novel | ナノ

ふしぎだった。すべてを形づくる輪郭は薄ぼんやりと白く染まっていて、私はまばたきをする。一度、二度。繰り返して鮮明になるのはどういうわけか視界じゃなく脳みそで、幾度となく交わされた、そして最近ではひどく懐かしくなっていたあの声が、姿がリフレインする。

真っ白なまぶしさの集まりのなかで、私には見えない向こうの方を見ていた背中がゆっくりとふり返った。重なる視線にふるえたのは身体ではなく心臓で、先に映るひとはそんな私の鼓動にだめ押しをするかのように、ふわりとやわらかな笑顔を浮かべてみせた。


「なまえ、起きたんだね」
「……え、うそ」
「寝ぼけてるの?」
「寝ぼけてない。寝ぼけてなんかないけど……」


うそ、でしょ。ごちゃごちゃと散らかったあわいピンクの絨毯に、ほんのりシャーベットオレンジのカーテン。見慣れた自室にいるはずのない面影を見ているようで、私はとっさに膜の張ったようなあたまのまま、また何度もまばたきを繰り返した。瑞々しい果実色を引いた窓枠に手をついて外をながめていたらしいミツルは今や窓枠に背をあずけて、ぽかんとして見えるだろう私をくすくすと笑いだす。心底おかしそうな吐息に私はふくれるしかなかった。こっちは必死だっていうのに!


「そんな反応されたんじゃ、寝ぼけてるとしか思えないよ」
「だって!そもそもミツルがこんなところにいるから……そうだよ、だいたいミツルこそなんでここにいるの? 旅は? 帰ってきたの? どうして?」
「うん。知りたいことはぜんぶ順番に教えてあげる。だからなまえ、ちょっと落ち着いて」
「落ち着いていられるわけが……!」


何年ぶりだと思ってるの、なんて本音がこぼれ出そうになった。久しぶりに見たミツルはずいぶん背がのびているし、開け放たれた窓からの清らかな風そのものみたいな髪とか、その風に細められる猫のようなライトグリーンのひとみが大人みたいで、私ばっかりあたふたしているのがたまらなくくやしい。それでも、こういうのんびりした日付感覚は健在であることに、すこしだけほっとするのもまた、事実ではあるんだけど。

天使みたいに可愛くて弱々しかったミツルがとなりの家に引っ越してきたあのあたたかい吉日から、とつぜんミツルが旅に出ると言いだした日との間に残されたわずかな数日。初対面ながらにおどろくほど気のあった私たちはすぐに友達になって、あの頃、活発すぎるほど活発だった私と、互いを見習えと言われるほど大人しかったミツルとふたりで毎日のように連れだって遊んでいた。

当時ミツルは預けられっ子だったからか、それとも身体が弱いことを自覚していたからかもしれない。おじさんにもおばさんにも、両親にすら旅に憧れていることを告げておらず、ミツルがポケモンに、それもコンテストではなくバトルに興味津々だったことを知っていたのはたぶん私だけだった。もちろん私だってポケモンに興味はあったから、ふたりしてこっそり草むらの影で虫ポケモンを探したり、たまに飛びだしてきた野生のポケモンとミツルのラルトスで、修行と銘打ったちいさなバトルをしていた。

けれどそれも、ミツルが家出のように家を飛びだすまでの話。

ミツルがいなくなったのはとつぜんすぎて、私もお隣のご家族も、町中狂ったみたいになって探した。親戚のおじさんに黙って出てきたことを後悔するきもちからか、ミツルは両親にこそ連絡はせずとも私に一通のスバメ郵便を送ってくれて、当時の私は泣きながらミツルの親戚のご家族といっしょにそれを読んだ。


「だいたい、最初にくれたっきり手紙もないし、音沙汰も全くないし……返事だってくれなくて」


あの日から今まで、ために貯めていたことばが噴きだすにつれ、私の視線は下に落ちていく。尻切れた最後の一言はとけ消えてしまって、私は布団を握りしめた手を睨んだ。ぼやけていく視界なんてぜったい認めない。泣く理由なんてない。だから私はまばたきを早める。

