に人間の数が違う。観光名所めいた物も一切無いし。住んでる人間も爺婆だらけのまさにド田舎。」
「つっても、仙台だって似たようなもんよ?確かにネームバリューはあるかもだけどさぁ。人間の数的に言えば東京なんかと比べもんにならないって。」
「観光名所有るだけマシでしょ?商業的にも潤ってるし。町のデカさ自体が違うわ。」
「名字さんは、虎杖君とは真逆の地方出身ですもんね。」
「そうですそうです。虎杖は東北出身だけど、私は南の方だからマジで真逆の地方っす。」
「え!じゃあ、リゾート地じゃん!!海泳ぎ放題じゃね!?ソーキそばとか食べてたの!?」
「何で南の方=沖縄なんだよ。意味分かんねぇよ。そもそも其処まで日本の端っこ行かねぇわ。南の方つってもまだ他にあんだろーが。お前は阿呆か?」
「えぇ…っ、めっちゃディスってきたけど、今のでそんな言う?名字の沸点がいまいち分からん…。」
「今日は天気が悪い日ですからねぇ…。たぶんですが、頭が痛かったりするのでは?」
「え?名字って、天候の良し悪しで機嫌悪くなったりすんの?」
「いえ、そういう訳ではなくて…片頭痛持ちの人は、雨が降る前の気圧変化などで頭が痛くなったりと調子が狂ったりするそうですよ。今日は午後から雨が降る予報になってましたから、そのせいもあるでしょう。」
「あー成程、そういう事だったのか。…何か御免な?名字。」
「別に、謝られる程の事されてないけど…。」
「でも、ほら、体調優れない時に任務駆り出された上に、俺何も気付かないまんま接してたからさ。だから、御免。本当にキツくなったりとかしたら遠慮無しに言えよ?任務中とか関係無くマジでやばくなったりしたら、俺おぶるからさ。」
「其処までにはなんないよう努めるから安心してよ。……けど、気遣ってくれて有難う。」
「おう…!」


運転しながらも此方の話に耳を傾けていたのだろう、然り気無くフォローに回ってくれた補助監督の伊地知さんにバックミラー越しに礼をするべくぺこりと会釈すると、小さく微笑まれて「気にしないでください。」と軽く返された。

出来る大人って違うよなぁ、とこういう時に思う。

まぁ、伊地知さんは、時折可愛いくらいにドジッ子になるお茶目な人だけど。

本当の出来る大人というのは、七海さんみたいな人の事を指すんだろうな。

担任の五条先生も一応出来る大人の分類に入るんだろうけども、あの人は自分から周りの人の評価を下げるような事するダメな大人の部類に入るタイプだから、真似しちゃダメだ。

