太陽までもがあくびするほどぼんやりぬるい風が吹き、まだ丸裸の枝先にふくらんだ花芽を香らせる。 月光で冷えた空気とまざりあって形容しがたい体感温度のなかをホームクラスに到着したところで、同学年クラスがならぶ廊下のちょうど真ん中ほど、特進クラスの前に人だかりができているのが見えた。…なんだろ、あれ。 「あ、なっちゃんおはよー…」 「なまえ…!やっと来た!!」 首をかしげながら教室に入ったところで真っ先に目の合ったなっちゃんは、とたんにがたんと立ち上がった。あまりの剣幕に思わず後退った私につかつかと大股で歩みよってきたかと思えば、そのままの勢いでうでをつかまれ教室のそとに連行される。実に鮮やかな手口だった…なんて、本人の私が言うのもおかしいけど。 なに、何なのと尋ねても一向に反応すら返してもらえないまま連れてこられたのは、がらんとした特別棟と呼ばれる、理科室や社会科教室などのならぶ渡り廊下の先の校舎だった。 「いい?落ちついて聞いてね」 「何の、こと…?」 「いまクラスに戻ったらあんたの心を整理してる暇がなくなっちゃうからここまで来たんだけど」 ようやく腕を離してふり返ってくれたなっちゃんの顔も声色も、夏の大会で四種目メドレーの前、みんなで円陣を組むときに強いことばをくれたときの表情に似ていて、おもわず背筋が伸びてしまう。 ひとつ、呼吸をおいてからなっちゃんは言った。 「なまえ、あんた学年末の結果…学年8位だよ。来年は特進になるらしい」 「……うそ」 「嘘じゃないよ。あの人だかり、いつもより異常なのはそのせい。来年はクラス替えだぞーって」 息がとまってしまったことに気がついたのは、苦しくなった身体が無意識につよく息を吐きだしたからだった。静かすぎる廊下にかすかに反響するそれはふるえていて、なっちゃんはそんな私に気を遣ってか、自分の肩越しに窓のそとを見つめている。 皮肉なほどやわらかくて温和なミルキーブルーが輝いているのに、ぴったりと閉められた窓に春一番は届かない。 この学校の通常の進級制度でいくと、クラスは特進もふくめ成績順で振り分けられているため、二年、三年のあいだにほとんどクラス替えは行われない。というのも文理分けはクラス単位ではなく個々の授業で行っているし、三年になってからの勉強で一気に順位が変わることはあっても、二年から三年のあいだに成績が著しく伸びる子なんていないも同然だかららしい。 2学期、グリーンを忘れたい一心でがむしゃらにがんばった化学。それから、グリーンに教わった数学。文系科目だって、数学の遅れたぶんをとりもどす時間をつくるために先回りして勉強した。たしかにこの前のテストは手応えを感じたし、返ってきた答案用紙も今までにないくらい絶好調だった、…けれど。 「うそだって思うならたしかめてくれば?…って言いたいところなんだけど、あそこになまえ本人が繰りだしたら大変なことになりそうで。るりとふたりで相談して、とにかくだれよりも早くなまえをつかまえようってことになったわけ」 信じられない、と発したくても発せなかったことばを、なっちゃんは敏感に感じ取ってくれた。背後にやっていた視線をもどし、ちょっと苦笑いでもするように眉を下げる。西向きに設置されたクリアなガラス窓にきりとられたなっちゃんの影は濃い。 なっちゃんはそれきり口をつぐみ、私も何も言えずに黙りこんだ。 「…やっぱり見ないことには信じられないよね。もうちょっと待って、ホームルームぎりぎりの時間に行ってみよっか。まだひとが少ないだろうし、私もつきあうから」 「うん、そうしたい、…かな。ありがとうなっちゃん」 「問題はまだ終わってないよ。……そろそろ答え、出さなきゃね」 あと一年なんだから。 まるで自分に言いきかせるようにつけ加えられたことばにうなずきながら、私たちは来た道をたどっていく。急かすように鳴り響くチャイムが憎らしくて、怖くて、わざと逆らうようにゆっくり歩いた。 青/111029
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