ほんのりうす暗い店内は何のためか、お酒も置いていないのに居酒屋のような雰囲気を醸し出していた。ざわめく店内は衝立ての向こうから、私たちだけじゃない、他の集団の存在を匂わせる。 丸ひとクラスが座れる机のある飲食店なんてたぶん、大きな宴会場のあるホテルかなんかくらいだ。同じ仕切りのなかとはいえ、分かれたテーブルの上に広がるのは似たようでいてまったく異なる類のものだった。ねぎらいと功績を述べたあと突然おちゃらけてかんぱーいと音頭をとってくれた体育祭実行委員も、クラスにいるときより穏やかに見えるクラス委員も、そうして本日のMVPも、みんながみんなひとつのテーブルに集まるのはあたりまえといえば当たり前ではあった。 正面に座った男子たちの冗談に笑っていたゆっきーに軽く声をかけ、私はいちばん端の席から抜け出して店内の奥、狭い通路の先をめざす。追いかけてくる笑い声から目を反らしているうちに、脳裏に浮かんだのは今日の昼間のことだった。 拍手すら巻き起こった全員リレーで天をつらぬくように拳を突きあげたのはとなりのクラスのアンカーだった。わあっと立ちあがるとなりの列に駆けよっていく姿にあつまる視線のなか、僅差で敗れたグリーンの表情を、私の位置からはよく見て取ることができなかった。 『グリーンくんすっごく惜しかったね…!ほとんど抜いてたよね!』 『う、ん…そうだね』 『かっこいいなー、なんでバスケ部なんだろ。陸上でも全然やっていけるのに』 勧誘したいくらいだよ、と笑う彼女のほおはほんのり色づいていて、私はあいまいに笑い返す。盛り上がったとなりの列にいた水泳部員が先生に座りなさいとピンポイントで叱られているのをなんとなく見ていたら、目が合った瞬間に見てんなよ!としかめっ面をされた。 べつに見ていたわけじゃないよとしかめっ面を返したら、陸上部の子からどうしたの?なんて怪訝な顔をされてしまった。 『あ、なんでもないよ』 『ふーん…?あ、グリーンくんおつかれさま!』 『おう、さんきゅ。お疲れ』 びくりと過剰反応したのが心臓だけだったことが、なにより不幸中の幸いだった。 目の前でぱちんと軽いハイタッチが交わされ、その子に注がれていたグリーンのまなざしが私をとらえる。流れ作業よろしく最前列からずっと片手でのハイタッチをつづけていたらしいグリーンに、私はあわてて片手を差しだした。 ふっと、まなじりが和らぐ。 『おつかれ…』 『お疲れ』 体育座りをしたままの私たちを見下ろしたグリーンの表情は影になっているはずだったのに、なぜか笑んだくちびるははっきりと私の視覚に焼きついてきた。中途半端に挙げた手の指先にバトンをもっていたグリーンの手が触れ、あせりととまどいの名残でゆれる心臓ごとかすかに、きゅっと握られる。 はっと目を見ひらいたときにはすでにグリーンは最後尾までたどり着いていて、どこか疲労感のにじむ実行委員と先生が、成績発表と称して正確な順位を読み上げているところだった。 私のあとにつづくクラスメイトへも平等に送られたことばを両の耳は確かに拾ったのに、ありふれた幾多のことばになんら変哲はないのに、午後の日が暖めたぬくもりに私のこころはどうしようもなく震えてしまう。 幻想のような仮定を立てては消し、にじんだ欠片をあつめてはまた組み立てる。考えたって仕方のないことなのに、決定打はまだほしくなくて。 「あ、おかえりなまえ」 「ずいぶん盛り上がってるみたいだけど、何かあったの?」 湿ったばかりのハンドタオルをカバンに戻し、座り直しながら私は首をかしげるしかない。時間に換算してしまえば抜けたのはほんのわずかなはずなのに、ただよう暑いほどの熱気に私ひとりだけそぐわないような錯覚に陥る。 ゆっきーはなぜか意味ありげににこにこと笑うだけで、正面に座っていた男の子は場にあてられたのか、真面目そうな面持ちをすこし上気させて答えてくれた。 「それがな。選抜組のあの作戦、じつはグリーンの幼なじみの入れ知恵らしいんだよ。しかも陸上部らしいぜ」 「選抜…?」 「選抜リレーだよ。ほら、全員リレーでもやってたあの作戦」 ああ、と私はうなずいた。一度スピードを落として相手を油断させ、次走者が早いスタートを切ることで相手の焦りを生みだし、ミスを誘う。となりのレーンで走っていたなっちゃんは負けたよ、なんて苦笑いしていた。ミスはしなかったものの、久世くんの残りの体力にびっくりしたって。 「でも選抜で1位なんてすごいよね、私たちのクラス!」 「まぁ、うちには何人かスター選手がいるからな」 「文武両道、ってやつな」 ゆっきーの興奮冷めやらぬ声に応え、ふかふかのソファみたいな座席にならんだ男子たちはにやりと互いにアイコンタクトを交わす。そのひとことにかすかに混じるしょっぱさを、私には笑うことができなかった。 黄色いライトの沈むグラスは氷をうかべ、口にふくむたびに涼やかな音をたてる。 120220
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