※メインストーリー二章以降のネタバレがあります

乾いた空気と快晴の青い空。
昼が近づくにつれ、太陽の輝きが増し、この国を照らしていく。
容赦のない夏に比べればまだ低く上昇した熱を、妨げるための日陰が多くある。

昨日までの雨で屋外の砂の地面はぬかるんでいた。
大きな滝をつくる川の水量はいつもより増していることだろう。
滝から流れ落ちる水が大気を動かし風をつくるのだと名前は憧れのおばから教わって知っていた。
爽やかな風がそよぐ室内を重点的に、名前はおば一家の暮らす住まいで、彼女ら親族の一人を探していた。
匂いをたどって鼻を動かしているその姿は狩りを得意とするメスライオンのようだ。
実際には、名前は獅子の獣人だったので耳も良く鼻も効いた。
ツイステッドワンダーランドと呼ばれる世界の“夕焼けの草原”に暮らす人間のほとんどは、動物の身体的な特徴を持った獣人だ。

「レオナー!」

やや舌足らずの呼びかけに、壁を超えた部屋で立てた耳が小さく揺れれば、その喉元から発される獣らしい唸り声を名前は自前の聴覚で捉えて、彼の居場所を割り出した。
首周りをしめつけるような服装がだいきらいな男が、だらしがないと咎められそうな胸元を大きく開けた格好で、人気のない日陰でだらしなく転がり寝そべっている。
ただそれに面と向かって忠言する者はこの国にはそうそういない。
横柄でけだるげな色気を漂わせる男が昼寝のひと時を中断して、寝返りを打ちながらぼやいた。

「赤色じゃない毛玉が来たぞ……」
「今日は毛玉じゃないもの! ツヤツヤにしてきたもの!」
「そうだな、毛並みに艶があるし前より伸びて……毛繕いは順調だな、お嬢ちゃん」
「ちーがーう!」

木製のカウチに横たわる背中とおざなりに揺れるライオンの尾に名前が抗議した。
いくら獣人だからといってケモノ扱いはされたくないのだが、知っていてからかってくるのがレオナだった。
レオナは見目こそ麗しいがなかなか性格が捻くれていた。

「仔猫は元気に外で遊んでろ。チェカもいるだろ」
「今日はレオナといる! の!」

膝に乗っかろうとする兄嫁の姪御の横暴に応えるわけにはいかないため、起き上がり様に彼女の服の襟首を掴んで引き剥がした。
カウチに座らせられた名前の両頬を片手で易々と挟んで、眇めた目つきのレオナが間近に迫る。

「チェカと言い、名前、お前と言い……まず、年上は敬い、レオナ様と呼べ」
「れおなたん」
「やり直し」
「れおなにゃん……」
「悪化させやがって……」

名前は自分ではきちんとレオナさんと言っているつもりだ。頬を挟まれていては口がうまく動かせるはずもない。

「レオナって呼んじゃ、だめ?」
「やり直し」
「れおな……さん」
「そうだなぁ……俺は名前の将来が心配なんだ。だいじなお前には公の場で恥ずかしい思いをしてほしくない……日頃から年上には敬称を使ったほうがいいんじゃないか? ああそうだ、俺で練習すると丁度いい」

放されたのに指の圧迫感がまだ残る頬を両手で揉みほぐしてから、名前はレオナにイイッと歯を威嚇のように見せつけてからブラシをとりだした。
自分の少し延びた髪のこともそうだが、当初の目的はこっちだった。

「さっき向こうで見えたとき、髪の毛がぼさぼさしてたよ」
「あァ? そうか?」
「うん、だからブラシしにきたの」

レオナは全寮制の学園に通う学生で、長期休暇(ホリデー)にしか実家に帰ってこようとしてくれない。
そんなダブルスーパーレア級な珍獣扱いのレオナに会うため、みっつ年下のチェカと名前がどれだけ仲良くしていたとしても、一人こっそりと皆の元から抜け出したくもなる。
ゆらと細長い尻尾がレオナの後ろで揺れるのが見えるが、ブラシを髪に通すことを拒みはしなかった。
気に入らなければ触らせもしないが、そうでない誰かがやってくれるなら好きにやらせてやるという姿勢は、習慣とはいえずいぶんと偉ぶっている。
校内の学生から顔だけのダメ男と評される所以はこういう姿勢も関わってきているのかもしれない。