窓辺にいたミツルがこつこつと、慎重な足取りでこちらに近づいてくるのがわかった。


「それは……ごめんね。おじさんたちが認めてくれたなら、精一杯ぼくひとりでやってみようと思ったんだ」
「……返事をくれなかったのはどうして?」
「甘えちゃうと思ったんだよ」


こつんと最後の一足が静止を告げ、ミツルの足が視界のはしに滲む。甘えちゃうってなに、どういうこと?回らない思考は寝起きのせいなのか、それとも心中を吹き荒れる嵐のせいなのかもしれない。

ミツルには、置いて行かれた私の苦しみなんてぜったいにわからないんだ。


「ねえ、なまえ。こっちを見て」
「……や、だ」
「まさか……泣いてるの?」
「泣いてないっ!」


言い当てられてとっさに言い返したとたん、じわりとひとみからあふれ出た感情の昂りが落下した。ぽつ、とちいさな音がはっきりと部屋にひびくのはもうどうしようもなく、ミツルに聞こえてしまったのも確実で。


「ごめん……本当はうれしかったよ。すごくうれしかった。なまえが教えてくれるシダケタウンの様子も、もしこのへんにいるんだったら、って推測して教えてくれる街の情報も。おかげで雑誌を一冊も買わずに、ミナモ美術館もトクサネ宇宙センターも、ルネのめざめのほこらだって観光できた」


そっと、私の荒波をなだめるかのように語られる冒険の数々。覚えのあるものより低めの声に懐かしみが混じり、私の本棚に今も飾られたままのセピア色した雑誌が私を見つめているのを感じる。

ちからになりたかったんだ。本当は、いっしょにいたかった。シダケタウンじゃなくてもいい、どこだっていい、私はミツルが離れていってしまった事実をいまだに受け入れられずにいただけだった。

ああ、気づいてしまった。


「なまえの側にいると、ぼくは安心できた。あの頃のきみはすごく強くてまぶしくて、それに引きかえぼくは弱かった。ずっと、到底きみにはかなわないって思ってた。……だけど、ねぇ、覚えてる? ロゼリアを怒らせてしまったことがあっただろう?」
「うん……あったね、そんなことも。忘れてた」
「うん。きみは本当に怯えてたから、きっと忘れてるっていうよりも無意識に忘れようとしてたのかもしれない。ずっととなりにいたから、わかってたよ」


さわさわとここまで届くシダケの風が髪を揺らし、そよぐカーテンがカーペットのうえに陽光を映しだす。

ミツルの足にも当たるそれはあたたかいハチミツ色をしていた。今、何時だろう。もしかしたら私は長いこと寝ていたのかな。


「でもね、あの時なんだ。ぼくが初めてきみの前に立ったのは」


正確にはぼくとラルトスが、だけど。

ミツルの腰につけられたボールがちいさくかたかたと揺れて、ミツルはことばを訂正した。わずかな感情をこぼした後、クリアになった目でそれをとらえる。きっとなかにはあのときのラルトスがいるんだろう。

ぼんやりとラルトスに会いたいな、なんて思っていたから、急にミツルが床に片膝をつき、私を覗きこんできたのに反応するのが遅れてしまった。真摯なひとみがまっすぐに目を差し、どこか甘さを秘めているようにすら見えてくらくらしてしまいそう。


「ぼくは強くなりたかった。きみがぼくにくれた分だけのじゃなく、もっと大きな安心をきみにあげられる男になりたかったんだよ。……だから、きみに甘えるわけにはいかなかった」
「……ミツル、それってなんだか違う意味に聞こえるから気をつけないとダメだよ」
「どんな意味にとってもらっても困らないよ、ぼくは」


おだやかに凪いだはずのこころが、今度は急速に脈打ちはじめたのを知って私はくちびるを噛みしめる。片膝をついたミツルから今度は丸見えで、どんどん頬があつくなるのも恥ずかしくて仕方ない。

そんなことあるわけないのに、ミツルが思わせぶりなことを言うから。第一こんな、幼なじみの純愛なんてお伽話みたいにきれいなこと、起こりうるはずがない!