最強と謳う代わりに色々と問題行動起こしてるような人だし。

端的に言ってクソみたいな人だな。

だから、見本とするには向かない。

七海さんが言ってる事は、七割八割方合っていると私は思う。

なんて、変な方向に思考を飛ばして現地に着くまでの暇を潰していれば、あっという間に目的地へと到着したようだ。

停車した車から揃って出るようにドアを開け、外の世界へと足を踏み出す。

同時に、窮屈な箱に収められていた躰を伸ばして、細く息を吐いた。

次いで薄暗い空を見上げる。

曇天模様の空が、頭上には広がっていた。

東京の空が曇る日は、あまり良い気持ちがしない。

単純に気分が優れないというのも大いにあるが、問題は他のところにある。

雨というものは、暗い感情を呼び起こしやすい。

故に、雨の日は嫌いだ。

暗い感情に伴って彼方此方に巣食い蔓延る呪いが育って、醜い姿を表に現すから。

そして、集まり、肥大化する。

だから、私達呪術師が祓いに動く。

人が動けば、呪いも蠢く。

人が多くなれば、その分湧く呪いの数も多くなる。

そういう意味合いで言えば、東京という地は最も呪いが蔓延る地と言えるだろう。

数多の人間が日々街中を往き来するような場所だから。

多くの人間が集まる場所には、比例して呪いも多く集まるものだ。

――東京は衆生が群れ成す街。

だが…これから視界に映すアレ等は、そのカテゴリーから外される。

あんなものは、衆生からは外れたところに生息するものだ。

衆生とは、全ての生きとし生けるもの達の事を指す。

しかし、呪いとは本来在ってはならぬ存在。

生きていてはならぬ存在なのだ。

故に、私達が祓う。

そうして陰から人々が何事もなく平穏に暮らせるように物事を循環させていくのだ。

呪いは祓うべきもの。

呪術師の仕事は、そんな呪いを祓うのが仕事だ。


―郊外の外れ…普段あまり日の当たらないような薄暗い、ジメジメとした場所。

今回の任務地は、人が寄り付かなくなった路地裏の奥地に在る廃工場の一角らしい。

既に、廃工場に入る手前から低級の呪い達が此方に顔を覗かせて下卑た笑いを見せている。

最早まともな言語にすら成り得ていない、意味も無い言葉を発しながら呪いが蠢き、這っていた。

虫酸が走る。

背筋を嫌な悪寒が駆け抜けていった感触を最後に、私はその場から駆け出した。

此れ以上に呪いが増えられても面倒だから。

早いとこ片付けてしまった方が良い。

でないと、天気が崩れて雨が降ってきてしまうだろう。

その前に全て祓ってしまわなければ。

任務を遂行する上で、傘なんて持ち入らない。

アレは、移動途中でしか利用しない物だ。

戦闘に入ったら、雨が降ろうが槍が降ろうが関係は無い。

己の掌に呪力を宿して、握り、呪いへとぶつける。

呪いには呪いでしか勝てないから。

最終的には術式を展開して、纏めて一気に呪いの塊を叩き潰す。

自分達を消す存在が来たと認知した呪い達が動く。

今回の任務対象である呪霊――二級相当の呪霊が私達をも糧にしてやろうと大きく凶暴な口を開いて襲い掛かってくる。

其れを避け、周りに居る低級共を巻き込みながら攻撃に出る。

恐らく、この二級相当の呪いが発生した事で近くに蔓延っていた他の低級共が呼び寄せられてしまったのだろう。

呪いは呪いを呼び、そして大きくなり、強大になっていく。

そうなると、必然的に奴等も力を増していく。

強い力を持った呪いには、其れ相応の覚悟と力を以て戦わないと祓えない。

だから、私と虎杖二人で組まされた任務だった。

上級呪霊は一体だが、他低級共の数が多過ぎる。

凡そ一人では祓い切れぬ量のものであった。


「なぁなぁ、今回のちょーっち数多くない…?」
「でも、派遣されたからには仕方がないでしょ…っ!此奴等全部祓えって仕事回されたんなら、仕事終わるまでは帰れない、よ!!」
「いや、そりゃ分かってるけどもさぁ〜…正直言って、ちょっと気が滅入るわ。こんな数いっぱい居るとか聞いてないし。」
「窓からの報告にあったよりも増えちまったって事で、しょ…!……っと、危ね。」
「うわっ、こっち来た…!キッモォ!!」
「標的、虎杖に移ったみたいだから、あと宜しくーっ。代わりに私が雑魚共相手にしとくからー。」
「了、解…っ!」


其れまで纏っていた呪力量を上げた虎杖と擦れ違いにポジションを交代する。

一旦本気で殺る気になった虎杖のオーラは目を瞠るものがある。

…が、眺めている余裕も暇も無いので、さっさと祓うべくして雑魚共相手に武力を行使する。

私も虎杖も近接タイプ、直接敵に殴り込みに行くタイプだから、物理的に力を行使するのみだ。

殴る蹴るの単純行為を繰り返して、対象の呪い達を祓っていった。


―現地に到着してから一時間程が経った頃だろうか。

粗方の呪霊共を排除した後、周囲の見回りを行って、異常が無ければ帰還して良しだ。

二手に別れていたところを合流して、お互いに得た情報を共有し合った。


「こっちはもう何も居ないみたいだったよ。そっちはどうだった?」
「ん、こっちも全部祓い終わってたみたいで異常無し。報告にあった呪霊は、さっきので最後かな。」
「じゃあ、帳解除して、伊地知さんに連絡しよっか。」


