novel | ナノ

夏風邪は…っていうけれど、あれは本当かもしれない。

昨日という日が、連日連夜みんみんとうだるような暑さにひびいていた蝉の声が止むくらい涼しかったのは事実。だけど、だからって調子にのった私は確実にその「なんとやら」にあてはまるんだろうし、だとしたらかのことわざは正しい。

昨日からざあざあと降りつづく雨の音をききながら、ぼんやりしたあたまで私はまばたいた。見慣れた天井が、真っ白な顔で私をあざ笑っている。

お母さんが仕事に行く準備をしながらも出してくれた薬は飲んだし、おかゆだって食べた。…うん、大丈夫。あとは寝るだけ。


「かーげ…?」
「ヒトカゲ、移ったらつらいから逃げてたほうがいいよ」
「かげ…」


心配そうにのぞきこんできたヒトカゲに注意する声もがらがらで、擦れたのどが痛くておもわず顔をしかめた。悲しそうな顔をしたヒトカゲが、私の眉間によったしわをさするようにぺちぺちたたいてくれる。それがなんだかうれしくて、強ばったこころがほぐれるのと同時にくちびるがゆるんだ。


「ヒトカゲ、ありがとう…」
「かげかーげ!」


おりてきたまぶたを意識するまもなく、とっぷりと深い闇にしずんだ。

それから浮上するまでにどれくらいかかったのか、すぐだったような気もするし、かなりの時間が経っていたような気もする。ぷかりと闇からひかりへのぼる意識をひらくべく、私は重たいまぶたを押し上げた。

まぶた裏の暗やみのなか、まずぼんやりと映ったのは見なれた白い天井だった。それから明るくあたたかい、いい匂いが鼻腔をくすぐる。まるでひとみから目覚めていくように、くるしい呼吸、重たい手足、そして寒気をひとつひとつ自覚する。

思わずぶるりと身体をふるわせたところで、思わぬ声がとんできた。


「なまえ、起きた?」
「え…!?」


お父さんは当然ながら仕事に行ったし、お母さんだってパートに出かけたはず。ヒトカゲはボールに戻ったはずで、いま家にはだれもいないはずなのに…!

驚きと恐怖で反射的にとびおきたら、とたんにぐらあっと部屋がまわった。何が起きたのかわからなくて、ふっと意識がとぎれそうになったところで、見覚えのある白い腕があわてて身体を支えてくれる。隅にちらりと、あわい氷の色。

心臓をつらぬいていた恐怖が、その色彩が目にはいったとたんにとけ消えた。


「トオイ、くん……どうして…?」
「怯えさせてごめんね。お見舞いに来たんだよ」
「お見舞い…?」
「正確にいえば、ここに来るとちゅうできみのお母さんに会って、きみが病気だって聞いたから」


本当は会いに来たんだけど予定変更になったんだ、とトオイくんはやけにまじめな顔で教えてくれたかと思うと、私の肩とお腹にまわして支えてくれていた腕で、そのまま私をごろんとベッドに逆戻りさせてしまった。相変わらず細くて白いのに、ちゃんと男の子だって教えてくれるところも何も、ちっとも変わらない。

手にも足にもちからが入らないせいであっけなく仰向けにさせられてしまったけれど、いつになく表情の乏しいトオイくんは何を考えてるのかな……わからない。いつだってトオイくんは私の想像できないようなアイディアでびっくりさせてくれるけれど、今回は…もしかして、怒ってる…?


「なまえ、すっごい熱なんだよ。わかってる?」
「え…熱?」
「…わかってなかったんだね…」


やっぱり、という表情をしたトオイくんは背後をふり返り、それからまた私に視線をもどしてきて問うた。とろとろと時間がながれていくのが見えるように落ちついているこころを意識しながら、私はトオイくんのきれいな色の髪を見つめていた。

トオイくんはしっかり、私の目をみてくれる。


「おかゆ、あるんだけどお腹減ってる?」
「…ううん」
「そっか、わかった」
「あの…ごめんね」


うなずいたトオイくんがちょっと悲しそうに見えて、急に申し訳なさでいっぱいになる。いつも忙しいトオイくんがせっかく会いに来てくれたのに、こんなことになっちゃって…しかも、おかゆまでつくってくれたのに食べたくないなんて。

まるで鏡みたいに自分の眉尻がおちるのがわかった。反対に、トオイくんの眉はびっくりしたようにあがっていく。…なんだかトオイくんのひとつひとつを、後から私がなぞっているみたい。
110902
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