とにかく勝手に期待して赤くなる頬を、潤むひとみを隠したくて顔を背けようとしたのに、それは叶わなかった。やさしく、けれど絶妙のタイミングで伸ばされた指先が未だ布団を握る私の手の甲に触れ、なぞるようにそっとすべって手のひらに潜りこむ。記憶にあるよりもしっかりした、あたたかなぬくもりに包まれて私は硬直した。まっすぐに注がれる視線は熱く、私のこころを溶かす。


「バッジをすべて手に入れて、リーグに挑戦しに行く前に、どうしても勝ちたいひとがいたんだ。前にも話した、ラルトスを捕まえるのを手伝ってくれたひとなんだけど。……しばらくチャンピオンロードに篭って修行したんだけど、まるで歯が立たなくて」
「そんなに……強いひとなの?」
「うん。かっこ悪いから回数は教えてあげないよ」


爆発してしまいそうなほどの心音と真剣な眼差しに囁けば、ミツルはちょっと恥ずかしそうに笑って、片方の人さし指をたててくちびるに当てて見せた。芝居がかった仕草に自然とゆるんだ私の表情を見て、ミツルもほっとしたように話を再開する。


「ついこの前もバトルして、やっぱりだめだった。くやしかったんだけど、なぜかその時とつぜん踏ん切りがついたんだ。このひとに勝つ前に、リーグに挑もうって。そのひとにはそうしろって何度も言ってるだろ、って笑われたよ。ずっと前からオレに挑む前にまずはリーグに行けって言われてたのに、ぼくは言うことを聞かなかったから」
「前から頑固者だったよね、ミツルって」


憧れのひとに意地を張るミツルが簡単に想像できておかしい。激流のような血潮が気にならなくなるにつれて緊張がほぐれ、私は気がつくとくすくすと笑っていた。やわい手のひらにまわった指先がきゅっとちからを入れてくるまで、まるで昔に戻ったみたいに。

それでもミツルの背はやっぱり高くて、腕は私をすっぽり包みこんでしまうくらい長く、しかも病弱だったあの頃とは比べものにならないくらいしっかりしていた。


「勝ったよ、リーグ戦に」


抱きよせられ、生地のうすい寝間着でいたために感じる圧倒的なほどの熱と、耳もとのささやき。私はちいさく息をとめた。


「すごい……いつ?」
「昨日。回復してそのまますぐ帰ってきたんだ」
「家には?」
「まだこれから。朝一でここに来たから」
「伝えにきてくれたの……?」
「うん。ずっと聞いてほしかったこともあって」


ミツルはベッドに上半身を起こした私を横から抱きしめる体制でうなずき、伝わる熱は私に一抹の緊張と心地のよさを与える。すなおに身をゆだねられないのは、私も人のことを言えないくらい意地っ張りだからかもしれない。

うながす返事もそこそこに、陽のおどるミツルの髪がゆれた。


「すきだよ、なまえ」
「……それって」
「きみを守れるだけ強くなったら言おうって決めてたんだ」


ちょっとフライングかもしれないけど、リーグに勝てたらいてもたってもいられなくなった。

かさなる鼓動が早鐘を打っているけれど、もうどっちがどっちのものなのか判別がつかなくて。私は腕のぶんだけ離れたそのひとみにうなずくのが精一杯だった。ふわりとほどけた明るいビリジアンに見惚れる暇もなく近づいてきたぬくもりに目を閉じる。

離れたくちびるが真っ先につむぐ名前が私ではなかったことにすこしだけ苦笑した。


「そのときは私にも見せてほしいな、そのバトル」
「うーん……負けても笑わないでいてくれる?」
「負けるの?」
「ちがうよ!次こそは勝ってみせる!」


ささやかな仕返しをしたつもりが、ミツルはその人とのポケモンバトルを思いだしたのかきらきらとひとみを輝かせる。以前、ラルトスが新しい技を習得するたびにみせていた珍しいその表情を引き起こせるその人がすこしだけ羨ましくて、けれどすっかり大人になったように見えていた幼なじみの無邪気なそれに惹かれてしまうのだからもう、どうしようもなかった。
青/120407

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