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とにかく足が重い。このパンプス、こんなに重かったけ。
今日は散々だった。仕事中ぼんやりしてしまって、ミスはするし先輩には注意されるし。彼の転勤の事が気がかり過ぎて、全く仕事に集中できなかった。

(帰りたくない)

心臓が赤色だと言うのなら、今の私のそれはドス黒く冷たい血液を体内に送り込んでいるのだろう。
自宅へと向かう足が重くて重くてたまらない。今日は友達の家に泊まろうか?
第三者に相談したらいいアドバイスをくれるかも知れない。腕時計をちらりと見ると針は23時を指していた。
こんな夜から行くのは面倒だし相手にも迷惑だし・・・。それに結局は、当事者である私と小十郎の問題だ。答えは私たちにしか出せない。

「あ」

だらだらと歩いているうちに、遂にマンションの前へ着いてしまった。
部屋には灯りが付いて居て、小十郎が帰っている事を示す。きっとこの時間ならシャワーでもしているんじゃないだろうか。
私は何時も通り、疲れた態度で部屋へ入って化粧を落としベッドに入ってしまえばいいのだろうか?それとも、転勤について問い質した方がいいのだろうか?
怖い、怖い。きっと小十郎は別れようって言うんだ。

「ただいま〜」

「・・・おかえり」

「起きてたんだ」

「・・・ああ」

そうだ、私から聞く事はない。小十郎から打ち明けてくれるに決まってる。
転勤と言えども今日明日の話じゃない。新しい家を探したりしなくちゃいけないんだから、まだ先の話でしょう。別に今日聞く事はない。まだ後でいい、後で。
私は何時も通りに接すればいい。冷めてしまった私達に世間話はいらない。
私はあくびをするふりをして、小十郎に背を向け寝室へ向かった。

「疲れたからもう寝る〜」

「ちょっと待て」

「え」

心臓がバン!と跳ねた。
小十郎が私の手首を掴んだのだ。駄目だ!こんなのは違う。何時もどおりの毎日に、こんな事は起きない筈だ。

「な、何?小十郎・・・」

「・・・聞かないのか?」

「何を?」

「政宗がお前に言っちまったと・・・」

「!」

血の気がサーと引いて行く。ああ、もう馬鹿!政宗君の馬鹿馬鹿!
フローリングは崖っぷちの岩場みたいで、この両足でしっかりと立っている事が奇跡に近いんじゃないか、なんて思った。
体中がぐらぐら揺れる感覚に襲われる。すると、どうしてか目の奥が熱くなって泣いてしまいそうになった。
なんて言えばいいの?攻略本はどこ?

「小十郎・・・」

「政宗の言ってた通りだ、転勤が決まった」

「い、いつになるの?」

「再来月だ。来月には引っ越し先を決めて、徐々に荷物を運ぶつもりだ」

「そっか・・・」

私は下を向いたまま、わかったと呟いてふらふらと寝室へ入った。その後を小十郎が着いて来て、ああ、これからもっと大事な話をするんだろうな、とまた泣きそうになる。
小十郎はベッドへ腰を下ろし、私に背を向けた。別に着替える所、見られたって平気なのに今更。
部屋着に着替える間、ぐずぐずになった心をガッチガチに固めようと何度も涙を飲んだ。静かに深呼吸をして、動揺した心を元に戻す。

「いいよ、小十郎」

「・・・ふ」

着替え終わったので小十郎を呼ぶと、私の険しい顔が余程可笑しいのか、小十郎は小さく口を歪ませふ、と笑った。
判断力に長けている彼が、こんな時に笑うなんて。そう思うと私の気分は更に落ちた。彼と私とでは考える事も感情の振れ幅も全然違う。
小十郎は己の眉間をトン、と指す。

「ここに皺、寄ってんぞ」

「誰のせいだと思ってるの」

「そうだな」

「・・・・・・」

「お前には嫌な思いをさせるかも、知れない」

来た。・・・私は唾をごくりと飲み込む。
頭の中に、最近離婚した芸能人のスクープが浮かんでくる。「お互いを尊重し合う為に、別々の道を選びました」ああ、その通りじゃないか。
部屋着の裾をぎゅう、と握りしめる。予想がついていたなら、覚悟は出来ていると言う事なんだ。そう、覚悟は出来ているんだ。
変化を望んだのだから、これでいいじゃないか。別れる事が、きっと彼にも私にもいい事なんだ。

(・・・でも、でも・・・)

