novel | ナノ

歓声がにぶく頭のなかに反響する。薄ぼんやりした思考のなかでただひらすら先を目指し、第何番目かもわからない次の走者へと手のなかのそれを押し出す。

激励の意とともにつよくたたきつけられたバトンを、私のぶんの激励も込めてまた手渡す。多くはないはずなのに数え切れない練習をかさねた記憶が、私の身体を突き動かす。

やさしく渡そうとしなくていい。相手の手がとっさに握りこんじまうくらいつよく、相手の手を押し出せ。


「おつかれー」
「う、ん……おつかれ」


銀色の筒が私の手から離れていき、自分の鼓動じゃないリズムが腫れたようにもやがかかった聴覚をかすめる。人の視線もバトンタッチしてそっと列にもどれば、一足先に走り終えたふたつ前の走者がにっこりと笑いかけてくれた。

残りの列も終盤にさしかかり、だんだんと差のひらいてきた各クラスの応援にまた拍車がかかる。どくどくと、まるで全身が心臓になってしまったようなはげしい脈拍のリカバリーをグラデーションのように感じながら、私はクラスカラーのはちまきを見つめた。声はまだ出そうにない。


「あーあー、どんどん離されていくよ」
「うん…、ほんとだね」
「せっかくなまえちゃん、がんばったのにね」


ついさっきまで追いかけていた色が、私たちの色からぐんぐんと離れていく。結局抜けなかったのは私で、私と同じ走順に当たった子がたまたま、私より遅かっただけだった。それなのにくちびるを尖らせるのを見ていたら私までくやしくなってしまうなんて、同調しきった私自身を笑うしかなかった。


「でも、抜けなかったのは私だから」
「それはまあ、そうだけど」


でもこれから遅いのいるからなあ、と前に座っていた彼女はちょっと苦笑してそれからまた応援にもどっていく。私もおとなしく体育座りをして、ようやく整った息をすって声をだした。もしかしなくてもきっと、私の相手が私より速かったらこんな風に言われてしまったんだろうな。速い、遅いなんて比較でしかないのに。

リハーサルでもぱっとしない成績しか残せなかった私たちのクラスに分がでてきたのは、独走気味だったトップクラスが、アンカー間近というところで、テイクオーバーゾーンを外れそうになった焦りでミスをしてからだった。

わっと、はちきれんばかりになった波動は歓声なのか、罵声なのか。それともただの冷やかしなのかもしれない。他学年からも声が飛び、団長が不在のはずの応援団がこぞって奮いあがる。実況がここぞとばかりにトーンをあげた。

あせってもたもたと悶着するトップクラスをとらえたのは隣のクラスカラー、ひとつ他クラスをはさんで、私たちのクラス。接戦だ。

俊足で間合いをつめたものの追い抜けず、苦しそうにバトンを差しだす背の高い仲間を信じてか、私たちクラスメートのすべてを乗せてアンカーがリードを踏み出す。ずいぶん速い切り出しはリハーサルでも見たことのないほど。


「ちょっと…あれ、だいじょうぶなの?」
「ばっかじゃねーのあいつ、格好つけて先走りすぎ……」


となりで同じように列を組んでいた他クラスのざわめきもヤジも、一瞬だけだった。よろよろに見えた久世くんが、とたんに最後のちからを振り絞ったようにスピードに乗ったのだ。一度ゆるく失速したにもかかわらずのギアチェンジに、前にいた陸上部の彼女も声を失っているみたい。

すべてのバトンが流れるようにアンカーに渡り、鉢巻きじゃなく色鮮やかなゼッケンをまとったいくつもの風が虹のように駆けていく。

列のいちばん後ろまでやってきた久世くんの声が、クラスカラーをまとうアンカーの背中を打つようにひびいた。


「グリーン!抜け!」


それはひときわ大きな声で、だけど疾風に吹かれるグリーンに届いたかどうかは本人にしかわからなかった。次々にコーナーを曲がるトップのアンカーは、途中に生じたアクシデントにもかかわらず強かった。速くて速くて、タイムで優るグリーンに接近はゆるしても、決して追い抜くことはさせない。

だれもが声を枯らすなか、半周ずつつながれたバトンを丸一周ぶんかけて運ぶ最終走者は最後の直線にはいっていく。私は人知れず握った拳をはやる胸にあて、見ていることしかできなかった。

ゴールテープが切られて、勝者が人差し指を天に突き上げる。
ace/120214
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -