目の前でことこと音を立てるピカピカのステンレスなべも、最新式のガスコンロも、それからこの家の間取りだって、私は今までこれっぽっちも知らなかった。 …まぁ、間取りはワンルームにおふろとキッチンだからそんなに戸惑いもないけど…。でもなんで私、グリーンの家でおかゆつくってるんだろう。 まさかグリーンが風邪引くとは思わなかったから、かすれた声でかかってきた電話にびっくりして家を飛び出してきちゃったけど、…よく考えたらグリーンの家にあがるのは初めてだったんだ、私。付き合いはじめてもうずいぶん経つのに。 一人暮らしの男の子の部屋ってどんなものだろうと思ったけど、グリーンのことだからと予想してたとおり、片付いたシンプルな部屋だった。ものがなさすぎるくらい。 「グリーン…寝てる?おかゆ、できたけど…」 ベッドで目を閉じてるグリーンをそろそろと覗き込む。ゆるゆると開いて現れたオレンジが思いの外しっかり私をとらえるからどきりとしたのに、そんなことも知らずにグリーンは口を開くと、ばっさりとそのトキメキを切り捨てた。 「おそい」 「……一方的に呼び出してキッチンに立たせておいて、それはないでしょ?」 「事実を言っただけだろ…」 ぐったりして重そうな身体をのろのろと動かして、グリーンはおかゆを食べられるように上半身を起こす。それがしんどそうで、偉そうなのは口だけだった。 ふだん態度がでかくて威張りくさってる俺様なだけに、態度が弱ってちいさくなってるのが、…不謹慎だけどちょっぴり可愛いなんて思ってしまう。 言われたとおりてきとーに見つけだした器によそった、すこしかつお出汁で味を付けたおかゆとれんげ、それに水の入ったグラスと薬。それらを乗せた、一人暮らしにしては大きなお盆をとりあえずベッドサイドの小机に置き、私はベッドの端に腰を下ろした。 「食べられそう?」 「食えるもんならな」 「……それ、どういう意味?」 「文字どおりの意味」 相変わらずの憎まれ口を叩きつつグリーンは、私が器とれんげを持ってふーふーしても、すこし唇で温度を見てもなにも言わなくて、それを口元まで運べば何も言わずにそれを食べてくれる。 素直なのがうれしくて、試しにあーん、と言ってみたら怒られた。 「ガキみたいだからやめろ」 「えぇー、可愛いのに」 「可愛いって、あのな…」 「事実を言っただけなのに」 「真似すんな。だいたい可愛いなんて言われてよろこぶ男はいねーよ」 呆れたような口調にも張りがなくて、ため息も熱そうだから、私はふざけるのをやめた。何だかんだ言ってもグリーンはこんなときまでやさしくて、器の白いお米はあっという間になくなった。 「グリーン、あとこれ、薬…」 「ん」 ちいさく口を開けるそこに白い錠剤を放り込む。なんだかくちびるに触れるのが恥ずかしくて、誤魔化すようにすぐにコップを手渡した。こくん、と喉が上下して、グリーンはまたひとつ、息を落とす。 あとは寝るだけ、って言うつもりだった。それなのに私の口が開くより先に、グリーンが目を上げた。見慣れない上からのアングルは、グリーンの目に長いまつげの影を落とす。 時がとまったみたいだった。 するりと手が伸びてきて、凍りついたような私の後頭部に回り、そのままぐっとひっぱられる。 いつもならグリーンの元まで連れていかれるのに、今日はぐらりと傾いだグリーンまでこちらに倒れこんできたから、ひどく勢い良く、熱いくちびるが押しつけられた。 髪に梳き入れられ、頭を撫でるように触れてくる指先も、たしかめるようなくちびるも何もかもが熱い。 そっと離れたときに、空気が冷たくておどろいた。近い呼吸がすごく熱くて、飛び火したみたい。私のほおも一気に熱くなる。 「……ばか、グリーン…。風邪、移るじゃん……」 「移ったら今度はオレが直々に看病してやるから問題ねーだろ」 「……熱でもあるの?」 「熱があるからおまえ呼んだんだよ、ばかなまえ」 言い返されて悔しいのに、熱い感触の名残が反撃の糸口を逃してしまった。 「……寝る」 再起した私には反撃は許されず、グリーンはさっさと起こした身体を横にする。寝る体制に入った病人を起こすわけにはいかなくて、私は出かかったことばを引っ込めてため息をついた。 それはまだ常温だったけど、きっと明日にはこれも、熱くなってしまうんだ。 そう思ってひとり、ばかみたいに恥ずかしくなっていたら、また閉じていたまぶたが開いて、すこし熱が上がってしまったのか、さっきより熱っぽくなったオレンジが、また私を見た。 「なまえ…勝手に帰るなよ…」 ささやくような声だったのにやけにはっきり聞こえて、男のくせに色っぽくて、そのまま私の返事も聞かずに寝入ってしまったグリーンがすごく卑怯だと思った。 シュガーバターの魔法 (…グリーン…昨日のせいで本当に風邪引いたんだけど…!)(はいはい、いま行ってやるからちゃんと寝てろ) |