novel | ナノ

「さて――…」


彼の長細いひとさし指がまっすぐに伸ばされ、天を示す。その先に待っているのはいつも、かならず「正しい」だけの真実だった。

普段はだらしないし、常識はずれだし、子どもかそれ以下の自活力しかないのに。こういうときだけきらきらしたオーラをまとって、すらっとした身の丈でひとびとをしあわせへと導いていく。あざやかすぎる手際は、かの有名な怪盗クイーンだって適わないんじゃないかと思うくらい。

そういうとこずるいんだ、教授は。


「亜衣ちゃーん…」


へなへなと情けない声が発せられたのは意外なほど近くで、それに反応した亜衣が私の目の前でぴくりと肩を上下させる。それもそのはず、私はいつものように亜衣の家に遊びに来ていて、ここは岩崎家の亜衣の部屋であって…つまり、2階なのであって。


「教授…?」
「うん?」
「うん?じゃない!どうしてここにいるのよ!」


2階だってことはつまり、1階からお邪魔しないと今みたいに亜衣の部屋のドアのすきまからこちらを伺うなんてこと、できるはずもないわけで。

無邪気をよそおって…というよりも私にはこころの底から無邪気なように見えるのだけれど、亜衣はあれは演技なのよ、なまえ、だまされちゃダメ!ってよく言う。とにかく可愛らしいしぐさで小首をかしげた教授に亜衣はついに逆上した。

教授はといえば、そんな亜衣の様子には慣れてるみたいでけろっとしてその疑問の解決にかかる。


「決まってるじゃないか。ご飯を食べに来たんだよ」
「なんで当たり前です、みたいな顔してるのよ。おかしいでしょ!?」


第一、ご飯食べに来ただけなら私の部屋に来る必要ないじゃない、と亜衣はくってかかる。何だかんだ言って仲が良い教授と亜衣たち、親しいからこそのやりとりを、私は亜衣のベッドに座ったままほほえましく見ていた……のだけれど。


「だって今日はなまえちゃんが来ているっていうからさ」
「あ…」
「こんにちは、なまえちゃん。久しぶりだね」
「こ…んにちは」


とつぜん教授がこちらにはなしを振ってきたものだからびっくりして、取り損ねた会話のボールに返事があいまいになってしまう。サングラスの奥の赤い夢を見るひとみを直接見たことがないのに、真実を見ぬくその目に射られているような錯覚に陥る。

どくりと心臓がおおきく脈打ち、うまくことばを発せられなくなった私と教授の視線を、あいだに入ってくれた亜衣がばっさりと断ち切ってくれた。


「ちょっと教授、なまえ取り込もうなんて100年早いわよ。とっとと帰りなさい!」


さすが夢水清志郎飼育係、教授は亜衣のカツで完全にたじたじになってしまったみたい。わかった、わかったよと両手をホールドアップする教授にはやっぱり、あの時のきりっとした雰囲気のかけらも見当たらない。

それなのに、


「でもなまえちゃんに会いたかったのは本当だよ」


もう一度だけ、亜衣から私にスライドしてきた視線に高鳴る鼓動は無視のしようもなかった。ついに亜衣がどしどしと部屋のドアに近づいていき、けんかに負けた犬みたいに弱々しい鳴き声をあげて廊下を逃げていく教授のいなくなったとびらを閉める。

ため息をついて亜衣がふり返るその前にすこしだけ。私はとびらを見つめていた。


「まったく、なんで教授はなまえを口説くのかしらね」
「口説く!?何言ってるの亜衣…っ」
「本当のことでしょ?女の人にあれだけ興味のなかった教授なのに」


ぎゅっと眉間にしわをよせた亜衣に気をつけるよう詰め寄られてあわててうなずきながら、私はふくらんでしまいそうになる心を戒めた。窓の向こうの世界は赤く染まっている。

一度だけ、教授に聞いたことがあった。私が二度目に教授にであったあの事件の日、ただなりゆきでたずねたんだ。

愛が憎しみに変わるその事件がどうしても理解できなかったおさなくて愚かな私は、あざやかに複雑なからくりを解いた教授は、すべてをしっていると思っていたから。


『ねえ教授、どうしてあの人は人を殺してしまったのかな』
『…さあ、どうしてかな』
『すきだったから?』
『そうかもしれないね』
『それじゃあ、どうしてすきになったのかな』


あの頃、恋なんてしたこともなかった私はとても単純で、愚かな子どもだった。すきにならなければ、殺すこともなかったのに…、そう思えて仕方がなくて。

だけど教授は、私をばかになんてしなかった。すこしだけ口角をあげて、私から顔をそらし、どこか遠く…赤い夢を見て言った。

好きであることに理由なんてないんだろうね、と。
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