「わたしもレオナさんと、けーくんとヴィルさまみたいにナイトレイブンカレッジにいくー! #NRCってつけたい!」

若者を中心に有名な大手SNSアプリであるマジカメの話だとはレオナにも分かった。
初等学校(エレメンタリースクール)に通う名前も放課後にタブレットからマジカメはよくチェックしている。
NRCことナイトレイブンカレッジはハイティーンの学び舎、しかも名門学校なのだった。
マジカメをまめに投稿する柄でもなく、閲覧どころかスマホにダウンロードしているかどうかも覚えていないレオナは、名前のここ最近発信された学生マジカメグラマーの興味のないあれそれを軽く聞き流した。

「本当に楽しそうだもの。わたしもみんなみたいに、レオナさんといっしょの学校に入学したい! ……ホリデーが終わる時、いっしょに連れて帰ってよ。わたし、雨よりも雪がみてみたいなぁ」
「はあ。あのな、そもそもの大前提として、あの学校への入学は名前には無理だ」

ツイステのナイトレイブンカレッジは男子校だった。
大会や学園行事以外では、一般の女子生徒の出入りなどは稀である。

「いま正式にはね。共学にしたら入れるのに!」

誰かに負けず劣らず不遜で大それた、つっこみどころしかない発言だった。
まず“したら”ってなんだ。なったら、と言わないあたり、人によっては卒倒するようなこわいことを容易に考えているのだろう……伝統がぶっ壊れて、責任者のクロウリーなんかが右往左往する有様なら、色々と見物かもしれないが。
そこでレオナは生産性のない考えを打ち切った。

「大体だ。ナイトレイブンカレッジにはな、魔法士の資質を持った、才能のあるヤツしか入れないことになってるんだよ」
「わたし、魔法士になりたいんじゃないよ?」
「ほら見ろ。やめとけ」

名前は首を隠すくらいある長さの豊かな男の髪を乱さないように避けながら、その背中に乗りかかる。
身嗜みを整えるのにかこつけて、くっついておしゃべりをする気満々だ。

「ねーえ、才能があるって、つまりいちばんってこと?」
「能力がすぐれてるってことだ。……べつに一番のヤツを指す言葉じゃねぇよ」
「ふーん。でも、いちばんじゃなくても、才能がある! すごい! っていわれるんだね」

薄く柔らかそうな獣の耳がぴくりと揺れるが、名前よりも頭上にあるその様子には誰も気づかなかった。

「じゃあ、わたしにはカワイイの才能があるんだよ!」

振り返り、どういうことだと言いたげなきつめの視線にもめげず、肩に寄りかかった名前がニコニコと無邪気に笑顔を浮かべる。

「チェカがね、わたしのことカワイイよっていってくれるの。お父さまもお母さまも、エレメンタリースクールのみんなも、おば様も……だから、わたしも才能があるってこと! そうでしょ?」
「いいや、名前にカワイイの才能はないな」
「えっ!? なんで? みんないってくれるのに?」

愛らしい笑顔から一転して、驚きで目を丸くするのを見て、慌てようが面白くて少し気分が良くなるレオナ。
重ねていうが、レオナはやや性格が捻くれている男だった。
子供相手に大人げないなど今更痛くも痒くもない。

「なんでって、他のヤツらにとってはそうだろうが、俺にとっては違う。悪いが、俺は俺が一番可愛いからな。名前はせいぜい……痛、こら、じゃれつ、いや尻尾を引っ張るな!」
「引っ張らなかったら、イジワルいうのやめる?」
「グルル……あァ。やめてやるよ」
「それから、いちばんカワイイよって、いってくれる?」
「あ? なんでだよ」

名前は握って引っ張っていたレオナの尻尾を離して、不貞腐れたように口を尖らせながらブラシを再開する。
牽制の唸り声を出すに留めるくらいは紳士な対応で留めた。
紳士なレオナにのし掛かるように名前は更に寄りかかり、さっきまでの恭しい手つきとは打って変わって荒っぽいブラッシングをした。

