マツバさんは、いつも笑ってる印象しかなかった。 ふざけてゲンガーと一緒にイタズラしたときだってびっくりした後に笑ってくれたし、前に一度だけお味噌汁つくるのに失敗したときだって、笑ってくれた。 ちょっとすっ転んで膝を擦りむいたときだって、おてんばだなあって言いながらも笑って絆創膏を貼ってくれたのに。 初めて見るマツバさんの表情に、私はびっくりして反応が取れないでいた。 「どうしてこんな傷がついたの?」 マツバさんは怒っていた。いつも優しい春風を形づくる唇なのに、そこから放たれる言葉は冷たい。 そうしてことばと同じくらい冷たい指先が伸びてきて、私の頬に、羽のように触れた。とたんにそこがびりっとした。 「……ごめん、なさい」 「理由を聞いているんだけど」 「……」 痛くて顔を歪めたらマツバさんはすぐに手を退けてくれたけど、触れられた部分の傷は、指が離れてもじくじくと痛む。 話そうとしない私に焦れたのか、もしくは呆れてしまったのかもしれない。マツバさんは怒りを浮かべていた瞳にふと哀しみを混ぜて、私の頬の傷を見た。そしてふう、と小さなため息を吐く。 「…とりあえず、早く消毒しないといけないね。なまえちゃん、しみるけど我慢するんだよ」 「えっ!?しみるのは…」 「悪いけど、こればかりは君が嫌がってもしなくちゃいけないな」 自業自得だよ、とマツバさんは強い調子で言って、傍らにあった救急箱のバックルをばちんと開いた。つんと湿布と消毒液の独特な臭いとマツバさんの冷たさに悲しくなった。 マツバさんはそれに気づかなかったみたいだった。黙々と、コットンを取り出したり消毒液に浸したりという作業をこなしていく。鼻をつく臭いが強くなったのに、その横顔はまったく動かなくてすこし不安になった。 「マツバさん…怒ってます…よ、ね」 たっぷりアルコールを含んだ綿が近づいてきたとき、マツバさんを直視できなくてうつむいたまま、私は思わず尋ねた。 ぴたり、と一瞬止まったコットンは、だけど一言も返事をしないまま傷口に触れる。びくりと無意識に身体が跳ねた。 「あ、いっ、痛い……!」 「我慢して」 「ううう、してますけど!」 我慢したって、痛いものは痛い。びりびりと、マツバさんの指先よりもずっと冷たいものが頬をなぞっていく。思わず遠ざかろうとする私の頭は、もう片方の手でおさえられる。 がっちり押さえられて身動きが取れない。痛くて痛くて涙がにじんできた頃に、私はようやく消毒から解放された。 ほっとしてぎゅっと瞑っていた目と、握っていた拳を開いたら、またしてもマツバさんの目に捕まった。頭に回された手はそのままだったから、逸らすことはできない。 マツバさんは…やっぱり、怒ってる。 「なまえちゃん、もう一回聞くよ。何があったのかな」 「……」 「…そんなに僕にいいたくないこと?」 思わずうなずいたら、消毒の痛みに耐えるために噛み締めてたらしい唇が切れていて、じわりと口のなかに鉄の味が広がった。 「どうして?」 「……かっこわるいからです」 「……格好?」 「そうです。格好わるいから」 「もしかして…本当に自業自得?」 ずばり言い当てられて、唇の傷を舐めながら私は黙り込む。 頭に回された手が外れた。 「…マツバさん?」 ばちん、と救急箱のバックルを止めなおす音がして、マツバさんはむっとしたように唇を歪めながら、取り出した大きめの絆創膏をはがしている。 「日に当たると跡が残るから。…本当は…、あんまり貼ってほしくはないけれどね」 「マツバさんは絆創膏、嫌いなんですか?」 そのわりには手当ての手つきが手慣れてるなあと思って聞いたら、もちろん好きではないよと返された。 ぺたりと私の頬に貼りつけたばかりの絆創膏の上から、マツバさんの大きな手のひらが、私の傷を包み込むように触れる。 さっきまであんなに冷たかったのに…と思う間に、マツバさんの唇がそっと、私の唇にくっついた。 突然の行動が理解できずに、反射的にぎゅっと閉じたまぶたの裏をにらんでじっとしているしかない。そのうちマツバさんの舌に、ゆるゆると唇を舐められた。 噛み締めてた小さな歯形をなぞるように動いて、……それで終わりだと思ったから力が抜けた。なのにマツバさんの舌が、すこしゆるんだ私の歯列から、さらに奥に入って来ようとする。 驚いて、思わず顔を引いてしまった。というよりも、…え、え!?どうしてこういう流れに…! 発するべき言葉が見当たらない私はぱちぱちとまばたきを異常なほど繰り返し、そのたびに頬の絆創膏が引きつる感じがする。 そんな私を見て、マツバさんはようやくいつものようにふわりと笑った。 「なまえちゃん、怪我しすぎだよ」 ……Thanks;rim
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