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建て付けが悪くなった襖の音。今でもあの音を覚えている。


―○×大前、○×大前。急行の待ち合わせはございません。

どなたもお忘れ物の無いよう。
イヤホンから流れるBGMの向こうで、電車のドアがプシューと音を上げ開く。もう○×大前か、と眺めていた携帯画面から一度目を放す。
下りる駅まであと九駅、と何気なく開いたドアへ視線を投げた。わらわらと乗り込む数人の人間達。サラリーマンだったり学生だったり。
それまでは、そこまでは。いつも通りの毎日であり、私の人生に置いて特に意味も無い数秒な筈だった。しかし、吊皮を握る右手に力が入り、目の玉が勝手にふるふると揺れた。

(あ)

ブラウンのダッフルコートにタイツとジョッキーブーツ、染められた茶色の髪。大きな鞄を肩に下げ、ああ、この駅大学があるんだったか。そこの学生か。
そう、それはただの景色であり、五秒経てばどうでもいいと忘れてしまう事。しかしその姿の彼女、彼女の顔を見て私の目の玉が揺れている。
世界中の時が止まり、私と彼女だけが色を持つ。膝が小さく笑い、驚きの奇声を耐える為に吊革を握る手に力が入る。
彼女はドアの横に寄り掛かり、携帯電話を取りだした。あ、スマートフォン・・・・。ガタン、電車が動き出す。

(・・・・これは、どうしろと)

心臓がバクバクと鼓動する。何故ならば、この一時は私の人生に置いてなんでも無い日ではない。寧ろ人生の分かれ道、ターニングポイント。
初めて顔を見たけれど、きっと私は彼女を深く愛してしまうだろう。彼女も私に気付けば恋に落ちよう。結婚だって考えよう。けれど、けれどだ、・・・どう声を掛けよう?

(ナ、ンパ?)

不埒な、なんて下品なんだ!ナンパなんてした事が無いぞ、私は。どう声を掛ければいいのだ?肩を叩いて茶でも飲もうと誘うのか?有り得ない!
それに私の場所と彼女が居る場所は距離がある。彼女の居るドア付近まで移動しようか。・・・・今?降りる駅でも無いのに場所を移動するは不自然では。
ここから声を掛けようにも「おいそこの女!私だ、私」なんて。・・・・っこの静まり返った車内では恥ずかしすぎる!怪しすぎる!
ああ!あれが降りる駅で私も降りよう。追いかければ?そして彼女の腕を掴んでオレだよオレオレ。なんだ?今日は厄日か?ストーカ粉いな痴漢と降り込め詐欺を犯すのか?
・・・・して、その後なにを言えば?私と貴様は運命の恋人だと?・・・・・・・あ。

(目が)

ぼう、とそしてギンギンと。彼女を見つめていたら目が合った。きっと私の視線に気付いたのだろう。心臓が大きく跳ね、バチリと電気が走る。
しかし彼女は表情一つ変えず、しれっとした顔で視線を携帯画面に戻した。私も思わず、彼女から視線を外す。

―次は、○△町、○△町。

イヤホンからシャカシャカと曲が流れる。心臓の音だけが五月蠅く、曲なんて耳に入らない。頭をがくりと項垂れ、前に座るリーマンの靴先へ視線を落とす。

(名前・・・・)

こ、の。この広い日本でこうしてまた顔を見れただけで、良かったのかも知れない。この数分が、私と彼女の最終地点なのかも知れん。
あああ、でも約束。約束は?私はまたチラリと名前へ視線を送る。とてもとても懐かしい可愛い人だ。どこをとっても彼女そのもの。
彼女は携帯画面をタッチしている。指をシャ、シャ、とさせ画面をスライドさせている。ネットでもしてるのか?それともメール?
私は彼女の携帯画面を覗けない。それは全くの他人であり、私は彼女を知らず、彼女も私を知らない人生を送ってきたから。

(約束の事、今の今まで有り得ないと忘れていた・・・・)

・・・私には何故か前世の記憶がある。私は今同じ車両にいるあの女と所謂、つまり恋仲だった。立場の違いにお互い苦しんだ。そして不器用だった私は、何度を彼女を悲しませたか。
私は戦の中で死んだ。彼女の死についてはどの資料にも乗っていなかった。小学生の私は図書館で泣いた。
私は彼女と最後の日にとてもタチの悪い約束を残した。本当に、タチが悪い。今日この一瞬だって。
再び私達が知り合えば恋に落ちるだなんて、有り得ない。

(・・・あれは、覚えていない)

私の事、前世の事、何も覚えていない。そんなの当たり前だ。普通の人間ならば当たり前だ。私がおかしいのだ。
今まで出会ってきた人達の中で、前世の記憶がある者は居なかった。寧ろ、その事を質問した私が気味悪がられた。
彼女にとって私は景色の一部でしかない、一日の一部でしかない。むしろ一部にすらならない。ただの他人だ。
名前と再び目が合う。視線元である私に気付くと、彼女は居心地悪そうに視線をキョロキョロとさせ、仕舞には私に背を向けてしまった。
・・・五月蠅かった心臓は静かだ。そして、悲しみの様な、諦めの様な、深い海の底の様な。複雑な感情が波になって私を襲う。

―次は、××公園駅、××公園駅。

記憶の事は、何度も忘れようと思った。もう違う自分なのだし、この時代に似合う新しい人生を歩もうと決めた。
それにこの広い世界、再び巡り合えると思っていなかった。可能性としてはゼロだろう。よく考えたらまた彼女と歩む人生は・・・ただ繰り返しだ。私はまた彼女を悲しませるだろう。
前世で恋人だったのだから此の世でも恋人になりましょう?ああ?なんてくだらない。出来の悪い歌謡曲か?映画か。・・・・しかし美しい。けれどああ、気持ち悪い。

(名前・・・・)

しかし、最後の約束は美しかったぞ、とても。それは稀に私を苦しめ、切なくさせる。それだけ。

―ガタン。電車が止まり、ドアに向かっていた彼女は携帯をポケットへ入れた。ここで降りるのだろう。
私は胸の中で深く息を吐く。この数分で寿命の半分はすり減った思いだ。きっと彼女とはこれっきりだろう。お互いにとってこの数分はただの一日にしか過ぎないのだから。
ただ、私が彼女を知っていた、意識してしまった。それだけの事だ。どうか彼女がこの先の人生幸福でありますように。私は吊革に両手を掛けて祈る。
そして、さようならと呟く。心惜しくも美しいと思・・・。

(あ)

名前は降りる間際、ちらりとこちらを向いた。しかし直ぐに、彼女の姿は人のゴミに紛れて消えた。
・・・何故、最後こちらを向いたのだろう?私を見た?気のせいか?

―次は終点○××駅、○××駅、どなたもお忘れ物の無いよう・・・・

あ、○×大の学生って事はこの電車利用してるって事か。私もこの線の利用者だ。
喉がごくりと鳴った。空はまだ明るい。太陽の光が窓ガラスを屈折して瞼を射す。車体がゆっくりとホームへ滑り込んで行く。
私と彼女が今後どうなるかなんて分からない。今日がただの一日でも、再会の一日でも、切っ掛けの一日だったとしても、どうでもいい。どうでもいいのだ。
もう、彼女を苦しめる気などない。生まれ変わってまで彼女を縛りつけるなんて。しかし、よく、分からない。吹っ切れても居るのだ。

―プシュー。ドアが音を立てて閉まった。いつかの記憶が蘇る。畳の匂いと薄暗い部屋に浮かび上がる襖。彼女を困らせようとした最後の約束。