「レオナさんが、カワイイっていってくれない」
「他のヤツらが言ってんだろ。それでいいじゃねぇか…………ああ、くそ、もう我慢できねぇ」

唐突に名前はレオナに襟ぐりを引っ掴まれた。
そして背負い投げのような要領で、彼の背中から肩へと前転させられ、連れ込まれるように滑り落ちた先は腕の中だ。

「くすぐってぇよ!」
「きゃあっ! あははは!」

簡単に無防備な体を擽られながら名前はレオナにブラシをあっさりと奪われてしまった。
髪の下の首筋に高級ブラシの毛先が何度も何度も刺さってくるのだ。下手くそと言外に仄めかして、お気に召さなければ力技で元凶を強制的に没収した。

昔、レオナのように色濃く、知的に見える髪の色で生まれたかったと泣き言を並べていた名前と話したことがあった。
キングスカラーの名前になっていた彼女の聡明なおばと同じ髪色だから問題はない、と話半分で宥めたのだ。
名前がレオナに懐き始めたのはその辺りからなのだろうか。

幼心に好意を持ったレオナには可愛いと思っていて欲しい。
いや、思うだけでは飽き足らず、なんならこの場で確実に言って欲しい。
言わせたがっていると言っても過言ではなかった。
察しが悪くないレオナは相手の思惑を感じ取り、切れ長の目で小さな生き物を見下ろした。
 
レオナにとっては、この相手はおやつにするにも物足りない、色香どころか肉付きもない本当に小さな生き物、つまるところはただの子供だった。
擽りから身をよじっても逃げるに逃げきれなかった名前は、黙って見詰めてくるレオナの様子に気がついて、抱き竦められた腕の中で笑いすぎた息を整えながら顔を赤くしてぼんやりとほうけている。
ほうけるそのあいだに、今度こそ仔猫のように両脇の下に手を添えられて体を軽々と持ち上げられた。
名前の目の前では、レオナの目は未加工の宝石のようにまぶたの合間から妖しく光りを放ち、歪めた唇の隙間からは白く丈夫な歯が覗いた。

「どれだけ可愛かろうが、それでもお前は、俺にとっては二番目だ」
「二番め」

日向の届かない、涼しささえどこか肌寒さを覚えるこの場所でも良く見える表情……悪どい顔で、レオナはニヤニヤと楽しそうに笑っていた。
念のためだが、いくらレオナが眉目秀麗だからといって、本気で可愛さ比べについて名前と同じ土俵に立ち張り合っている、というわけではない。
賢い者なら再三言わずとも理解できるはずだ。
レオナのその艶やかな顔が、他人の悲しみをゆっくりと期待する。

「カワイイは、わたしなのに」
「俺は俺が可愛い」
「わたしはいちばんじゃない?」
「一番は俺に決まってんだろ。我が身かわいさ、ってやつだよ。わかるか? わからなくても、そのうちわかる」

容姿と保身についてを混同させるようなレオナの物言いは幼い名前にはやや難しい。
ただ、そこまでで名前にも分かるのは、自分が求める一番には絶対にならせてくれなさそうだということだ。

自分の欲しいものが、決して与えられはしないこと。
それは単純に才能がないせいか。才能の有無にかかわらないのか。才能があれば、手に入れられたろうか?
頑張れば、努力をすれば、変わるものだろうか?
そんな事はないのだと、彼は希望のない谷底へ嬉々として突きはなそうとした。

「ねえ、レオナ」
「さん」
「才能とか、なくてもあっても、べつにいいよ。でも、わたし、レオナのいちばんに、なりたいよ。レオナがダメっていっても、そんなのだめなんだから」

つたなさで少しばかり震える宣言を、レオナは訂正させず、そして一瞬たりとも笑い飛ばさなかった。
助けも乞わず、諦めもせず、大きな傷(スカー)の痕が一筋目立つ眼を名前が強く見詰めている。

