novel | ナノ

昔ながらの木造建築の屋根は低く、ガラス障子と障子の二重に隔てられた渡り廊下は外気にさらされ凍てつくほど寒かった。けれどもストーブの置かれた室内はあたたかく、数時間前に終えた食事の片づけもすべて終えた私たちはこたつで暖をとりながらこの静かな週末の夜を楽しんでいた。

もちろん一口に楽しいと言ってもいろんな楽しいがあるわけで、いま私が感じている楽しさはそのなかでも一際特別な楽しさだった。笑いたくなるわけでも、はしゃぎたくなるわけでも、とりわけおかしいこともない。穏やかで温かくて安心できて、一抹の熱をふくんでいる。そんな楽しさだった。

四角いこたつで私の正面ではなく、となりの辺に座ったマツバさんの足が私の足をかすめているのに、たぶんマツバさんは気づいていないんだろうな。それだけで私の脳みそはバニラの香りがするアイスクリームみたいにとろけて、溶けてしまいそうになっているのに。


「なまえちゃん、食べないのかい?」
「あ…いえ。いただきます」
「さっきからぼーっとしているみたいだけど…」
「いえ!だいじょうぶです」


マツバさんはみかんを剥く途中でかたまっていた私をのぞき込むようにして心配してくれる。それはそうだよね、だれだってみかんに爪をたてたままうつむいたっきりのひとがいたら心配するよね。自分の奇行が恥ずかしくて、私はあわてて首をふった。

雪に降りこめられたなかでこたつにみかん。正しい日本の冬を体現するにはすこし遅い時期にこうしているのは、マツバさんがジムリーダーで年の境目はいそがしいからに他ならない。ようやくお休みのとれたマツバさんと会うのは本当に久しぶりで、正しくは恋人でもなんでもない、元挑戦者で今はちょっと親しい友人ポジションにおさまる私が用意できるのがみかんくらいだった。ただそれだけなのだけど。

おつかれさまです、と差し入れのみかんとともにあらわれた私を笑って家にあげてくれたマツバさんは、みかんなんかよりずっとずっと値の張りそうな夕ご飯をふるまってくれた。女子力でさえ劣る私が、こんなに近いところで秘密を抱えているなんて、本当はそんな資格もないのに。

ひと思いに剥がした橙色の皮から、瑞々しい芳香がひろがった。


「…ん、おいしい…」
「そうだね。きみが持ってきてくれるものはいつも確かだったけど、今回は特別おいしい気がするよ」


微笑んだ声色でマツバさんがつむいだことばの意味がわからずに、私は思わずみかんから目を上げ、ぽかんとマツバさんを見つめてしまった。木目の中央に山積みされた新しい果物に手をのばしていたマツバさんがそんな私に気づくのは必然で、陽極が電子を呼ぶようにかち合ったひとみがやさしく笑みをうかべる。

ひどくやさしいそれに心臓を縫い止めるほどの力があることを、マツバさんは知らないのかもしれない。あわい金の髪は電灯下でなお、ちいさなひかりの輪をはらんだ。


「どうかしたかい?」
「あ…、いえ。みかん、当たりでよかったなと思って」
「当たり?」
「みかんとか、キウイフルーツとか、同じものでも当たりはずれがあるじゃないですか。すっぱいのと甘いのと」
「ああ…言われてみればたしかにそうだね」


本当はお酒を持ってくるべきか迷ったのだけど、みかんにして正解だったかもしれない。私はまだ酌ができるほど大人ではないし、マツバさんはなんとなく、お酒をたくさん飲むタイプには見えないから。芳しい香りがただようなか、ひと房をくちに運んで私も微笑んだ。

まどろむ庭はまだ眠りからさめそうになくて、願わくばもうしばらくだけと、一定のリズムをちいさくくり返す心中の熱がささやく。


「あ。これ特別甘くておいしいよ」
「え?どれですか?」
「これ。ほら、なまえちゃんも食べてごらん」


皮をむいていた視界にとつぜん伸びてきたマツバさんの手がなにをしようとしているのか、それを理解する前に、笑みを形づくったままだった私のくちびるにひんやりしたやわい何かが触れる。

ぎょっとして名前を呼ぼうとくちをひらいた瞬間に、スタンバイしていたそれが口内に落とされた。


「あまくて美味しいだろう?」


当たり前のようにちいさく首をかしげるマツバさんの髪が、ヘアバンドの覆うひたいの上をさらりと流れる。用意がなくておもわずのどに詰まらせそうにまでなってしまったそれは確かに、噛んでもいないのに甘い瑞々しさを舌にしめした。とっさに口に手を当てたのは喉の奥にころがりおちてしまいそうな一粒のせいだったのに、マツバさんが果汁にぬれたその指を自然に口もとに持っていくのを見ていたら熱くなる頬を自覚してしまった。

あわててうなずいてうつむいた先、食べかけのみかんが私をすっぱそうに見ている。


「なんだか、みかんってきみに似ているね」
「え…?それってどういう意味で…」
「甘かったりすっぱかったりするところが」


どうしてか、私のことばをさえぎったマツバさんはこちらを見てくれなくて、それでもこっちの方が甘いからと残りまるごと交換してくれたみかんは私のものよりもずっと多くて、ずっと甘かった。


120225
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