novel | ナノ

地図よりもずっとリアルでちいさな世界が、綿菓子みたいなミルクカラーの隙間からうっすらと眼下に広がる。凍てつくほどつめたい風に肌を刺されてもちっとも気にならないほどのそれに、私はおもわず歓声をあげていた。


「ばか。落ちたいのかよ」


夜空のかけらみたいなドラゴンポケモンの背は意外にもとても居心地がよくて、気づかぬうちに目いっぱい身を乗りだしすぎていたみたい。朝だというのに夜風みたいにつめたい声に引っぱり戻された私は、つややかな黒真珠のかがやきを持つ巨体のうえをすべり、慣れきってドラゴンをあやつるトウヤの前におさまる。疾風のように早駆けるゼクロムのうえに乗っているのは当然ながら容易ではなくて、はじめてトウヤが従えて帰ってきたあの日、私はぜったいに、一生乗れっこないと思っていたのに……こんなにすごいものだと思わなかった。

予想を上まわる景色に私はすっかり我をうしなっていたけれど、トウヤを怒らせると怖い。それはもはや肝にめいじられているようなもので、やはりというべきか次やったら落とすからなとおどされてしまった。こうなったらもうどうしようもなくて、ゆるむ速度を感じながらも私は仕方なく身を伏せる。流れる風といっしょにちらっと視線を流してみたら、私の後ろでずっと帽子を押さえっぱなしのトウヤとばっちり目があってしまってあわてて反らした。

ぐんぐん高度が下がり、上空特有の息苦しさも冷たさも元通りに戻っていく。数年前のあの日、ひとりポケモンを持つことをゆるされなかった私だけど、トウヤたちが旅に出てしまった間にただただ悲しみに暮れていたわけじゃなかった。ポケモンに頼らずともいろんなことを自分のちからだけで行うつよさだって身につけた。上空では空気が薄いってことも、気圧と気温の関係も、すべては私が、旅という学びを得た幼なじみたちと対等に笑っていたかったから学んだことで。

けれど図式化されたモノトーンの文字で得た知識を実感させてくれるのは、こうして帰ってきてくれた幼なじみたちだったのだ。なんて皮肉なんだろうと、私はひんやりしたゼクロムの漆黒に額をつけ、目を閉じてこっそり自嘲した。

とくん、とくんと早鐘を鳴らす心臓は疑問と期待にゆれていて、たぶんゼクロムには伝わってしまっているんだろうな。


「……なまえ、酔った?」
「え?」
「もう着いたけど」


神とよばれるポケモンは、着地もなめらかなのかもしれない。全然気づかなかったけれど、私の肌が心地よく暖かな地上の温度によろこんでいるのはたしかだったし、見まわしたここが、昨日何度もマップでたしかめた先のソウリュウシティだというのはきらきらしたネオンサインのひかりから見て取れた。

ほら、とトウヤは自然に片手を貸してくれようとする。しばらく見ないうちにすっかり硬くおおきくなった手のひらに手をかさねるのをためらうのが馬鹿馬鹿しくさえ思えてしまって、私は爆発しそうな心臓をひた隠すためだけに、精一杯の虚勢をはってにっこりとその手を借りるしかなかった。


「う、わ……!私こんなに大きな建物はじめて見たよ」
「ああ、そうか。そうだよな。でもサンヨウまでは行ったことあるんだろ?」
「うん。でもサンヨウにもこんな大きなショッピングモールなんてなかったよ」


近代的で落ちついた風の吹くソウリュウシティも魅力的ではあったんだけれど、トウヤはゼクロムをしまうとすたすたと街を横切りはじめてしまった。あわてて追いかけようにも、昨日の夜、散々なやんで決めてきたすこし高めのヒールがそれを邪魔する。面倒くさそうにしつつも、何も言わずに待っていてくれるやさしさを見つけられるのは、それが昔からだからなのかもしれないけど。

