novel | ナノ

冬は触れあうのにぴったりな季節だなんてだれが決めたんだろう。うーさぶ、かなわんわあとかぶちぶち言いながらマフラーに顔をうずめて前をいく背中をすこしにらんでみて、あまりの情けなさにこぼれた息はひとの気も知らずに、ふんわりと白く色づいて空に昇っていった。

忙しいのはおたがいさまで、マサキの休日はかならずしも私の休日ではない。私が休みのときにかぎって学会の講義が入るのも仕方がないってわかってるし、そんなことを気にしてしまうならこのひとの隣にいることなんてゆるされない。マサキがそう言ったわけじゃないけれど、私はなんとなくそれを直感していた。

昨晩のうちに積もった結晶は道のかたわらにうずたかく集められ、つんと澄ました透明な空気を反射してきらきらひかる。マサキの生活を占める憎らしいまでの乱数と、私の生活を決める規則的な倍数がようやく何度目かのかさなりを見せたのに、おしゃれな並木道は私たちに対しておどろくほど冷たかった。

マサキの手はポケットに入ってしまって出てこようとしない。

冷えたコートがすたすたとためらいもなく遠ざかっていく。ここで私が立ち止まったらマサキはちゃんと気づいてくれるのかな、なんて…この間にある見えないそれが本物なら、とても簡単な問いのはずなのに。


「なんや、えらい立派なため息やな」


ぞくりと背筋を走ったものの正体をつかめないうちにマサキがふり返った。いちど本人に言ったらばかにされたからもう言わないってこころに決めたんだけれど、こういうときだ。私がマサキをまるでエスパータイプみたいだって思うのは、こういう変な勘みたいなものが、マサキにはあるから。

ねえ、どうしていつもタイミングがいいの?


「ため息なんかついてないよ」
「わいの聴力は一級品なんやで。知っとるやろ」
「だからね、遊んでただけ。今日はとくに、息の白くなりようがすごいから」


私は口角を押しあげる。この年で遊んでたなんてよくもまあ言えたものだと自分でも思うけれど仕方ない。マサキの負担にならないひとになれるなら、私はいくらでもちいさな、他愛のない嘘をつける。

ふと眉根をよせたマサキの目の下には隈がある。講義用レジュメの締め切りに、ボックスシステムの管理に、そうしてめまぐるしくまわるマサキ自身の好奇心に、マサキの身体がみせるサイン。いつものそれよりはずいぶん薄いけれど、それでも私の舌を裂くにはじゅうぶんすぎるほど。

離れていた距離を、離れたときと同じ歩幅であっさり戻ってきたマサキはとつぜん、何の前触れもなく私の両頬に両手の指をすべらせてきた。混ざる体温に心臓が息をするまもなく、ぐにっとほおをひっぱられる。

あまりの予想外な行動に、私はおもわず目を見開いた。ふたり分の吐息がじゃまをする視界の向こう、マサキのひとみに映るのはまぎれもなく、ほおを左右にゆるく引き伸ばされた私。


「……その顔、好かんわ」


ぽそりと落ちてきたことばは氷柱みたいに私の心臓をとめた。さっき指のあいだを滑りぬけていった恐怖が巻き戻しするみたいに宙をのぼって私の思考回路に戻ってこようとするけれど、勘のいいマサキがそれを許すはずもなかった。

もともとそんなにちからの入ってなかった指からだんだんに意志がぬけていくのを感じる。冷えた頬はさっきまでポケットであたためられていた指に溶かされて、感情はコントロールする暇もなく勝手にこぼれだしてしまう。強ばった表情は決して、凍えているからじゃないんだってこと。


「なまえ。わいとおっても、楽しくないんとちゃうか?」


思いがけないことばに呼応して、目を見ひらいた。

つかみきれなかった不安がついに私を捕らえたのは、マサキが勘のよさでそれを妨害するのをやめたから…では、なかった。私のこころに確実で深いとどめをさしたのはマサキだと思っていたのに、それはまるで私の盾になるために突きとばしてくれたからついた傷のようなものだったのかもしれない。

前にいちどだけ見に行ったロマンス映画で、あないなことわいにはできへんって呆れてたくせに。


「…なんで、マサキがそんなこと言うの」
「…そんなん、自分に聞いてみい」


ふいっと唐突に視線をそらしたマサキのひとみはやっぱりゆれている。さっきまで私を捕らえようと追いかけてきたものは、本当は私じゃなく、私の前を歩くマサキをねらっていたの…?

将来有望で、ひと当たりのいい性格のマサキは友好関係がひろい。感情も表情もゆたかなムードメーカーだからまわりにはひとがよく集まっていたけれど、私は必ずしもそのなかに入っているわけじゃなかった。毎日通う場所も休日のサイクルも、考えていることも、もしかしたら優先順位だって全然ちがう。

いちばん近くにいることを許しあったはずなのに、私は正直、マサキの表情をいちばんたくさん知っている自信がなかったんだ。


「…マサキ」
「…なんや」
「私は、いやな女になりたくなかっただけなんだよ」


意味がわからないとでも言うように片眉をあげて、マサキは私を見つめなおす。ゆらゆらとゆれるひとみは鏡みたいにありのままの…そしていつもよりすこしだけおしゃれした私をうつしている。


「なまえがいやな女なわけないやろ」
「何を根拠にそう言えるの?」
「わいの勘。せやけどな、いままでハズれたことないんやで」


まさか否定してくれるなんて思わなくて、だけどそれが今までこわくて聞けなかった問いすべての答えのような気がした。

すこし困らせてみたくてかけた問いで、まじめに応えてくれるとは思ってなかったから返答に困る。ことばに詰まった理由はもちろんそれだけじゃなくて、強ばったほおが勝手にゆるんでいくのをとめることができない。こんな、マサキの些細なひと言で一喜一憂するのはとてもくやしいのに。

微笑んだ私につられたように、マサキもくちびるで弧をえがいた。太陽が動いたせいかショーウィンドウがきらきらかがやいている。


「ねえマサキ」
「ん?」
「あの、ね」
「……なんや改まって」


結局は私たち、おたがいに意地をはってただけなのかもしれない。口にだす前に、指にするりと絡まってきたマサキの指先はいつのまにか空気に冷やされてつめたくなっていたけれど、きっとこれはマサキの勘の為したことじゃない。

半分うぬぼれていられるのは我慢するよりずっとしあわせで、さっきと同じ歩幅であるきだすマサキの背中はさっきよりずっと近かった。
青/120115
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