虎杖の言葉に頷いて、任務完了を告げるべく、下ろされていた帳を解いて、合流地点へと戻る道すがら報告の連絡を入れる。

伊地知さんへの連絡は、虎杖が担ってくれた。

受話口越しに淡々と報告をする虎杖の声を横目に聞き流しながら歩いていれば、ふと頬にぽつりと何かが降ってきた感触がして、空を見上げた。

すると、続け様に頬を数滴の雨粒が打って濡らした。

雨だ。

次第にぽつりぽつりと降らす量を増した雨粒が、傘も無き私達の制服を濡らしていく。


「あちゃあ〜…伊地知さんとこ戻るまで持たなかったかぁ…っ。」


報告を終えたんだろう虎杖が、同じように空を見上げ呟く。

この季節の雨は冷たく、寒い。

濡れた部分からどんどん体温を奪われていくようだった。


「―ハイ、どうぞ。」
「え……っ?」
「こんままじゃただ濡れて寒いだけじゃん?お互い既に軽く濡れてっけど、こうした方がまだマシだし、ね!」


脱いだ制服の上着を傘代わりに頭上に広げて被せてくれた虎杖が、ニカリと快活に笑う。

お言葉に甘えて彼の傘の下に入るよう身を寄せれば、此れ以上濡れないようにと上着を傾けてくれた。

こういう時、自然と紳士に振る舞うから、同い年なのに、ちょっとだけ調子狂っちゃう。

根っからの善人だから自然と出来ちゃう事なんだろうけども。

そうやって何でもスマートにこなせちゃうから格好良く見えちゃうんだろうな。

そんな風に思いながら、彼と一緒に水飛沫を飛ばしながら人通りの無い路地裏を駆けていく。

そうして辿り着いた先で、私達の無事を確認した伊地知さんが安堵した表情で待っていた。


「お疲れ様でした、虎杖君も名字さんも。」
「いやぁ〜、今回のは数めちゃくちゃ多くて参ったわぁ。お陰で凄ぇ殴りまくって疲れた〜っ!」
「おまけに結局雨にも降られちゃったしねぇー…っ。」
「本当災難だよなぁ。ぶっちゃけ、今日の運勢最悪だったんじゃねえかってくらい。」
「…まぁ、人が多く集まる所には其れだけ多くの呪いも集まる訳だから、仕方がないよ…。」
「取り敢えず、高専戻ったらまず着替えだよな。すっかりびしょ濡れだし。」
「そうですね、風邪を引いてしまわない内に着替えた方が宜しいでしょうね。」
「っつー事は、教室戻るよか寮の部屋の方に直行だな…!」
「一応、伊地知さんからタオル貰って軽く水気拭ったけど、やっぱそんままは気持ち悪いもんね…。」


行きで乗ってきた車へと再び乗り込みつつ、そんな会話を交わす。

車が動き出すのを横目に雨降る東京の街を眺めていたら、不意に横から手が伸びてきて額に触れられた。

其れに吃驚して隣の席の方を見遣れば、虎杖が気遣わしげな視線を此方に向けて窺っていた。


「あ…っ、御免。急に触って吃驚しちゃった?」
「え…あ、うん…。」
「御免御免。ちゃんと一言声かけてからにすれば良かったな。」
「…えっと、急に触れてきたりして、どうしたの…?」
「いやぁ、行きの車ん時に体調優れないって話してたから大丈夫かな、って思って?雨に濡れちゃったのもあるしさ。熱とか出してないか気になったんだよ。…あ、変に触ったりしたの嫌だったら本当御免!」
「いや…其れは全然構わないんだけどさ……。」


どうしてそうもナチュラルに他人を気遣えるのかが不思議で堪らない。

というか、そもそも行きの時の事を覚えていた方に驚いた。

私本人ですら呪霊との戦いですっかり忘れ去っていたというのに。

この人は、本当に他人想いの思い遣りに溢れた人だと思った。

同級生で同い年の子にしては、よく出来た人間である。

そう感心していたらば、変にぼんやりしていると勘違われたのか、目の前で手を振られてハタ、と我に返る。


「おーい、名字さーん…?マジでダイジョブ?」
「…いや、其処までせんでも大丈夫だってば。」
「や、だって何かぼーっとしてたっぽいからさ。本当に具合悪くなったりしたら無理しなくて良いかんね…?どうせまだ暫くは車ん中揺られてなきゃならない訳だし。しんどいなら、俺の肩遠慮無く使ってくれて良いから。頭、凭れ掛からせときなよ。」
「……有難う。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね…。実は、さっきから頭痛酷くてさ…地味に辛かったんだよね……っ。」
「あ、やっぱり?何か言葉数めっきり減ったからそうなんじゃないかなって思ってたんだよ。声かけて正解だったな…!」


私の為に傘代わりにしたせいでびしょ濡れになった制服の上着が、彼の膝上で適当に丸められて置かれている。

その為、今の虎杖はトレードマークの真っ赤なパーカーを露にしていた。

コツリ、彼の片側の肩を借りるように頭を預けて目を瞑る。

すると、優しく労るように彼の掌が私の頭に伸びてきて、ゆるゆると撫でていった。

まるで、酷い頭痛が早く引いてくれるのを願うみたいに。

温かな気遣いが嬉しくて、私は蒼白くなった顔を下げつつも小さく笑みを浮かべた。

高専に着くまでの間だけ、彼からの優しい労りを享受していよう。

きっと、人の多い中心地から外れた場所に在る高専に着く頃には、この雨も、頭痛の酷さも、少しはマシになっている事だろうから。

其れまでは、この温かな気遣いに溺れていよう。

身も心も絆されてしまうように全てを委ねて。
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