novel | ナノ

かたんとドアレールを踏む音でさも今気づいたかのように顔を上げれば、教室の入り口で足を止め、困惑したようなほっとしたような、なんとも複雑な表情を浮かべたグリーンと目が合った。


「…なまえ」
「うん。久しぶり」


グリーンが何を言いたいのかはわかってたけど聞きたくなくて、私は表情筋をつかって変わらずに笑ってみせる。上手く前みたいに笑えているのかなんて全然自信なかったけど、グリーンがそれ以上ことばを続けずにつられたように薄く笑うのを見てほっとした。さえぎってごめんなさい…、だけど中間のことについて聞かれても答えられる自信がない。

すこしやるせなくも見える、そんな笑顔にさえぎゅうっとこころを甘く痺れさせていた痛みはもう襲って来ず、ただ穏やかに渦を巻いて収束する煙のような残り香だけがかすかに凪いだ。

ほんと、久しぶりだなと打たれる相づちにもう一度そうだねと返して、私はプリントに視線を戻す。すっかり鏡のようになった窓を、がたがたと冷たい強風がゆらした。


「…おまえ最近、スゲーがんばってんじゃん」
「そう…?」
「もっと自信持っていいんじゃねーの。香取、喜んでたぜ?」
「えっ、カトセンが?」
「そうそう、この前の物理の授業んときに。水泳部から今年はバカじゃないやつが出るかもしれない、って」
「えぇー…なに、その喜びかた」


がたりとグリーンが腰を下ろすのは前と同じ、私の前の席。カトセンの感想にちょっとげんなりした私の口調に、グリーンはスクールバッグから参考書を取りだしつつははっ、と笑った。記憶にあるよりずいぶん伸びた襟足が乾いた笑い声にあわせて跳ねる。

これで戻れてるの…?何もわからない。壊れたはずのこころは癒えたのか、もはや癒えるのかすらわからないし笑いかたすら思いだせない。

茶色いグリーンのあたまをぼんやり見ながら自問自答していたせいで、唐突にグリーンがふり返ってくるものだからばっちりと目が合ってしまった。平穏になったはずのこころがどきり、と一度だけ、けれどたしかに大きく跳ねたのを感じる。

そのままグリーンがすとんと落とした視線につられれば、私のうでの下敷きにされた状態方程式のプリントにたどりついた。


「…で、だ。化学すこしは分かるようになったか?」
「あ…うん。おかげさまで」
「オレじゃなくてサトーのおかげだろ」


佐藤先生のおかげ、となんだか投げやりに繰り返しつぶやいたグリーンは、あいつのはなし、わかりやすい?となおも聞いた。変わりのない口調のなかに有無を言わせぬつよいちからを感じて私は一度、口をつぐむ。


「う…ん、わかりやすいよ。ていねいだし、優しいし」
「そっか。よかったな」


よかった…そうだよね、よかったはず。なのに。

中間は平均点がぐんっと伸びた。がむしゃらにがんばった化学の点数が伸びて、理系科目をフォローしてくれるようになったから。だけど逆に点数が落ちたのは数学で、家に帰ってノートをひろげても、余白だらけのそれはただの暗号書でとてもじゃないけど私に解読はできなくて…対策プリントを解いてみても勉強にならなかった。

もとに戻れてる、これが?…ちがう、そんなのうそ。ぎこちないまでにかみ合わない空気が、私とグリーンのあいだにはいま明らかに存在していた。

ひとつ前の机に座るグリーンとは1mだって離れていないし、会えなかった時間は去年の3学期となにも変わらないはずなのに。

つながりの代償は、これなのかもしれなかった。


『ねえ、なまえ。すきになるのはいけないことなのかな』
『…なっちゃん…』
『私ね、ずっと考えてたんだ。あんたも私も、なにも悪くないんだよ』


ねえなまえ、すきで何が悪いの?

あの修学旅行の夜、私を見つめたなっちゃんのひとみは濡れ光っていて、脱色された髪はすこし生乾きだった。グリーンの茶髪があのときのなっちゃんのものよりすこし暗い色だったなんて、いま初めて知った。
111001
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