今、小十郎の背中に抱きついて泣いて懇願すれば、小十郎は留まってくれるんだろうか。
そう思っても、私は泣くもんかと涙を飲み込んでしまう。

「・・・大丈夫、私、何を言われても大丈夫」

彼の前で可愛く泣く事すら出来なくて、甘えて媚びる方法も忘れて、そんな私は哀れでしょう。

「いいのか?」

「うん」

「そうか」

別れたらこの家の家具はどうなるんだろう。小十郎が引き取るのかしら。私は家を探した方がいいの?それとも一度実家へ帰って立て直そうか。そんな現実的な事がぐるぐる回る。
小十郎は深く息を吸い、静かに吐いた。そして真っ直ぐに私の目を見てくれる。ああ、来る。怖い。思わず目をぎゅう、と瞑ってしまった。

「・・・・」

「・・・・・っ・・・」

「・・・結婚しよう」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・え?」

私は思わず目をこれでもかと見開き、床から小十郎へと視線を移した。
一瞬夢を見てるんじゃないかと思った。彼の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。絶対別れを告げられるかと思ってたから・・・。

「お前は仕事を辞める事になるし、友人とも離れる事になるが」

「あ」

そうか、もし結婚したら着いて行ったら、仕事辞める事になるし友達とも離れてしまう。別にその事は後で考えるけど。
だけどそう考えたら泣くものか、と思っていたのにポロリと涙が落ちてしまった。

「・・・う、うう、・・ひっ」

「お前に着いて来て欲しい。嫌だと言われても、俺は困る」

「・・・困るのはこっちだよ!」

私は「結婚しよう」と言った彼の言葉を、必死で噛み砕き理解しようとする。けれど上手に整理出来ないし、困惑した涙がだらだら出てくる始末。
もうどうしたらいいか分からなくなって、私はベッドへ倒れこみ、枕に顔を埋めておいおいと泣きだしてしまった。
突き離される覚悟が出来た居たのに、求められるなんて予想外過ぎて、どんな事を言って何を考えたらいいのか分からない。嬉しい筈なのに、どうしよう。

「わ、私と結婚したって、すぐ別れるに決まってるじゃん!」

「・・・俺はお前じゃないと、嫌なんだ」

「・・・小十郎って、もっと現実的な人だと思ってた!・・・ばか!」

すると、小十郎が私の横へ肘を立てて寝そべり、私の背中を撫でた。

「たしかに、俺達は話さなくなったし、冷めてもいた」

「・・・」

「お前と話すのも、顔を合わすのも面倒くさいと思う日はある。しかし、それ以上にお前と暮らす日々は俺にとって当り前の物なんだ」

「・・・こじゅ・・・」

涙で濡れた枕から顔を上げると、目を細めて小十郎が私を見下ろしていた。
目が合うと、背中を撫でる彼の手は私の頬へと移動した。涙の線を手の甲でなぞり、それを拭ってくれる。

「お前がこうして泣く日には静かに側にいたいし、それで、・・・お前が心も体も元気な日はやっぱり、静かに、側に」

側にいたい。

彼の低く掠れた声は耳の奥に響き、まるで深い海の底にいるような感覚に襲われた。海の底なんて、行った事はないのだけれど。

「わ、私でいいの?私、小十郎の為なら別れる覚悟あった、のに」

「馬鹿が・・・」

もしかして、別れたら私が一人になってしまう事を思って結婚しようなんて言ったんじゃ。
もういろんな考えがぐちゃぐちゃに混ざって、可愛くない涙がぼろぼろ出てくる。

「私の為に、言ってくれたの?」

「・・・・・・」

小十郎は優しい人だから、私の事を考えて、私の未来を考えて、結婚なんて言ったの?
私が早口でそう言うと彼はふ、と笑った。そして小十郎はそっと、私の肩へ口付ける。

「俺だって、幸福を感じて暮らしたい。女ばかりに与えるのは、何だかずるいじゃないか」

布越しに彼の体温が分かって、ああ、私が思っていたよりも小十郎は情熱的な人なんだ、と。

「これは俺の為なんだ。沈んだ気持ちで過ごしたいとは思わない」

「小、十郎・・・」

「一緒になってくれるな?」

「・・・それは、誰の為?」

誰だって不幸を感じて暮らしたくはない。私は考える。ああ、もし別れたら、私は落ち込んでしまう。不幸だ。
お互いが面倒になっても、小十郎は一緒に居る事に意味があると見い出していた。それに気付かなかった私は、なんて馬鹿なんだろ。
小十郎を意識し過ぎて居たのかもしれない。もっと、自分から求める事が必要だった。

「俺の為だ」

ならいいよ。
私がそう呟くと、彼は静かに笑った。私は嬉しいやら疲れたやら、沢山の感情がぐちゃぐちゃに混ざって笑えなかった。
だけど可愛く泣けない私の涙は、何時までも止まる事は無かった。
END
090904