曇った窓の外で、しとしとと冷たい雨がコンクリートに染みを作り、やがて一面ダークネイビーに染めていく。思わずぼーっとしてしまいそうなくらい暖かい教室なのにちっとも眠くなんかならないのは、この妙な緊張感のせい。 グリーンのきれいなひとみがじっと見つめてくるのを、私は黙って見つめ返す……と言うよりも、それくらいしか私のできることがなかった。まっすぐで真剣な目は、私に視線をそらすことはおろか、ことばを発することすら許してくれない。 本当に、ずるい。グリーンはいつもこうやって私の平穏な凪をひと目で波打たせる。 「おまえなぁ…なんでこんな点数取ってんだよ」 ちょっと呆れたような響きをふくんだ声色に、私はおもわずぎゅっとこぶしを握りしめた。ひろげたテストに赤々と記された数字は私の決意の完敗を示していて、なさけなくて泣きたくなるきもちをぎゅうっと押しこめる。 うるさいなー、放っといてよとちいさくつぶやいたら、グリーンは笑った。笑って、うつむいた私のあたまにぽんっと軽く触れるものだからぎょっとして顔をあげる。 蛍光灯を影にして出会った夕日のようなやさしさに、またしても後悔したんだけれど。 「無理するからだろ?」 「してないし」 「じゃあ、意地なんか張ってるからか」 「張ってないよ!」 トーンをあげた私に、グリーンはぷっと噴きだしてまた爆笑をはじめた。そうやってムキになるところが意地っ張りなんだぜ、と図星をつかれてことばに詰まる私を見て、ますますグリーンの笑いはヒートアップする。 ほんっとおまえっておもしろいよな、とお腹を抱えるグリーンをグーで軽く小突いてからはっとした。グリーンは私がちいさく動きを止めたのになんて全く気づかずに、いってぇと笑いながら頭をおさえている。 「…なまえ?」 「あ……っだから、そうやってグリーンの意地が悪いから私だって」 「意地張りたくなるってか?」 「そう、そうだよ」 「おい、おれのせいかよ!」 今度はこつんっと優しく小突き返される私のあたま。そこから伝わるかすかな痺れが心臓にとどいて、またしてもかすかに、けれど確実にこころを満たす平穏の水をゆらしていく。鼓動スピードが止めようもなく加速して…もう、たぶん止めることはできないし、止める必要ももうなかった。 さっきまでぎこちなかったはずの空気はいつのまにかぐつぐつを音をたてるほどいい具合に湯だっていて暖かい。 きっと私たちは、これでいい。これくらいがちょうどいいんだ…。ざあっと風向きが変わって本降りになった雨が窓をたたく音に、私もグリーンも一瞬だけ耳をすませたけれど、沈黙が落ちるのがこわい私はすぐに鏡のようなガラス窓から視線をそらす。 「だからやっぱり、教えてくれない?数学。この前の範囲から、今回の範囲まで」 「あー…、わかったよ。けどそれって2分野以上あるだろ。すっげー時間かかるぜ?」 言外に言わんとしていることをくみ取って、私は笑ってみせる。いつの間にかほぐれていた表情筋の動きに違和感はなかったから、きっとちゃんと笑えている。 私が避けていたことにすら気づかなかったグリーンだから、どうせひきつった笑顔でもわからないんだろうと思ってたけど…つながりを断ち切ってしまった理由を聞かないでいてくれるくらいだから、やっぱり気づかれてたのかもしれない。それでもあえてその話題を避けていてくれたんだとしたら、鈍感なのはグリーンじゃなくて私の方だった。 だいたい、希望がないからってあきらめられるくらいの気持ちだったらあんなに避ける必要もなかっただろうし、化学をがんばるなんて無謀なことしなかった。中間でやったことをやりつつ期末の勉強も…なんて、期末の1週間前に切り出すようなはなしじゃないとわかってる上で頼みたくて、今日ここに来たんだから。 「時間ならだいじょうぶ。私、もう文系科目はかんぺきだから」 「へえ…がんばってんだな、ほんとに」 私がうかべた表情に、びっくりしたように目を見開いてうなるようにつぶやいたグリーンは、それから流れるように視線をスライドさせて、でも、とことばをつづけた。 「でもさ、おまえ…先生には聞かなくていいのかよ」 食い下がるグリーンにちらりと不安がかすめる。私、期待してるの…? あれほどこわいと思った沈黙が、とうとう私たちをとらえて呑みこんだ。グリーンは私を見てくれなくて、横座りの横顔はまっすぐたたきつけるような冬を見据えている。時計の針はコンクリートをぬけた先にある曇天を刺そうとしていた。 どう言ったらいいのかわからなくて押し黙った私を待つグリーンの表情も硬くて、和んだはずの教室がまた、ブラックホールみたいに光の重さを低くしていく。 頑なだったひとみがちらりとこちらに視線を投げてくるのもわかるくらいグリーンの顔を凝視してしまったから、しょうがねーな、とグリーンがこわばった口もとをゆるませると、うっかり泣いてしまいそうになった。 「すっげえ変な顔してるぜ、なまえ」 「…女の子に対して変な顔とかサイテーだよ、グリーン」 「簡単な質問に答えないおまえが悪いだろ。教職免許持ったプロじゃなくて、単なる生徒のオレでいいのかって聞いただけだってのに」 あまりにグリーンに似あわないことばが飛び出してきて、私の涙はすうっと引っ込んだ。おもわずぽかんとしてしまったら、グリーンも自覚はあるみたいでったく、と舌打ちをしながら茶色い髪をわしわしとかき回す。 みるみるうちに崩れていくセットされたヘアスタイルからのぞく耳朶がかすかに赤かったなんて、…たぶん、気のせいだけど。 「…グリーン」 「……なんだよ」 むす、っと机に両肘をついてあたまを抱えていたグリーンが顔を上げる。それがなんだかふしぎなほど可愛くて思わず笑ってしまう。それをますますむっとしたグリーンに言うほど私もばかじゃないけれど、ひろげたままの数学のテスト用紙に記された真っ赤な数字も気にならないくらい元気になれたことは確かだった。 111005
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