これだけの衝動に何の意味があるのか私には分かっていなかった。侑士は分かっているのだろうか。何でもお見通しな顔をしているように私目からは見える。どれだけの未来が予測出来て、どれ程の損害を見据えて、今があるのだろうか。

侑士はクラスで美男美女カップルで有名だ。放課後は部活の日には彼女が教室で彼を待ち、彼もそれを迎えに来てから二人で帰る。部活の無い日には勿論二人で帰って寄り道などをするらしい。勿論私は部外者だ。

ただ彼は一日の内、何度か授業中に振り返り後ろの席の私に話し掛け、机の下で私の膝を触る。いつの日かコレが合図になってしまった。その次の休み時間、私は彼と逢瀬を重ねる。それが習慣になったのはいつの日からだろうか。思い出そうとするだけで気分が悪くなった。私は隣の席の友人へ声を掛け、授業の邪魔にならないように静かに保健室へ向かう。


「頭痛いので休ませてもらって構いませんか?」
「大丈夫だけど担当の先生は知ってるの?」
「大丈夫です。友人に伝言頼んでます。」
「じゃあ奥のベッドで休んでね」
「はい」

養護教諭と簡単な形式会話を済ませてベッドに腰をかける。しんど、と思わず声を漏らした。他に誰も居ないようで良かった。私は横になる。真っ白な天井が、まるで私を責めているようだった。私の頭は真っ黒だから。そんなことを考えているとチャイムがなる。今頃、彼は美術室へ向かっているのだろう。

3ヶ月ほど前の美術の授業中にたまたま侑士と机の下で膝が当たった。その頃、私は侑士に彼女がいることを知らなかった。密かに恋心があった私は不覚にも少しばかり心を躍らせてしまった。それが彼には手に取る様に分かったのだろう。くすりと笑みを浮かべていた。当時の私にはそれすら見目麗しく感じてしまった。
その授業が終わった時、片付けをしていた私を呼び止めたのは侑士の方だった。軽く話をしながら、膝が当たったことを不意に話題に出されて露骨に戸惑ってしまった。気が付いた時にはクラスメイト達は既に自教室に戻っていて、その場には私と侑士だけだった。私はどんな顔をしたらいいのか分からなくなり困って侑士の顔を見上げると、彼は私に1回静かにキスをした。驚いたのは束の間、私はあろう事か喜んでしまった。彼にはそんな私の感情の移ろいも分かりやすく感じ取っていたのだろう。優しげな笑みを浮かべて、皆には内緒やで、と言われた。
それから幾度か美術の授業の度に膝が当たり、その度に次の休み時間に侑士とキスをすることが習慣になった。暫くして侑士に彼女がいることが発覚して私は酷く傷ついた。もうこんなことは辞めよう、と決意した。そんな時に、彼はわざわざ数学の授業中だった。わざわざ振り返り、私の膝をトントンと指で弾いた。そして前を向いたと思えば小さく折り畳まれた紙が飛んできて“待ってる”とだけ書かれていた。私は次の休み時間に何故か大人しく美術室へ行ってしまい、そのままなし崩しに侑士にその場で身体を重ねてしまった。ロマンも糞もない。
あれから私は可笑しくなってしまった。本当は望んでないのに、膝を触られるとスイッチが入ったかのように大人しく美術室へ向かう。拒否したいのに拒否出来ない。自分の考えが行動と伴わない。そんな自分が不甲斐ないやら情けないやら、何とも言えなくて。でもそれでも何も変えられない。そんな3ヶ月だった。

そんなことを考えていると保健室の扉が開く音がした。

「今誰か休んでますか?」
「今は1人女の子が休んでるよ。忍足君もしんどいの?」
「いや、俺は暇潰しです」
「ふふ、何それ。そう言えば先生ちょっとお仕事があって職員室に行かないといけないんだけど、少しの間、留守を任せても大丈夫?」
「はい。いってらっしゃい」
「じゃあお願いします」

聞き覚えのある声が先生を良いように追い出す。ここに居ることがバレては厄介だ。息を潜めた。
そんな努力の甲斐は虚しく消える。カーテンを開ける音がした。

「ここにおるのは分かってるんやで。一旦美術室行ってもうたわ」
「……何で来たの?」
「心配したから」

嘘みたいな笑顔をする。

「て、言うと思ったか?」

やはり嘘だった。彼は人の心を弄ぶのが得意なようだ。わざと人を傷付けるような、飄々とした態度でいる。

「何で逃げるん?」
「逃げてなんかない、気分悪かっただけ」

彼はじっと私の目を見る。その目が嫌いだ。何でも見透かされたような気分になる。本当に気分が悪くなりそうだ。

「今更逃げるなんて許されへんねんで。来るところまで来てもうてんねんから」

私は別に来るつもりはなかった。勝手に来させられただけなのに、そんな言い方されなければいけないのだろうか。あんたの方が100倍、余っ程酷いことしてるくせに。

「俺が悪かろうが、お前が悪いって事実は無くならんねやで」

そう言って彼は私の腕を引いて起こした。本当に頭が痛いみたい。手で頭を抑える。すかさず彼は私の顎を上げた。

「俺は悪いよ」

それだけ吐いて彼は私にキスをした。自覚してたら構わないって言いたいのだろうか。自覚している方が余っ程タチが悪い。確信犯じゃないか。

「何か思ってることあるんやったら良いや」
「……タチ悪いって思った」
「確信犯やろ、てか?」

こいつ本当に心読めるんじゃない?なんで分かるんだろうか。私は彼に掴まれたままの手を払った。それを同意と取ったのか彼は口を開く。

「ホンマに俺みたいなんがタチ悪いと思うか?俺からしたらお前も余っ程タチ悪いで。自分は俺に誘われて罪を背負わされてるだけやと思っとるやろ。でもあかん事やって自覚してるのに拒否しやんのも、俺からしたら十分お前も罪背負っとるで。自分からせんかったら構わへんっちゅう話ちゃうやろ。被害者面してるお前の方が余っ程タチ悪い。」

私の痛いところをグッサグッサと針で突き刺す。私は拒否出来ないのではなく、いつまで経っても拒否しないのだ。絶対に自分のモノになることのない彼を、一時的に自分のモノと錯覚できる時間に、快楽に溺れているんだ。それを選んだのは紛れもない私。

「どうせいつか終わることなのに……」
「それが代償やろ」

私が人を騙して被害者面して一時的な快楽に溺れた代償は、いつか私が独りになってしまうことなのか。それならば彼の代償は何なんだろう。バレなければ彼は彼女がいるのに。

「俺もちゃんとあるよ。背負い続けること、やで」

どっちが楽で、どっちが良いのか、それは人それぞれなんだろう。少なくとも彼はずっと償い続けることになる。私達のしたことはそれだけ罪深いことだった。私が悲しみに更けようと顔を下げようとすると彼は阻んでキスをした。一人で楽になるのは許さない、と言いたげだった。
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