novel | ナノ

わかってた。ヒビキが頭良いのは前からだったから、高校でばらばらになること。そしてばらばらになったら、かならずこんな日が来ることも。


「こんばんはぁ〜っ!」
「いらっしゃい。合い言葉は?」
「トリック・オア・トリート!」


紫色のちいさなとんがり帽子をかぶった女の子、全身オレンジ色の男の子、針金に薄い布を張った羽根を背中につけてる女の子もいれば、ふさふさした耳を生やす狼男の男の子もいる。

夕方6時から始まる地域ぐるみのハロウィンは、子どもたちだけの場合、危ないから最低でも8人で回りなさい、というお達しが出ているせいか、さっきからわいわいがやがやと騒がしい。

協力を申し出た家は、参加費として集められたお菓子を預り、それをこうして、ひっきりなしに訪れる子どもたちに配る。私の家もそのひとつだった。

玄関をいろんな置物で飾り付けて、お母さんも黒地に銀色の星が散ってるとんがり帽子を被っちゃったりして、やる気まんまんだ。

まるっきりカタカナのトリックオアトリート、子ども大好きなヒビキが聞いたらきっと笑うんだろうな。 すごく久しぶりに、会う約束してたのに…。


「…おねえちゃん?」
「私、トリックオアトリートって言ったよ!」
「え、あ、ごめんね!はい、お菓子どうぞ」
「ありがとう!」


唐突にキャンセルが入ったのは昨日で、なんでも今日は部活の練習後にミーティングが入っちゃったらしい。

仕方ないってわかってても、事実上、家も遠いし部活も勉強も忙しそうなヒビキと会う時間はどんどん減ってて、…不安にならないわけがないわけで。


「あんたね、いくらヒビキくんと会えないからって、子どもに接するときは笑顔じゃないと、恐がられるわよ?」


わずかに来客が途切れたときにお母さんにまで言われるくらい、今回の予定がなくなったのは、ショックだったみたい。自分で思う以上に。


「…だって…」
「いいから、ほら」


お母さんにぽいっ、と口に放り込まれたのは、ミルク味のやわらかい飴。口のなかにじんわり広がる甘いそれに、視界もうるみはじめたとき、だった。


「Trick or treat?」


子どもとは思えないくらい流暢な発音にぎょっとして、開きっぱなしのドアを振り返ったら、そこには金と黒の見慣れた帽子があった。


「こんばんは、おばさん。なまえお借りしていいですか?」
「あらあら。この子、見てのとおり仮装してないわよ?」
「大丈夫です。trick or treat?」


なんで、ミーティングは…?信じられなくて目を見開いたまま固まった私には一目もくれず、ヒビキはお母さんとなぞのやりとりを繰り返す。

止まっていたのに、目の内に溜まっていた涙がまばたきした拍子にほおを伝ってしまった。いつの間にか冷たくなったほおに、その一筋が熱い。

したり顔で笑ったお母さんが、ヒビキの手のひらの上に、ころんと一握りのキャンディを置くのが見えた。ふたつ、みっつ…?


「なまえ」


名前を呼ばれて、返事もしてないのに、私の手はヒビキに掴まれた。

久しぶりに触れるせいで、見ないとはっきりとはヒビキの手だってわからない。だけど深まる秋の空気で冷えきった手に、あったかいぬくもりがうれしかったのは嘘じゃなくて、きっとそれはヒビキの手だったから。

そのまま手を引かれて、門柱の近くに置かれたジャック・オ・ランタンが、ヒビキの後ろからついていく私を見送った。


「なまえ」
「……なに?」
「ごめんね」
「…なんで謝るの?」
「僕が泣かせたんだろ?」


ちがう、と言いたかった。ヒビキはなんにも悪いことしてない、ただ私が勝手に泣いただけだよって、それがいい彼女だって思ってた。

でも言えなくて、かわりに止まってたはずの涙が、またどんどんあふれてくる。

前を歩くヒビキには気づかれないようにってとっさに思ったのに、そんな決意さえ守れなくて、歩みが遅くなった私を振り返ったヒビキが、またあわてたような声を出すのを、ただ聞いていた。


「ごめんなまえ!また泣かせてるね、僕」
「ち、ちが」
「昨日突然ミーティングだって言われて。でも早めに切り上げて、学校から直接寄ったんだよ」


言われてみれば、ヒビキは大きなエナメルバッグを肩にかけていて、とても重そう。心配そうにこちらをのぞきこむその後ろで、かぼちゃカラーの子どもたちがこちらをじろじろ見ながら通りすぎてく。

遠回りしてくれたんだと思ったら、とたんに悲しい気持ちはじわりと溶け消えてしまった。現金すぎると思うのに、気づいたら笑っていた。


「…私こそ、ごめんね」
「なんで謝るの?」
「わがままな、彼女で…」
「わがまま?」


びっくりしたように目を丸くしたヒビキは、かっこいいっていうよりかわいい。いつまでも笑ってる私が気に入らなかったのか、ヒビキはまたむすっとする。


「なまえは全然、わがままじゃないよ」
「勝手に泣いたり、笑ったりするのに?」
「それは、僕も一緒に笑いたいけど…」


近くの家にあるランタンが、私たちをゆらゆら照らしながらじっと見ている。ヒビキは開いてるほうの手をのばしてきて、私のほっぺたを指の腹でごしごし拭いて、それから笑った。


「なまえ、trick or treat?」
「え、え?」
「はい、時間切れだね」
「なっ、ずるいよ!」
「じゃあもてなしてくれる?」
「もてなし…?」


首をかしげる間もなくヒビキが近づいてきて、ぺろりとくちびるをなめられた。


「…な!?」
「treatの意味も知らない子には、trickしかないよな」


さっきとは打って変わってかっこよく笑うなんて、ずるい。怒るどころかどきどきして真っ赤になるのを隠したくて、尋ねた。はずなのに。


「じゃあこっちもtrick or treat!」
「…僕がtrickをえらんだら、なまえはどうする?」
「…え?」


何を言われたのかわからなくてヒビキを見上げたのに、突然ぽすりと、ヒビキがいつもかぶってる帽子をかぶせられたせいで表情が見えなかった。


「ヒビキ…?」
「やっぱり何でもない。はい、お菓子」


ころん、と手のひらを握られて渡されたのは、さっきヒビキがお母さんからもらってた飴玉のうちの、ひとつ。


「回ろうか。なまえは仮装もしてるからね、その帽子で」
「……うん」


片手でまるい飴玉、もう片手でぬくもりを感じながら、私はヒビキに手を引かれて、ランタンに照らされてゆらゆら揺れる、オレンジ色の道を歩き始める。



(なまえのくちびる、ミルクの味がした…)


Thanks;逃避行
Happy Halloween 2010!

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