黒い鉄オーブンと白い壁、スタンダードなメイド服、市松模様のフローリング。焦げ色がつく前にオーブンから取り出されてしまうので、クッキーもほとんど白に近い色合いをしている。
頑迷なまでに色彩を殺したこの部屋が、飼いビトの私に与えられた持ち場だった。
麻酔剤を入れたクッキーはショーの大事な潤滑油で、だからこれは重大なお役目なのよ、とママは言ってくれる。……ヘマしたら承知しないとも。
とにかく、響く悲鳴が大きいほど、噴き出る血が多いほど、宴はいよいよ盛り上がるものだけど、あんまり冗長なのは敬遠されるのだ。それに狩られる側にしても、幾ばくかの時間を稼いだところで無様を晒して絶命することに変わりはない。せめて感じる痛みが少なくあってほしいと願って薬量を増やすのは、身勝手でお粗末な思いやりだろうか?

「いいや、慈悲の心はそれだけで素晴らしいものだよ。行いに現れるなら、なおさらだ。君はもっと自身を評価した方がいい」
「ありがとうございます。ムッシュは優しいですね」
「おや、どうして」
「だって人間の、飼いビトの私にこんな温かい言葉をかけてくれるのはムッシュだけですよ」
「ああ、僕らは人間を喰べるからねぇ。どうしても君らに対して粗暴になりがちさ」

肩をすくめる彼は、MMという名で通っている喰種だ。上質な肉を用意する手練れであり、またこんなところ──人間の食べ物でいっぱいの厨房──に足を運ぶ物好きでもある。私がよく知っているのは後者の彼で、でも会うのは久々だった。

「僕らは皆、平等に肉袋だ。詰められた才能や素質を研鑽して楽しみこそすれ、その優劣を競うのは無為だと思わないかい?」
「ムッシュほどの方が仰ると、うなずく以外にありませんね」
「うれしいことを言ってくれるねぇ」

ムッシュはどこか華やいだ声で言った。
マスクのせいではっきりしないけど、いつにも増して上機嫌らしい。とりとめのないお喋りを楽しむ合間に、クッキーの型抜きまで済んでしまった。私がぼんやりと白い生地を天板に並べていると、ムッシュは思い出したように腕時計を確認して、何でもない風で訊ねた。

「そうだ、君のママはどんなマスクをしている?」
「ええと……白と黒の斑の、ベネチアンマスクです」

それが何か?
マスクの下の口元は優雅な笑みを浮かべるだけで、それについては答えてくれない。嫌いじゃないけど、やっぱり変わったひとだ。
なんとなく沈黙を持て余しながら、オーブンの扉を開ける。列からはみ出たのを直している間に、瀟洒なスーツに包まれた背中はいつのまにかドアの向こうへと消えた。今日のお喋りはもうおしまいのようだ。でも、挨拶も無しに去るなんて。
ぬるい傲慢と一緒にひとりで訝しんでいると、しばらくしてまた鉄扉が開いた。

「あ、ママ」

ママがいた。
部分的に。
つまり生首の状態で。
今日の朝、私がこの手で紅をほどこした口は、こめかみから顎にかけてのいびつな亀裂と見分けがつかない。あちこち崩れや歪みがひどいのに、床に転がったそれがママだということを、私は一瞬のうちに理解した。
退屈な白黒の床に金髪と血液が加わるだけでこんなに鮮やかになるんだなぁ。
現実逃避、あるいは防衛機制。要するに私は弱かった。ママが私を雑用係にしたのは、ある意味この上ない優しさと言えた。ありがとう、なんてもう遅すぎるけど。

「Surprise!」

どんどん鉄臭くなる空間に、あかるい無邪気が響く。
ムッシュの声は特別高くも低くもない分、月光のようになめらかでうつくしい。ようやく呆然としはじめた私の脳を丁寧に掻き分けて、奥の深いところでこう囁いた。

「驚いてくれたかな?」

しらじら笑う薄いくちびるに、少しだけ見惚れてしまう。違う。ぼうっとしているだけだ。オーブンは低く唸り続けている。爪先が凍ってしまいそう。火のすぐそばにいるというのに、皮膚は乾いて冷たい。
気がつくと三日月のマスクが、鼻の先にまで近づいていた。子どものラクガキみたいな、でたらめな目が私を見下ろしている。横髪を撫でる手つきは痛いほどに優しい。甘い匂いがオーブンから洩れ出て、とろっとやわらかな頭痛を誘う。
棒立ちの私をよそに、一切の原因はおもむろに自身のマスクを剥ぎ取った。現れた双眸の色を見て、私は死を確信する。赤と黒、赫眼の色。人間からすれば、殺意そのものだ。
恐怖に干からびた喉が、うわ言のように言葉を洩らす。

「どうして……」

間近で見る赫眼の苛烈な彩度と、甲赫のつめたい発色。色彩に乏しいこの部屋で、彼の捕食器官は、才能は、際立って鮮やかに映えた。

「Well…何から話したものかな。カネキくんを待たせていることだし、君には悪いが今は手短に済ませたいんだ」
「な、なにを」

裏返った声で言いながら、両頬が自嘲の形に歪む。そんなの決まってる、私を片付けることだ。一体なにが目的なのか、さっぱりわからないけど。
最後に一縷の望みをかけて、出口の方を見る。頑丈な鉄の扉は堅く閉ざされていて、叫んでもきっと届かない。届いたところで向こうにあるのはぴくりともしない屍体の山なのだけど、そんなのは今の私のあずかり知らぬことだった。

「Cara Mia!」

そう囁いて、くちびるを重ねることの意味も。
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