ゲートを抜けてすぐ目に入ったおおきな建物にまた絶句する私のとなりで、トウヤはなにがおかしいのかちいさく笑い声をあげた。


「そもそも、ショッピングモールはここにしかないし」
「え…あ、そっか」
「ほんと、相変わらず抜けてるよな」
「相変わらずトウヤは失礼だよね」
「おまえが行きたいって言うから連れてきてやったのに、それはないと思うけど?」
「それについては感謝してますー。でもそれとこれとは別でしょ」
「は、生意気なやつ」


ウィーンと自動ドアが静かにひらく。さよならの前には、私がこうして言い返しただけでトウヤは不機嫌になっていたし、私もトウヤに言われただけでへこんだりしていた。今となってはおだやかに交わされる他愛ないやりとりの一部になっているのが不思議なようで、それだけお互いに成長したと思ってもいいのかもしれない。

ひらいたガラスの向こうから山のような荷物をかかえた女のひとが飛びだしてきて、ぼーっとそんなことを考えていた私はとつぜんぐっとうでを引かれる。一瞬のことだった。あっぶねえな、と打ってかわって不機嫌そうなトウヤの声が耳もとでひびき、あわてたような女のひとの謝罪が聞こえる。

一拍おいて鼓動が爆発した。


「だいじょうぶか?」
「うん…、大丈夫。ありがと」


のぞき込もうとするひとみに絶えられなくて、顔をそらしながら私はトウヤの手から逃れる。溶けたぬくもりから心音が伝わってしまうのがひたすらに怖いのは、トウヤが帰ってきてからさらにひどくなったこの症状が、関係を超えてしまうのが怖いからだった。だけどそもそも、私がこんな風にトウヤに接している時点で、それは無理な話だったのかもしれない。

大人げないなってあきれられることがわかっててはしゃいでみせたのは、3階までひたすら永遠のようにつづくショーウィンドウがカラフルにかがやいて私を呼ぶ声以上におおきい、私の虚栄心のせいだった。

ふわふわのレースを基調としたパステルカラーの洋服に、落ちついたチャコールグレイが大人っぽい家具のお店、ポップなビビットカラーがまぶしいちいさなお菓子のお店。トウヤとふたりであれこれ冷やかしながら歩くのはたのしくて、特に用もないのにいろんなお店に入る。気づいたときにはもうお昼時で、R9をよく知っているトウヤに案内されるまま、私たちは最上階までやってきていた。


「疲れた?」
「ううん。まだ何も買ってないし、これからだよ」
「へーえ……おまえも女だな」
「どういう意味?」
「さあ」


のんびり食べていたつもりはないのだけど、いつの間にかさっさと食事を終えてしまったトウヤはオムライスをスプーンですくったままにらむ私の前でコーヒーをすすり、ふっと意地悪くくちびるをゆがめてみせる。上目を遣うような視線にどぎまぎしてしまうのはあまりに悔しいから、やっぱり私は虚勢をはってその目を見返した、……んだけれど。

くっ、とトウヤが耐えきれなかったような吐息をもらしたのに目を見ひらいたときには、トウヤはすでに笑いの渦中にいた。


「はは…っ、おまえ本当にわかりやすいな」
「な…なんで笑ってるの?」
「何でって…。そうだな、おまえの思考回路が丸見えで面白いから?」


あまりにおかしかったらしいトウヤの言い分に二の句が継げなくなってしまう。つまり私は暗にばかにされているの…?

イッシュで栄冠を手にしたほど、観察眼に長けているトウヤが絶句した私をどうとらえたのか、もしかしたら本当に私がわかりやすいのかもしれない。唐突に訪れた笑いは引っこむのも突然で、さっきまで笑っていたはずのトウヤがいつそれをひっこめたのか、めまぐるしく攻守の入れ替わるポケモンバトル未経験者の私にはとうてい、追いつけっこなかった。


「意地張ってないで、さっさと言えばいいのに」


オレが気づいてないとでも思う?

自信たっぷりに、不敵に笑うトウヤが何を言っているのかなんてとっくにわかってて、それでもちいさい頃から見せていたその笑顔に安心してしまう時点でもう、私に勝ち目なんてこれっぽっちも残っていなかった。
120222
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