学パロ 生ぬるい風が吹いて、飛んでいきそうになるプリントをあわてて抑えながら、私はため息をついた。 べっちょりと濡れたかばん、とりあえず急いで出したその中身、そしてぷんぷんと鼻に付く、どぎついシトラスの香り。途方に暮れてくらくらしてしまう。 「何やってんの」 唐突に声が降ってきて、私は顔を上げた。 真上に逆さまのレッドくんの顔を見つけて、ぎょっとする。完璧に整った顔は、逆さまでも、どんなアングルからでも私をどっきりさせる。 いちばん見つかりたくない人に見つかった恥ずかしさで、一気に顔が火照った。それを隠したくて急いで視線を戻したら、手元に、まるで日時計みたいに後ろにいるレッドくんの影がかかった。 「……かばんの中で、制汗剤のふたが空いちゃって」 その影を見ながら、私は重たい口を開く。 まあ、知り合いが道ばたにうずくまってれば誰だって何が起きたのか気になるだろうけど。それでもレッドくんにだけは、こんなみっともないとこ、見られたくなかった。 いい歳して、好き好んで通学路の端っこにしゃがみこみたい人がいるわけがない。 「…制汗剤?」 「そう、制汗剤…液体タイプの」 「こぼれやすいの」 「わかんない…」 私は長いこと液体タイプを使ってたけど、こんな風になったこと、今までになかった。 タイミングを見計らったようにまたぬるい風が吹いて、シトラスの香りがそこらじゅうにばらまかれる。ここまでいくともう公害だ。 「…レモン?」 「……うん」 「なまえから、いつもする。この匂い」 「う……、え?」 思わずかばんを拭いてた手を止めて振り返ったら、ちょうどレッドくんは自分のかばんを置いて、私の隣にしゃがんだところだった。 さらり、と黒い髪が流れる。いまだかつてないほど近くにあるのが信じられなくて、私はことばを失った。 「貸して」 レッドくんはそんな私には気づかないみたいで、私の手からハンカチを奪うと、化学香料そのものみたいな液体を拭きはじめる。 湿って冷たくなった指先に触れた熱に、びくりとした。 「あ、レッドくんいいよ、私が自分でやる」 「いいから」 「でも」 「だってほら、」 そう言ってレッドくんは、かばんの中敷きをめくってみせる。そこにまで流れ込んでた制汗剤は、黒い中敷きをつやつやと光らせていた。おもわず顔をしかめる。 「うわぁ…」 「なまえ、気づいてなかったよね」 「……うん」 負けを認めたことを承知でうなずいたら、レッドくんは何のことか分からないけど、えらいとか言って頭を撫でてきた。 触れたのははじめてじゃないけど、頭を撫でるみたいにはっきりした触れ合いははじめてで、私は凍り付く。 第一、何がえらいの…? 「できた」 「あ、ありがと…」 「でも、レモンの匂いは消えてない」 「う…うん」 くんくんと匂いを嗅ぐレッドくんに、わかってます、とよっぽど言っちゃいそうになったけど、拭いてもらっちゃったからには何も言えない。 手渡されたかばんとハンカチを受け取って、プリントが飛ばないように気をつけながら中身をつめ直していく。 面白いのか分からないけど、今度レッドくんはそれをじっと見ていた。 「…終わった?」 「うん、ありがとうレッドくん」 「…ありがとう…?」 「え…?うん、ありがとう…じゃなく、て…ありがとう、ございました?」 レッドくんが、私のお礼のことばにすこし納得いかないみたいに首をかしげるから、何かおかしかったのかなってすごく焦った。 ありがとうございましたじゃないなら、お世話になりました?でもこれはおかしいし、ええと…ご迷惑おかけしました、とか! これだ、と思って隣にしゃがんだままのレッドくんを見たら、レッドくんもこっちを見ていて、身長差がほとんどない状態、しかもかなりの至近距離で視線がかち合ってしまった。 考えてたこととか何もかもが頭からふっとんだ。 息を止めた私の代わりに、レッドくんはまるでお日さまを浴びる黒ネコみたいに目を細めて、つぶやいた。 「まわりじゅう、なまえの匂いがしたから」 「…匂い…?」 「うん。だから、いい」 何がいいのか相変わらずよくわからなかったけど、レッドくんはそれ以上話そうとはしなくて、レモンの香りのする私の手を、おんなじくらいレモンの香りのする手でつかむ。 行こう、とも何も言わず、優しくレッドくんが引く手に従って歩きだしたら、まるでレモンの木が移動してるみたいに、歩くたびにシトラスが広がった。 迷惑千万なのに、ふんわりと私とレッドくんとを包むその香りが大事で仕方なくなるなんて、……絶対、強烈すぎる匂いに酔ったんだと思う。 エデン産 レモンはちみつ (新しいの買って来なきゃ…) …… 液体タイプの制汗剤ってローションっていうんですか?← 私はスプレー派なのでこぼしたことないですが、結構こぼれる被害があるそうですね。 そこからできたお話でした(笑) |