novel | ナノ

だめだ、と思ったのは刹那で。気付いたときには、私は落ちてしまっていた。

どこにって……崖に。


「痛ったぁ…」


打った腰をさすりつつ見上げれば、歩いていた森ははるか上方だ。しかも迷路のようなトキワの森のはずれの崖。人が通る確率は何万分の一にあるかどうか…へたしたら野垂れ死に。それだけは避けたい。

でもあいにく、手持ちはブースター一匹だった。どうして鳥か草タイプを持ってこなかったのか後悔しても遅いけど。

立ち上がろうとして足をひどく挫いていることにも気付いた。ああ、バカだ私。


「出ておいて、ブースター」


とりあえず一人は淋しくてブースターを呼べば、彼は心配そうな面持ちで擦り寄ってきた。ふかふかの体毛にいくらか慰められて、私はしばらくブースターの黄色い毛並みに顔をうずめてじっとしていた。

トキワの森は静かだった。少し、寝てしまったかもしれない。ぴくり、と、それまで眠るようにじっとしていたブースターが反応したのを合図に、私は閉じていた目を開いた。


「どうしたの、ブースター?」


尋ねても彼は何も言わず、崖の上を見上げた。つられて見上げた私の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


「おーい、あんた大丈夫か?」


呼び掛けながら人影が崖の斜面をうまく滑ってくる。ブースターが警戒して軽くうなった。私は彼の首根っこを軽く抑えながら、その人影が降りてくるのを待った。

もうもうと土煙をまとって降りてきたその人は、ツンツンと立った柔らかそうな髪も土まみれにさせて、土だらけの顔で、座り込んだままの私を見下ろした。見たところ私より年下、少年のようだ。

私と目が合った瞬間、彼は人懐こい笑みを浮かべ、私と目線をあわせるべくしゃがんだ。


「大丈夫?」
「え…はい。なんとか」
「この崖って昔からよく人が落っこちてたらしいんだよ。どうにか対策取ればいいのにな、いちいち人力で助けるのも変だよな?柵一本たてるだけで被害は減るのにさ」


出会った傍から愚痴られて、私は目をぱちくりさせた。足の痛みが意識の外へ抜け出す。


「ま、いいや。とりあえずポケモンセンターに行こう、ジョーイさんに診てもらわないと」


そういいながら彼は身を乗り出してきた。距離にびっくりした私が身を引く前に、彼の腕はすでに私の背と膝裏に回っていて。


「ちょっとっ、何、この体制っ」
「何って…足挫いてるんだろ?」
「そ、そうだけど、重いでしょ?肩貸してくれれば十分だよ」
「別に重くないけど?怪我人はオレじゃなく、自分の心配してりゃいいんだよ」


口調はぞんざいなのに、声音はとてもやわらかくてやさしかった。私はおとなしく抱っこ…という生易しいものじゃなく、いわゆるお姫様抱っこをしてもらうことにした。きっと人生の最初で最後の経験だろうし。彼の横顔は整っていて、こんな気障なこともなぜか似合って見える。


「あ、あの、マサラタウンの方に行ってもらうことはできない…?」
「?でもあの町はポケモンセンターがないぜ」


彼は私を抱えたままピジョットを出した。代わりに私は、警戒して少年のまわりをぐるぐる回っているブースターをボールにしまう。少年が私を先にピジョットに乗せたときに頼んでみたら、彼には意外だったらしく、目を丸くした。

出会ってからずっと、少し大人びていた表情が一瞬で歳相応に幼くなる。それがどうしてか、嬉しかった。


「おばあちゃんの家があるの。今日は本来、そこに遊びに来たんだけど…」
「崖に落ちちまった、ってことか」


言葉を引き継いで、ちょっとむっとした私に、彼はいたずらっ子のようにははっと笑った。


「マサラに用があるなら丁度いい、オレんちにも寄ってきなよ」
「えっ…!?あなたもマサラに家があるの?」
「え、って…。………まじで覚えてねぇの?」
「……?」


急に少年の様子が変わったのに驚いて振り替えれば、少年は無表情に戻っていた。というより少し無愛想に。


「オレはグリーンだよ、なまえ。おまえがばあさん家来たときによく遊んでただろ?」


その言葉に考えこむ前に、グリーンはピジョットをはばたかせた。突然のことにびっくりしてバランスを失う私を、後ろのグリーンが抱き込むように引き寄せた。恋人同士のように近い距離にどきっとした。


「……グリーン…あのグリーン?年下のくせにいじめっ子だった、あの?」


オーキド博士の孫の!?

上下に揺れる翼にあおられた風に吹かれながらも声を上げれば、後ろに密着していたグリーンは、ふ、と吐息で笑った。耳元で。思わずぞくりとする。

…やっぱり悪戯好き気質は変わってないらしい…というか…。


「ちょっと近いよグリーン!離して」
「なまえ離したらオレが落ちるだろ」
「だからってこんなにくっつかなくたって…」
「あれ、意識してんの?」
「馬鹿言わないでよ、年下に興味はありません。相変わらず童顔ね、グリーン」
「……相変わらずむかつくな…」
「…っ!だから耳元でささやくなっ!!」


私が叫ぶと、グリーンは笑って、目的地に向かって降下しはじめたピジョットの上で私に意地悪くささやいた。


「いやだね。なまえがオレのこと忘れてた罰だよ」
「罰って、何の権利があってそんなことができるわけ?第一グリーンだって忘れてたんでしょう?最初のうちは思い出せなかったくせにっ!!」
「違うよ、試してみただけだよ。それにしても傷ついたなぁ。忘れるなんて酷くねぇ?もしかしてあのことも忘れてるの?」
「あのこと…?」


ふわり、とピジョットが最後に羽ばたいて、着地した。下からあおられて一瞬、あらわになった首筋に湿った感触と鈍い痛みがして、私は身をすくませた。


「グリーン!!!」
「元々、オレが誰よりも最初に先約しただろ?なまえ」


グリーンはいち早くピジョットから飛び降りて私に肩を貸してくれる。怒りで断ろうかと考えていた私も、挫いた痛みには勝てずに結局、屈するしかなかった。

ピジョットが降り立ったのは私のおばあちゃん家の目の前で。それにやさしさを感じるよりもなぜか苛立ちを覚えた。


「もう、ここまででいいから。助けてくれたことに関してはお礼を言っておく、ありがと。でもさっきのことは絶対許さないから!」
「その言葉、いつまで持つかな?いつかの約束、覚えてないとは言わせねーからな」


言い逃げして颯爽と去っていくピジョットの背中を見送りながら、私はおばあちゃん家の玄関でつぶやいた。


「…言わなくたって覚えてるよ…馬鹿グリーン」



(次に会えたら、オレは絶対になまえをもらいにいくから、だから待ってろよ)(…うん!待ってる!)

Thanks;確かに恋だった
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