「それで?」
「だから、だから、レオナがいちばんだっていうなら、わたしは二番がいい。だけど、いちばんがレオナじゃなくなるなら、その時はわたしじゃなきゃダメなの」

手を伸ばして、自分を持ち上げている腕をつかんでいる。
そうして名前が浮かべた笑顔には、遠慮も分別もない子供の無邪気さなどはなかった。

「ずっと二番でもいいけど。でも覚えておいてね。レオナ、いつかあなたが、二番になるの。三番めはダメよ、わかった? きっとよ」

たどたどしくも、怖がりもせず泣きもせず、まるで劣勢に立たされた弱者の脅し文句のように空恐ろしいことを言うので、レオナは少しだけ目を細めた。

残念ながら、脅しの言葉だけでは彼は動かない。本気でやるなら可愛げもなく、引きずり下ろして力と牙……言わば実力行使で奪うくらいしかないだろう。
けれど名前は、力、知恵、運命、そして才能、才能でさえないもの、持てる全てがいずれ研いだ爪を差し向け磨いた牙を剥くことを嬉々としてやると予感させた。
自身を切り裂こうとする、それが楽しみなわけがない。

「この俺を二番にする日かよ……ぞっとしねぇな。それならせいぜい、俺様を楽しませてみろよ」

そこには幼い不屈の意志ひとつ。
いかにも悪あがき同然の戯言の中、レオナが感じとったそれに肌は粟立った。

彼は思っている。
優れた才能があり才覚にあふれていたとしても、生まれ次第で叶わないこと、絶対にひっくり返せないこと……そんなものが、あってたまるかと。
同じくらい、才能などは所詮批評の程度でしかなく、やはり定められた地位は覆せないのではないかというやるせなさを。

だから大いに警戒し、けれど心待ちにして、そんな子供を、弁える身の程もしらない子供の名前を馬鹿にはしなかった。
勇猛な伝説が残る百獣の王のように、分け隔てなく鷹揚な心算で、務めなければならない。
いずれ、したたかで逞しい、夕焼けの草原の女に成長するであろう子供のことを、その地位を賭けて、迎え撃つか受け入れるかする日がやって来ることを。
それは、なかなかに、結構な話だ。

未熟な体の人ひとり、自分の目線まで持ち上げ続けていてさすがに腕が怠くなってきたレオナは、意地悪が思ったように捗らず、ちっとも追い払えなかったことに溜息をつきたくなった。
名前がすぐここから出ていくことはなさそうだ。だから名前に落ちたブラシを拾わせることもできず、単にご機嫌をとることになった。

「ちゃんとかわいくしてね」
「はいはい、名前がイイ子にしてたらな」

丸め込めなかったのが悔しいのか、普段以上に子供扱いをするレオナだ。
自身の膝の上に座らせて、倒して折りたたんだような獣の耳を避けて、風にそよぐ柔らかい髪にブラシを通せば、機嫌を戻して名前はくすぐったそうな声で笑い転げた。

「ちゃんとやってー」
「やってるだろ」
「もっと!」
「じゃあ他をあたれ、できねぇよ」
「できないって決めないでよね、レオナさん!」
「目上の俺に指図するな、名前」
「さしずじゃないよ。ねえ、そういえば、レオナじゃなくてレオナおじたんなら呼んでもいいの?」
「だめ」
「おーじたーん!」
「お前、直さない減らず口はそのまま食っちまうぞ」

ここだけをみれば、いかにも平和で長閑で欠伸を誘う、気の抜ける交流だった。
そういえば、髪色を兄嫁にたとえて慰めた時といい、適当にいなせずに折れることが多いような気がしなくもない。名前はレオナに対して、なんらかの別の才能ならすでに発揮していそうだった。いじらしくて構っているとか、そういうことではないはずだ。

結局レオナが二度寝を貪ることができたのは、名前がレオナに髪をブラシで梳いてもらって満足した後になった。
終わる頃には、ぬるんだ風とともに傾いた太陽の光がとっくにカウチまで差し込んできていて、そのまぶしさのおかげで昼寝がし難くなった……と思いつつレオナは横になり、ものの三秒で寝た。
大人しくなった名前もそこにいるのに、呆れて何も言えない……可愛らしく頬を膨らませる名前を二番にしているのはそういった男だった。
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