novel | ナノ

灼熱に爆ぜる太陽は今日も元気いっぱいで、ヒートアイランドとはさっぱり無縁のこの島でも、遠くを見やれば街並みがゆらゆら揺れているほど。一時期はずうっと恨めしかった雨すらここのところはご無沙汰で、さわさわと生ぬるい風にさわぐたこ足の植物たちもどこかくたびれている。

久しぶりに会えるからって、この間ミナモにいったときにはしゃいで買った真っ白なワンピースはとっくに汗と潮風を吸ってしょっぱくなり、私は木陰にしゃがみこんでくちびるをひき結んだ。


「ごめん……遅くなって」
「ほんとに……、遅いよ」
「うん。ごめんね」


じゃりっとちいさな足音が目の前で止まる。こんなに暑いのに、スニーカーに長ズボンなんて履いてるミツルは涼しい顔をして、さらさらの萌葱みたいな前髪の奥から申し訳なさそうにこちらを見下ろしていた。相変わらず半袖からのぞく肌は真っ白で、だけど初めて会ったころよりもずっと血色のいい顔をしている。ポケモンといっしょの旅が、修行が、楽しいんだろうな。

しばらく見ないうちにすらりと伸びた手足に、なによりその上背にどきりとした。昔は女の子みたいに細くて弱々しかったくせに、いつのまに追い抜かれたんだろう。見せる表情にもしぐさにも見慣れないものが増えていくたび、私は訳のわからない焦燥にかられるのに、ミツルはそんなこと夢にも思わずに勝手に走っていってしまうんだ。

八つ当たりだとわかっていていらだちをぶつければ、返ってきたのはやっぱり見慣れない対応だった。


「どうして遅れたの」
「バトルを……してて」
「だれと」
「……ユウキさんと、チャンピオンロードで」


見上げるままにらみつければ、ミツルは困ったようにふいと目を反らす。目なんか反らしたら、女の子の怒りを煽るだけなのに……いつになったら気づいてくれるんだろう。ミツルはいくらポケモンにくわしくなっても、女の子にはくわしくならない。どういうときに怒って、どうして泣くのか……学ぼうとしないし、きっと興味なんかないんだろう。

ミツルの横顔を、トクサネの耐えることない潮風が撫でていく。視線の先にはひろくて青い、空と混じり溶けあう風の故郷があるんだってこと、私はちゃんと知っている。いつだってミツルはそうだった。ここじゃない遠くを見つめて、つよく憧れて、ひとりでそこに行ってしまうんだ。ぎらぎらと空は笑っているのに私のこころはどしゃ降りで、それすらきっとミツルの興味の範疇ではなくて。


「……ユウキさんって、前にミツルが言ってたひとだよね」
「覚えてたんだ」


追求の手をゆるめれば、はじかれたように向き直るその表情はひどくうれしそうで、二の句を告げなくなってしまう私はきっとミツルに甘い。それなのに気づかないミツルは本当にずるいんだ。悪いのは私だけじゃない、ミツルだって悪い。


「前にも言ったかもしれないけど、すごくつよいんだよ。ぼくよりほんのすこし先に生まれただけなのに、チャンピオンに勝っちゃったんだ!」
「それは……すごいね。じゃあ、四天王よりつよいってこと?」
「なまえ、チャンピオンよりつよいってことは、四天王も倒したってことだよ。四天王の先にいるのがチャンピオンなんだから」


私の相づちは、ポケモントレーナーの常識からはずれていたみたい。ちょっと呆れたような顔をするミツルはさんさんと降りそそぐ夏から逃げるように私のとなりへやってきて、ごく当たり前みたいに腰を下ろす。汚れることなんてちっとも気にせずにどっかりと座りこむ一連のしぐさは本当に慣れたもので、またしても私の心臓を苦しめる。

吹く風はぬるく、乾いた葉が頭上でゆれるたびにこぼれる光が肌をはじく。ミツルが楽しそうに紡ぐのは遅れる原因になった今日のバトルで、いくら私の見知らぬものを覚えたって、変わらないのはこういうひとつのことに無鉄砲になるところなんだろうけど。


「やっぱり負けちゃったけど、本当にすごいと思った。あのひとはぼくの憧れで、目標なんだ!」
「……ミツル」
「え?」
「ミツルは、もしそのひとに勝てたらどうするの?」
「どうしたの、いきなり。ユウキさんに勝てたらリーグに挑戦するって決めてるよ」
「それでリーグにも勝って、殿堂入りしたら、そのあとは?」


ミツルの望む先の世界は、どれほどつづいているんだろう。遥か彼方、だれも知らない風のふるさとを見つめる淡いひとみから容易に切り離されそうでこわいんだ。結局、不安はすべて私のエゴイズムからできているというのに。

苦しくて落とした視線の先、きれいな草花の隙間からのぞく土はどうしてか湿っていた。


「リーグにも勝てたら、そこでぼくのゆめはおしまい」


けれど返ってきたことばは思いもよらないもので、私はおどろきで跳ねるようにふり向いたのだけれど、しゃがんでいた身体はもともと不安定だったからそのいきおいのままぐらりと倒れそうになる。


「わ……っ、だいじょうぶ?」
「う、うん。ミツルごめ……」


ことばがつながらなくなったのは、ミツルの投げ出した両足に覆い被さるみたいになった私の肩を支えてくれたミツルの顔が、今までにないほど近くにあったから……だけではなくて、間近で出会ったコバルトグリーンのひとみに貫かれたからだった。


「なまえ。ぼくには帰りたい場所があるから、終わったらそこに帰るつもりなんだ」


鼓動の音が鼓膜までひびき、私の思考回路は熱でどろどろにとけていたけれど、ことばだけは明瞭に聞こえた。火照った肌はしろいワンピースの布越しに、ながいミツルの指を感じとる。

帰る場所ってどこ? やたらと響く心臓はもしかしたら、聞かなくてもその答えを知っていたのかもしれない。けれど疑問がことばになるよりもほんのすこしだけ早く、ひんやりと冷たい飛沫が私たちを襲った。


「ひっ、冷た……っ!」
「なんだろう、これ…」


びくりと身体をふるわせて、お互いがお互いの腕を放した。とっさに腕をかかえた私とミツルの頭上に降りそそぐそれはきらきらとひかりながら容赦なく髪を濡らし、火照った肌を冷やしてはじかれ、大地に落ちていく。

それが水だと気づくよりも先にホースによる奇襲はぴたりと止まり、あわてたようなトクサネシティの住民が駆けよってくる。「ごめんなさい、まさか人がいるとは思わなかったのよ……!」「いえ…、こんなところにいたぼくたちも悪いので、気にしないでください」微笑んだミツルはひどく大人びてみえたのだけれど。

タオルを取りに駆けもどっていくそのひとを見送って、ぽたぽたと水を滴らせながらミツルは私をふり返る。ふり返って、それからぐるりといきおいよく目をそらされた。


「……なまえ。透けてる」
企画「夏伯爵」提出
120518
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