このおなごと、ここで暮らしてどうなると言うのか。
「小太郎…」
後先考えずに出てしまった言葉は戻って来ない。
ただ、名前がここに居る今、この時間が終わらなければいいと、もし、このままこの時代で老いて死ぬのなら#名前#が居て欲しいと。
瞳を捕らえるが如くに見つめるが、彼女は落ち込んだように眉を下げた。
「だめだよ、私学校があるし、こんな山の中でサバイバルできないもん」
「……」
「小太郎がうちの子になればいいんだって。それならずっといっしょに居られるよ」
「……」
奥歯をぎり、と小さく噛みしめる。名前がここで暮らしてくれたら楽しそうだ。
朝は果物を食べて昼は森中を飛び回る。夜になったら滝壺で水浴びをして薪の前で眠るんだ。
どうしてこんな、こんなに名前へ執着してしまう?
「山を出ない」
「なんで?パパもママも優しいし、おいしい物いっぱい食べられるよ」
「…」
胡坐の上で小さくこぶしを握る。何故止められない?こうしてにじにじと弱さが出てしまうのか。
「だめだよ、こんな所に一人でいちゃ。寂しいよ?」
「……」
「私は無理だよ。夜は真っ暗だし虫もいるし、もうすぐ秋だよ?山の秋は寒いよ?」
(…夜は星が綺麗だ、寒ければ…)
綺麗だから。綺麗だからなんだと言うのだろう。
「ここの方が性に合っている」
「…でも」
「それに」
「それに?」
「名前の家族の中に、入れない」
走馬灯の様に思い出す。育てられた里の長からも、当主からも言われていたのだ。姿を見られたら殺せと。
明るい所には出られない身なのだから、誰にも姿を知られてはいけない。もしここが、この場所が元の時代だったら、俺は名前を殺めていた。
「名前くらいのおなご…それよりも幼い子、幾らでも殺した」
身の上を語るなんて、随分落ちてしまったなとそれからは口を結ぶ。名前は少しだけ瞳を震わせて、下を向いてしまった。
目の前がゆっくりと橙色に染まりだす。夕暮れ時が訪れて、この穴倉の中にも夕日の光が入り込む。
夕日に照らされる名前は、また、昼時とは違う魅力に溢れていた。橙の液体につかるような彼女の体は、照れたように赤く見えた。
「…小太郎。約束して」
「…?」
「この時代にいる間は、絶対に人を殺さないって」
「…ん」
こくりと頷くと、名前は安堵の笑みを、橙の中に浮かべてくれる。
この存在を、今日で最後にしたくない。俺が名前を人里に戻さず、ずっとここで囲えばずっとそばにいてくれる。
「約束、する。殺さない」
「うん」
「俺も、約束…」
「ん?」
「俺がこのまま帰れなかったら、お前を嫁に貰いたい」
「なっ!」
「約束」
「……えっと」
「……」
「……」
「やくそ」
「わかったよー、いいよー!」
まっさか12歳でプロポーズ受けるとか!と声を上げながら名前はばたりと寝床へ転がった。
ぷろーず?と首を傾げて名前の顔を覗き込む。名前は両腕で顔を覆い隠した。
「名前、絶対」
「はいはい!」
やけっぱちの様に声を上げる名前の顔は、やっぱり赤い。
その赤が照れのせいなのか、夕日のせいなのか俺には見極める事が出来なかった。
(溶けてる)
今日はやけに色鮮やかな一日。晴天の青、雲の白、水の無色透明、着物の桃色、頬の赤。世界が美しいと初めて気が付いた。
夕日の赤に、赤い名前の体が溶けてしまいそう。胸が締め付けられて苦しい。
そのまま溶けて、消えてしまうと分かっているから。
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