雪は後からあとから積もるばかりで、道の両脇にうずたかく避けられた白い塔は表面ばかりふかふかと、やわらかくやさしく見えた。 「何しとんねん!お前あほちゃうか?」 すっかり赤くなった指先でそれを掬った瞬間に、まつげに軽い白が乗る。思わずまばたいたのと、怒声がとんだのはほとんど同時だった。 「そないな格好で雪んなかふらふら出歩く神経が信じられへんわ」 私とマサキさんはただの知り合いでもなければ他人でもない。歳がちがうから友達なわけもなく、幼なじみでもなかった。積みかさねた時間は多いほうに入るはずだった。だけど、思い起こすかぎり、マサキさんがこんなに怒っているのは見たことがない。 自分はしっかりコートを羽織っておきながら、私のコートを片手にひっつかんだマサキさんの鼻のあたまは赤くなっている。 それに気づいたとたん、思い出したように体がふるえた。 「…はよこれ着い。これ以上冷やさんようにしてさっさと帰るで」 ばさりと私の肩にコートをかけながらそう言ったマサキさんは、次いで持ってきてくれたらしい手袋をはめるために私の手をとって固まった。何の感覚もなかったそこに与えられた熱は焼けるように痛い。 どうして私がこんな寒空のした、防寒もせずに飛びだしたのかなんて、マサキさんには考えつかないのかな。 「な…、なまえ、どないしたん?」 「なにが?」 「何がって…、あんさんさっきからおかしいねんで。自覚あらへんのかいな」 悲しそうに眉根をよせるマサキさん。本当に、ずるいひとだ。今だって堰をきって流れだしたこの醜い感情をかちかちに凍らせてしまうつもりだったのに、あとすこしだったのに、マサキさんによってこんなにも簡単に溶かされてしまう。 ぬぐってくれる指先も、勝手に流れ落ちるそれもあつくて、余計に泣いてしまいそうになった。 おかしいことなんかわかってる。淋しさでおかしくしたのはあなたでしょうと、はっきり言えたらいいのに。 「何があったん?聞いたるさかい、ゆっくり言うてみい」 「……やだ」 「なまえ」 マサキさんがこの口調で私の名前を呼ぶときは、意地を張ってる私をたしなめようとしているときだ。頬をゆるゆると撫でていた指先が止まり、うつむこうとした私の両頬はあたたかな手のひらに包みこまれてしまう。 にじんだ視界にマサキさんの顔が映り、まばたいたらまたまつげに雪が降りた。 「……あ」 おもわず声が漏れたのはたぶん、その雪のせいだったと思う。ぴりぴりしびれるような全身の触覚が熱のせいだと気がついたのはその後だったから。 腰と背にまわる腕に、こめかみに触れる頬に、耳に寄せられるくちびるにいっぱいに満たされるのに、私はとんでもなく欲張りなのかもしれなかった。 「…あかんわ、ほんま…」 ほうっとマサキさんのついたため息が、ふわふわと花びらのように舞い降りる雪空に昇っていく。私の吐息は、マサキさんの黒っぽく湿ったコートに吸い込まれた。 みしみし軋むうでを持ちあげてマサキさんの黒っぽい湿ったコートの背をつかめば、呼応するように、マサキさんのあたまが肩に落ちてきて心臓がはねる。 「いい加減、自覚してほしいんやけど。わいがこんなんなるの、なまえにだけやで」 「……して、ます」 「しとらんわ」 ぜんぜん、しとらんやろ、なまえ。 一方的に決めつけるマサキさんのささやきが、マフラーを巻いていなかった私の首筋に問いかけてきて背筋がぞわぞわする。つかんだ手にちからを込めれば、無意識のうちにぎゅっとつぶっていた目蓋のうら、マサキさんがちいさく笑った。 「雪、ついとるで」 「あ」 「そのまま、動かんといて」 そっと触れられたのは閉じたまぶたとくちびるで、それをなぞるようにくちびるが降ってくる。下くちびるを食み、そっと離れたマサキさんの表情はやわらかくて、きっと私もおなじ顔をしているのがふしぎだった。あんなにたくさん持っていたはずの感情はマサキさんのコートにとけ消えてしまって、残ったのはすこしの敗北感と帰るべき場所だけなのだから。 帰るで、と差しだされた手はあたたかくて、きっと明日には、雪も止むんだろうな。 111216
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