novel | ナノ

お昼の後にしばらく競技がないのは最高学年の特権だ。午後一に100m走がはいっているひとつ下の後輩たちがくちびるをとがらせ、うらやましいとだだをこねていて、それに男子たちがじゃれあうような激励を送っていた。


「まあ、私たちも乗り越えた道だよね」
「だれかがやらなきゃいけないことだし、そういう意味ではいちばん気のゆるむ二年は適任なんじゃない?」


椅子に腰かけたなっちゃんが調理パンを食べながらつぶやいたのへ、るりちゃんが何気なく辛辣なひとことを添える。私はなっちゃんとおもわず顔を見あわせて、同時に苦笑いしてしまった。


「るりちゃん、ここにあの子たちがいなくてよかったね」
「え、え…!?どうして?」


無自覚らしいるりちゃんは、私たちが言わんとしていることがわからないみたい。水道の端で後輩たちとさわいでいた男子数人がようやく帰ってきて、すっかりがらんとした生徒席の空いた場所へめいめい勝手に座り、ようやくお弁当のつつみを開きだした。

砂埃の舞うフィールドでゆるゆるとスプリンクラーがまわっている。これだけの椅子がぽつねんと残されているグラウンドはある意味圧巻だった。


「…で、だ」


おもむろに口をひらいた堀木部長は間をおいて視線をあつめ、私たち三年部員をぐるりと見まわして言った。


「俺たちは水泳部だから、地べたを走りまわる競技なんざに興味はない連中がおおいだろ?でもな、速さを競う点でこれほど似た競技はない。と、俺は思うんだが…」
「まあ、たしかにね。でも方法はぜんぜんちがうと思うよ」
「…あのなあ…おまえは人の話を最後まで聞けよ。おれの部長としての威厳はどうしてくれるんだ」
「あ、ごめん」
「でもさ、元々こいつに威厳なんてないから大丈夫だと思うぜ」
「うるせーよ」


はずかしそうに首をすくめたゆっきーをフォローした男子のひどい言いように、そうしてその男子のあたまをぱしんと叩く堀木に笑いと同意の声がわきあがる。

部活対抗リレーっていったい何のためにあるんだかわからないよね、とぶつぶつ言っていたなっちゃんが副部長として、笑い声のなか、パンの袋片手に堀木のとなりに移動していく。堀木のとなりで、背もたれを前にしてすわっていた男子があわてたように立ちあがるのを合図に、ようやく私たち水泳部のスイッチが入った。


「とりあえず念のために聞くが、対抗リレー出たいやつ、いるか?」


移動してくれた男の子が座り直すのを待っているあいだにお弁当をかっ込むように食べ、堀木はもぐもぐと昼食をつづける部員たちを見まわす。私はもちろん、となりにいたるりちゃんも、ゆっきーも、順番にぐるりと目を反らしていく。それがあまりに見事だから、気づいたるりちゃんとふたりで思わずくすりと笑ってしまった。いくらなんでも、全校生徒のまえで率先して水着で走りたいなんて思う人はいないに決まってる。

全員に目を反らされた部長がちょっと悲しそうにため息をつく。なっちゃんは淡々とパンの最後のひとくちを食べきったようで、くるりとビニールを結ぶとようやく顔をあげた。堀木は声をつかうのに、なっちゃんはそれだけで注目をあつめることができるみたい。


「とりあえず、対抗リレーの定員は補欠1人をあわせて6人なので。私と部長は出るから、あと4人、出てくれないかな」
「あ、じゃあ俺、補欠ならやるよ」
「それってずるくねぇ?」


補欠って安全地帯だろうが、と不平不満があがったりおしゃべりが始まる。まぶしいくらいの青空が降りそそぐことを除けば、先輩と意識しなくてすむ状態であつまるとこうなってしまうのはいつものこと。

なにやらことばを交わすなっちゃんと堀木の向こうで、外時計の長針がきっかり6を指すのが見えた。


「おい、とにかくちょっと聞いてくれ。あまり時間もないし…立候補者が出ないなら速いもの順でいいんじゃないかという意見が出ているけど、それでいいか?」
「いいんじゃない、無難だし。他の部活もそうしてくるんじゃないかな」
「うん、オレもそう思う」


空っぽの緑のお弁当箱を仕舞って、水筒をとりだしながら私はうなずいた。みんな後押しをするようにうなずいてくれて、それじゃあ、と部長、副部長が何やら紙を取りだす。見覚えのある、バインダーにはさまったそれに私たち平部員はざわめいた。もしかしなくても、3年間毎日のように使ってきた私たちが見間違えるはずもない。あれはまぐれもなくタイムカードで、部活で計った記録がつけてあるはずで…。

さくさくと名前を呼ばれたのはやっぱり、部内でもトップクラスの記録保持者4人だった。


「まさか水泳のタイムだなんてね」
「やるときはやる、って水泳部のモットーというより、最早なつと堀木の形容詞だよね」
「たしかに」
「何それ。るりまで何言ってんの」


チャイム前に解散になって、はしゃぐゆっきーとるりちゃんになっちゃんは苦笑いをする。みんな、気づいてないのかな…本当に?


「どうしたの、なまえ」


訝しげななっちゃんたちを安心させられるほど、とっさに作った笑顔がうまくできていたかどうかを吟味するよゆうがなかった。

校舎の曲がり角にさしかかっているのをいいことに逃げてきてしまったトイレの鏡はすこしゆがんでいるみたいだった。


「なまえ」
「え?」


グラウンドへ帰る道すがら。奥まったこの道に人気のないところからして、もう午後一の競技が始まったのかもしれない。あわてて走りだそうとした瞬間に呼び止める声をひろって、脳みそよりもさきに私の心臓はひとつ、大きく鳴りひびいた。ふりかえる間もなくあたまに触れた手の指先が、いきおい余ってなのか私の目をふわりとかすめる。

こんなことをしてくる男子なんてひとりしかいないのを、何よりも私自身が知っていた。


「全員リレー、がんばろうな」


考えたかったこと、さっきから脳内を占めていたこと、すべてがつよい風に吹き飛んでしまった。返事をする間もくれずにグリーンの手は離れていき、傍らの空気がゆらりとゆらぐ。

すぐ先にある歓声を耳に留めることもできずその場に立ちつくす私を、遠ざかるグリーンの背なかがどう思っているのかな…なんて、見つめたって答えがあるはずないのに。
120206
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